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ネルソンが覆盆の肩に不時着したのは、アルニの槍がユーノリアを盃のふちに縫い止めた時だった。
「さすがの三大師族も、原初の霊師より託された聖遺物を前にすれば無力だな」
そっくり同じ姿をした二人は満身創痍だった。アルニはユーノリアの心臓を穿った槍を抜かないまま、さらに馬乗りになって押さえつけ、腰に提げていた革袋を手に取る。ユーノリアは嗤っていた。
「馬鹿な子だねえ! それじゃあお前も死ぬじゃないか」
「お前とは違う。死は怖くない」アルニは呟いた。
「本来に戻るだけだ。何もない私が、無に還るだけ」
彼は血まみれの片手で革袋を開けようとしているようだった。指がうまく動かないのか、なかなか開かない。すぐには事態を飲みこめなかったネルソンだったが、水を含む革袋を凝視するユーノリアの目に本物の恐怖が宿っていることに気づき、アルニが共倒れの覚悟を持って彼女を滅そうとしていることに思い至った。
「待て! ダメだ、それはダメだ」
「止めるな!」
アルニはこちらを向かずに吼えた。
「君たちに何が分かる。思いやりのある仲間と共に輪廻路をたどっても何も分からなかったこいつが、もう一度輪廻路を歩いたところで改心するものか。私の生まれてしまった苦痛が、大いなる循環という大義名分や綺麗事で相殺されるものか」
「分かんねえよ。分からないけどダメだ」
ネルソンは懸命に言い募る。アルニは険しい顔で睨みつける。
「何がダメなんだ。理由を言え」
「だって、勿体ないだろうが」
「ふん。ロスト・ゴンドワナに関わる大きなことでも言うのかと思えば、そんな他愛のない理由か」
「バカ野郎。お前自身の命のどこが他愛もないんだ」
ネルソンは眉を吊り上げ、大股に歩み寄って胸倉をつかんだ。アルニの表情も体も揺るがない。必死で揺さぶっても、激戦でほつれた腰紐が切れて導具袋が落ちただけだった。口が開き、中のものが散らばる。
「渡守なら分かるだろう。ロスト・ゴンドワナは死にぞこないが無為に身を寄せ合っているだけ。輪廻は虚無の循環だ。どんな大義も欲望も、延ばした寿命の暇潰しでしかない」
「理由なんてなくていいんだよ。俺たちの生きる理由があったら、誰もがそのための歯車でしかなくなるだろうが」
「理由がなくていいなら、私が無為に死んだっていいじゃないか」
「そこまでなんでも無為だって言うなら、その──」ネルソンは散らばった道具のうちの、黄金の花の詰まった未開封の袋を指さした。
「俺のやった砂糖漬けの一個くらい食え! ずっと気になってたんだよ。傷を治すためにやったのに、舟鉢だけで治しやがって。食わねえなら返せ!」
「何に引っかかっているのかと思えば、そんなことか。言われなくても返すよ。持っていけ」
「返すなら食わせてやる」
「いらない」
「うるせえ。食ってから死ね」
「あらあら。食べてあげればいいじゃないの」
ユーノリアはにやにやと嘲りの笑みを浮かべている。
「こんな死地までやって来て、おやつの取り合いかい? 愉快だねえ」
「やかましい。そもそもお前のせいでこんなところまで出張ってるんだぞ」
ネルソンは胸倉から手を離し、砂糖漬けの袋を拾う。開封するなり、柔らかな蜜の香りが漂い出た。
「あんたの師族はとっくに輪廻路の上なんだろ。そんなに恋しいなら、一度くらい会いに行ったらどうだ」
ユーノリアから笑みが消えた。ネルソンは袋に鼻を近づけ、異臭がしないことを確かめる。
「術を残したいなら、なるべく危険じゃないところだけ世間で役立てて、まずは認めてもらうのはどうだ。知識の全部はちゃんと使いこなせる奴を選んで伝承すればいい。それじゃあダメなのか」
「お前に何が分かる」
低い唸り声に、ネルソンは呆れ顔をする。
「こいつと同じこと言うのかよ。あんた、ゴンドワナが崩壊してからものすごく長い時間が経ってるのに、パンサラサにいながら自力で自我を保ってたんだろ? すげえんだから、こんなよく分からねえ神器に頼らなくても、工夫次第でどうとでもできるんじゃないのか」
ネルソンは永らえ花をつまみ、素早くアルニの口に突っこんだ。もう一つつまんだ方を、盃に横たわるユーノリアの口元へ持っていく。
「あんたにもやる」
「いらん」
返事のために開いた口に、すかさず放りこんだ。絶妙な軌道を描いた金の花はユーノリアの舌に落ちる。花は吐き出す暇を与えず、優しい甘みを舌に乗せて溶けた。
唇を引き結んでいる同じ顔二つから、ネルソンは離れる。
「これで文句はねえよ。そんなに生きるのが嫌だって言うならもう止めねえ。好きにしろ」
アルニが革袋に絡めた指が動く。袋の口が傾きかける──水が顔を覗かせる直前に、異変は起きた。
横たわるユーノリアから光があふれた。アルニとネルソンは驚いて彼女を見下ろす。驚愕しているのはユーノリアも同じだった。煌めく粒子を振りまく己の体に目を見開く。
「な、なんだこれは。お前、私に何を食べさせた」
「ただの菓子だよ。何が起きてるんだ」
「浄化だな」
答えたのは、舞い降りた幼子だった。ヨーマは覆盆の肩に立ち、ユーノリアを見上げる。
「永らえの島に生息する樹々は、ゴンドワナの大魂幹と繋がっていた。プラネテス師族は大魂幹を守り、その庇護を受ける中で術を授かった。そんな君たち一族への、かつての魂の母からの最後の思いやりだよ」
「うるさい。私は無念を晴らすんだ。私の王国を取り戻す」
ユーノリアは手足をばたつかせる。駄々をこねる子どもじみた動きのたびに光が散り、体が薄れていく。
「父上、母上を呼び戻して──あ」
ユーノリアの目が宙を捕らえた途端、渡守から奪った顔が消えた。下から別の顔がのぞく。それは吊り上がりがちの大きな瞳を持つ、勝気そうな少女だった。
「そちらにいらしたのですね」
ユーノリアの表情が緩み、消えた。プラネテス師族最後の一人は光となって失せた。光は花びらとなり、風に乗って飛んでいく。その方向にはすべての命が旅立つ地、玄創の泉があるはずだ。渡守たちは遠い空と同化していく光の花を眺めた。
アルニの手から槍が落ちる。膝をついてへたりこみ、一度握り直した革袋を再び傾ける。水が零れる前に、ネルソンが袋の口を掴んだ。
「止めないって言ったじゃないか」
「やっぱり止める」
「めちゃくちゃだな」
「そうだよ。お前だけがめちゃくちゃの継ぎ接ぎでできてるわけじゃない」
ネルソンは力の抜けたアルニの手から革袋を奪い、ヨーマに放った。彼は革袋を受け取るなり、口をつけて中身を飲み干してしまった。
「帰るぞ」
「無理だ」
「なんでだよ」
「足に力が入らない」
ネルソンは大きく息を吐き、アルニの腕を掴んだ。非力な迎え番は精一杯力をこめて飛び上がり、立ち上がれない体を盃から遠ざけた。




