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春ノ郷は春ノ郷長の下、三つの部門で営まれている。転生者のもてなしをする浄化部、郷の治安維持と防衛を担当する衛士部、そういった郷の天ツ民全員を監督する番頭部である。
今、ネルソンたちの目の前には三つの部門のうち二つの長が集まっていた。一人は先日ネルソンと知り合ったばかりの番頭部責任者、番頭長のウツロギ。もう一人はその前から顔見知りである衛士部責任者、衛士長のノモリであった。
ノモリは髪髭ともに、一筋も残さず白い老爺である。天ツ民は、ある程度歳を帯びた後、老いを忘れる。中には過ぎた年月を身にまとうことを好む者もいて、この男がまさにそうだった。
牢獄で知ったことを春ノ郷の監獄を受け持つ衛士部に報告した四人は、春本殿に連れて行かれた。屋敷外れの一室に案内され、ここで待っていて欲しいと衛士に言われた通り待機していたところ、二人が連れ立ってやってきたのだった。ノモリは席につくなり、言った。
「此度はうちの牢人形が、ご面倒をおかけ申した。異常事態の報告までしてくださったこと、感謝つかまつる」
腹から声が出ている。通された部屋はさして大きくなかったため、老爺の声は四方の壁をしかと打った。
対面に座る渡守たちは眉を寄せる。隣のウツロギは嘆息する。まっさきに苦情を口にしたのはネルソンだった。
「じいさん。普段の趣味については何も言わねえけど、せめてこういう時だけは耳を新しくしてきてくれないかな」
「なんだって?」
「耳だけでも、新しくしろって!」
「そんな急に取り替えられんわい!」
大声が増えた。
ウツロギは着物の合わせから刻天鏡──写したこと、聞いたことを記憶する鏡。議事録や契約などによく用いられる──を取り出し、ノモリに渡す。
「刻天鏡がちゃんと記録を取ってくれているか、確認していてください」
ノモリは鏡を覗き、ウツロギの言ったことが鏡面に文字として反映されると、承知したと頷いた。さすがに対応が手慣れている。
「さて、本題に入りましょう。まさか魄体を奪い、人形に魂を勝手に移し替えるような輩が隣暮に出るとは」
「正体は何でしょうか」
「すぐに断言できる存在は思い浮かびません」
「ただ者じゃないぞ。わしらの牢をネズミを隠れ蓑にしてかいくぐり、牢人形を操作して発動するはずだった警報を切り、おまけに姿をくらました。何かしらの力を持つ魂じゃ。不浄訪問者だとしたら、相当な面倒な手合いだ」
不浄訪問者とは、輪廻の決まりを破り転生しない者のうち、隣暮に許可なく訪れた者をさす。彼らは同じ不浄者同士でかたまって動き、転生によるエネルギーの循環で命を長らえる代わりに、私的な取引や狩りによって魂を保っている。
ウツロギが顎に指先を添わせる。
「問題はどの集団かだな。団か、賊か。どちらも最近、隣暮には頻繁に訪れていない。もしくは新手が出たのか」
「失礼」
部屋の隅、立ちっ放しの牢人形二体のうち一体、縄をかけられている方が喋った。喋ることのできる牢人形など滅多にいないから、これはジャノメである。事情を話させるため連行されてきていた。
「事を起こしてしまった本人だが、発言を許してもらえるだろうか」
「後で話してもいいと考えることは省き、端的にお願いします」
「ずばり、私が出くわしたあれは寄生鬼だったのかもしれないという仮説が生まれた」
部屋がざわめいた。クエンティンが前のめりに問いただそうとするのをアルニが制す。マッキーはぽかんとしている。ノモリは刻天鏡を食い入るように見つめる。場の進行を務めるウツロギは、全員が静まるのを待ってからジャノメに先を促した。
「詳しく」
「久しぶりに外の話を聞いて驚いたよ。隣暮の川中に寄生鬼とはね。それを聞いて思い出したんだ。我々の理屈に寄り添うことのない虚神たちのなかにも、例外がいると」
「それが寄生鬼だと?」
「厳密には、一般的な寄生鬼とは違うがね。我々の知る弱き寄生鬼を下等種とするならば、それは祖とでも言うべき上等種だ。数はそういないはずだ。私も他の学者たちも、滅びたものだと思っていた。なにせ、そいつらが最後に確認されたのは、ゴンドワナ崩壊直後のことだ」
「大いなるものが崩御され、全きゴンドワナが散った。謎に包まれた、僕らの世の始まりの時代の出来事でありますか」
クエンティンの合いの手に、ジャノメはその通りと返した。
「大いなるものが崩御し、あの頃、多くの世界が幻となってあえなく崩れ去った。霊師たちと生き残りの民は、力を合わせてかけらになった世界を保とうとした。その中に、偉大な知恵と力を持ちながらも故郷を保てなかった一族がいた。プラネテスと呼ばれた彼らは、無念のあまりパンサラサに還りきれず、虚神化した。そして、まだ無事であった他の幻界とその民の魄体を奪い取り、自分たちの滅びた幻界を復活させようと企んだのだ。結局奪うことはできず、冬ノ島主の手で海へと送られたがね。あの事件は、古い文献を紐解く者でもなければ知るまい。私とて記憶の片隅に放置したきりで、半ばお伽噺だと思っていたんだ。当時のことを覚えているのは、手を下された島主ご本人だけだろう」
「なんということだ」とノモリが声をあげる。
「それが事実ならば、敵は準原種相当に値する、古代の民ではないか」
虚神を含めたすべてのロスト・ゴンドワナの生命は、生まれた時を遡るほど他への影響力を持つ。強力な通力や導力、ずば抜けた生命力の他、未だ理屈に落とし込めない力をもってして他者への干渉ができる者もいる。準原種はゴンドワナ崩壊後第一期の生命のことで、実質、現在ロスト・ゴンドワナで形を保つ生命の中で、最も古いと言ってよかった。
「プラネテスの持つ技術は幽魂の変形と移動、そして寄生であったと伝わっている。彼らがパンサラサへ還り、分解され、他の有象無象と結合や分離を繰り返す中で生まれたのが現在の寄生鬼であるという説があるんだ。彼らの中でも力のある者ならば、パンサラサで散らばった自分の一部を回収し、時間をかけて元の形を取り戻したっておかしくない」
牢人形の体でも、ジャノメの悔しそうな気配が伝わってくる。
「ああ。しくじった。そうと分かっていれば、もっと慎重に接したものを」
ノモリが唸り、ウツロギは沈黙する。やや俯いているところから、どちらも考えこんでいるらしいと察する。いよいよことは深刻になってきたようだ、とネルソンは考える。
ノモリが顔を上げた。
「ジャノメ。あなたがそのネズミに話しかけられた日はいつだった」
「十日前さ」
「川中に寄生鬼が出た前日か」
「ジャノメさんのところに出たその、プラネテスが先陣を切ったってことですか」
マッキーが言う。それだけじゃない、と言ったのはアルニだった。
「ネルソンの見た寄生鬼を手引きしたのは、博士のところにいたネズミの可能性もある」
「ええ。でも、ネズミは昨日まで、ずっとジャノメさんの所にいたんだろ」
「博士の作業の間だけね。作業に動員されない間に呼水を使えば、外にいる仲間を川中に呼びこめる。普通の虚神ならともかく、準原種相当なら簡単なはずだよ」
パンサラサの海より流れくる呼水は、幻界の至る所に、地下水脈のように細々と張り巡らされている。これが魂魄の輪廻転生を助け、時として狂乱の潮騒を届けて海へと誘う。この隠された広い水の道を使えるのは、ロスト・ゴンドワナ広しと言えど、準原種以前の生命しかいなかった。
「呼水を使ったならば、か弱いネズミに宿り続けることができたことや、突然姿を消した理由、そして川中に突然寄生鬼が現れた理由にも説明がつく。本当の始まりはこの牢破りのプラネテス、上級の寄生鬼だ」
「ならば、川中の寄生鬼は牢の寄生鬼が自由に動くための囮でありますか」
──本当にそうだろうか。
ネルソンは腕を組む。
牢の寄生鬼の方が強力であり、川中の寄生鬼は陽動である。ありえなくもない話だ。しかし、そもそもなぜ寄生鬼はジャノメに目をつけたのだろう。虚神がパンサラサを生きることができるのは、適合率の高い、明確な魂魄を持たない曖昧な体の持ち主だからである。もとの体のままの方が身動きしやすく使いやすかろうに、わざわざそう強健でも柔軟でもない、灯共のジャノメの魄体を奪ったのはなぜだ。そして、投獄中の囚人の体を奪えば、自分の正体と侵入が早くばれることは、簡単に想像できたはずだ。
──きっと、俺たちに早く気づかれてでも、ジャノメの魄体を奪わないといけない理由があったんだ。
沈黙していたウツロギが口を開いた。
「ジャノメさん。あなたには事が収まるまで捜査に協力してもらう必要があります。特殊な牢に移り、監視を強化します。沙汰は、ことが無事に収まってから追って決めましょう」
「無論だ。郷のことわりに従うよ」
ジャノメは殊勝に応じた。
「早急に追跡して、止めなければ。準原種ならば、時間が経てば経つほど移動するのが速くなり、手に負えなくなる。このことも他の領に伝えなくては」
ウツロギはネルソンたちに顔を向けた。
「君たちは、研修中だったね。頼まれ事をお願いできないだろうか」
「内容によります。どのようなことでしょうか」
アルニが問い返す。ネルソンは、自分たちの使命がばれてはいけないことを思い出した。
「このことを郷長様に伝えて欲しい。順調に移動しているならば、今頃は夏ノ谷にたどり着き、谷長とお会いする頃合いのはずだ。今すぐ向かえば、お二人に同時に事を伝えられる。隣暮において、渡守より移動の速く正確な者はいない。これを受けてくれたなら、今後とも君たちの研修に多少なりとも力添えをすると約束しよう」
春ノ郷の実質的な二番手である番頭長が味方についてくれる。ネルソンは真っ先に口を開いた。
「ぜひお願いします」
アルニが咳払いし、答えなおす。
「つつしんでお受けいたします。必ず郷長様、谷長様に事をお伝えすると約束します」
「ネルソンは煩悩一直線でありますな」
「それが彼の付き合いやすいところでもあるんだよ」
クエンティンとマッキーが、ひそひそと言い交わしている。
ウツロギは微笑んだ。
「研修の大変な時に、厄介事に巻き込んでしまってすまないね」
「道中、気を抜くんじゃないぞ」と、ノモリが大真面目な顔をする。
「これだけ虚神が活動しているんだ。もしかしたら、思わぬところに巣である虚淵に通じる道があるかもしれない。よく注意するようにな」
ジャノメが手を挙げた。
「番頭長殿。相談がある」
「聞きましょう」
「開発中の導具に関することだ。魂波を聞いてくれ」
魂波は魂の囁き声だ。魂の扱いのうまい者たちが用いる。
ウツロギとジャノメは目を合わせ──ジャノメについては、牢人形の目と思しき場所をウツロギに向け──何か話し合ったようだった。無言の会話が終わると、ウツロギが渡守たちに言う。
「博士が、世話になった君たちに貸し出したい導具があるという。今持って来させるから待っていてくれ」
しばらくして、扉を開けて侍従が入ってきた。手には包みを持っている。ウツロギがそれを受け取る。ジャノメが言った。
「これは揺れ尾の振り子だよ。近くで呼水の動きがあった時に教えてくれる。つまりは、近くで呼水を介した虚神の活動があると教えてくれる導具だ。まだ実用化はしていないが、試運用は十分にしているから信頼できる仕事をするはずだ。君たちの役に立つ」
「なんと! それは素晴らしい発明でありますな」
クエンティンが歓喜する。
虚神の訪れを教えることのできる導具は少なく、多くは手に入れることすら難しい。ジャノメの言う通り、本当に使えるものなら大助かりだ。
「ありがとうございます。そんな希少なものをよろしいのですか」
「君たちが私を助けたことを彼らが知って、働きかけてくるかもしれない。いくらカロンと言えど、高位の虚神からの干渉を、予告なく喰らうのはしんどいだろう。君たちのような未来ある若者を海に放つのは惜しい。何もなければ結構ということで、君たちの研修の間、お守り代わりにしてくれたまえ」
「現在この発明品の所持権を持つ春ノ郷の長の代理として、君たちの使用を許可したい。異常をいち早く知らせてくれた礼として、ぜひ役立ててほしい」
ウツロギが包みを差し出した。対面のアルニが受け取る。
「その振り子の素晴らしいところは、それだけじゃないんだ。うまくやれば、近くの呼水の波紋を辿って、水を使った虚神の追跡ができる。これをやるには、探知の術に精通している必要がある」
ジャノメはネルソンへ目をやった。
「ネルソン君、君はたしか形見分けが得意だったな。君なら使いこなせるはずだ」
「それなら、君が持っていて」
アルニから渡されたものを開けてみる。くすんだ細糸が一本、その先に葛籠琥珀がついている。こっくりとした黄土に硬化した樹液が網目状に重なり、何重にも球の層をなしている。
「虚神の活動が近ければ、振り子が揺れる。追跡のやり方は形見分けと同じだ。それを使う事態にならないことを願うよ」
「よい輪廻路を」とウツロギが笑みを浮かべた。
「また君たちと郷で会えるのを待っているよ」




