結 ぎこちない日常の始まり
永らえの島の頂点、黄色の旗の立つ枝に一人のカロンが腰かけていた。耳が大きく、目鼻や頬の輪郭の丸っこい、愛嬌のある顔をした少年である。彩色豊かな隣暮の空を眺めている。
彼に近づく者が二人いた。少年は彼らの方を見ずに言った。
「手間をかけさせたね」
「まったくだ」
近づく二人はまったく同じ容姿をしていた。彼らの癖がちの髪を強風があおる。その髪の束の舞い方までよく似ていた。
片方がおどけたように肩をすくめる。
「俺ら年寄りはいいよ。若い連中を巻きこむモンじゃねえ」
「俺だって巻きこみたいわけじゃなかったんだよ。もっと早く事が起きていたら、俺一人で出向いた。でも、俺のこの時代にあれを俺一人で解決したら、もっと良くないことになっちゃうところだったから」
「そうだね。君たちの技術はもう君たちの手を離れ、ばらけてロスト・ゴンドワナに散っていた。君のものでない以上、どう落ちつけるかをこの時代の者が決めないといけない」
もう片方が真面目な表情で頷く。
黄色の旗のそばにいる渡守が明後日を向く。
「あれは大崩壊が起きた時、一族で一番若く、野心に燃えていた子だった。盲目でもあった。胸に抱いた炎を何かに移してみるまで止まれないところがあって、納得させてやれなかった。輪廻転生がもたらす救いを、あれは分かっていなかった」
彼は目を伏せて笑った。
「愚かな師父にふさわしい、愚かな娘だった。来世では父の不出来を遠ざけ、子らに与えられた未来の豊かさを見つめてほしい。誰にでも愛される子ではなかったが、彼女の幸あるこの先を、どうか祈ってくれないだろうか」
*
ネルソンは春ノ郷の自分の家にいた。今日は仕事が休みだった。研修の達成によって検討されていた昇進、もしくは三つの願い事は、言いつけに背いて冬ノ島に飛んだことでなくなった。別にこれといって欲しいわけでもなかったので構わない。だが休みは欲しかったので、きっちり申請した。モリジは呆れた顔をして、危険な真似をしたことは反省しろと言いながらも申請を認めてくれた。
彼の家は長屋の二階、六畳二間だった。片方は外に面しており、小さいながらも縁側がついていた。隣との間には仕切りがあるので、いつでも下の街並みや水路を行き来する屋形船の灯り、堤防の桜並木などを眺めていられた。
棚にあるものの位置を右や左に変え、はたきをかける。畳に掃除機をかける。部屋の掃除をするのは久しぶりだ。この手順でよかっただろうか。迷いつつも一通りやるべきことを終えた頃、チャイムが鳴った。玄関を開けると、黒い髪の少年がいた。小さな手提げをひとつ持ち、細身の体を所在なさそうに佇ませている。
「やあ」
「よう」
「お邪魔していいか」
ネルソンは身を引いた。少年が扉をくぐる。細長く、半端な廊下同然のそこを抜け、部屋に案内した。ネルソンは卓袱台のそばに腰を下ろす。
「見ての通りだ。部屋しかないが、適当に過ごしてくれ」
「うん。それでこれ、よかったら」
彼は手提げを差し出してきた。受け取って中の箱を取り出す。熨斗のついた箱のおもてには、草けえきと筆で書いてあった。
「草けえき」
「ヨモギかずんだを使ったケーキらしい」
「ヨモギとずんだ、どっちなんだよ。ランダムじゃないだろうな」
「日によって変わるんだって」
「本当にランダムなのかよ。これ、気に入ってるの?」
「ううん。初めて食べる」
箱を開ける。四号サイズのホールケーキが出てきた。緑色である。上には細かく細工された緑のクリームが乗っている。非常に質素な見た目のデザートだった。
「アルニは甘いものが好きなのか」
「そこそこだね」
「俺がたまに昼寝しに行く丘に似てる」
「君はここ以外でも昼寝するのか」
「当然だろ。そうじゃないと飛ぶ体力が持たない」
彼らはケーキを食べようとし、部屋に皿とフォークがないことに気づく。仕方がないので、ケーキの乗ったプレートから直に食べることにする。運よく割り箸が二本あったから使う。
「これ、ヨモギとずんだのどっちかな」
「食べたことがないのか。これはずんだだよ」
「草餅っていうヨモギの餅があると聞いたことがある気がする」
「草みたいな見た目ではあるから、ヨモギが入ってなくてもいいんじゃねえの」
適当な会話はそう長く続かず、ケーキも食べきってしまった。手持無沙汰である。これと言って話すこともない。縁側に出て外を眺める。
「見ろよ。鵜が鵜飼いに魚を食わせてる」
「逆じゃないのか」
「ここではあれが普通だ」
「いや、やっぱり鵜だって魚を食べてる」
ちらほらと、目についたものの話をする。会話はやがて絶える。縁側に並んだ二人の少年は、それぞれ違うところを見ている。やがてアルニが言った。
「昼寝してみていいかな」
「許可なんて取るなよ。好きにしろ」
「君はだいたいどこで昼寝するんだい」
「そっちの畳だな」
「私ならこっちがいいな」
「分からなくもない。風がいい感じだから」
アルニは木の手すりの上で両腕を組み、頭を乗せて目を瞑る。短い前髪が風にそよぐ。ネルソンは言う。
「外の方がよければ、いいところを紹介するけど」
「今はここでいい」
アルニはうっすらと目を開けた。
「また今度、教えてくれる?」
「分かった。仕事中に来てもいいぞ」
「私をサボりの口実にするなよ」
ネルソンは笑った。眉の力は抜け、唇は両端とも持ち上がっていた。




