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自動で開いた扉から飛び出してきた少年に、待ち構えていたスーツ姿の人々は驚いたようだった。躊躇う一瞬を見逃さず、セーレが腕を横に払う。空中を撫でるだけの動作で、背広姿の十人ほどが後方に吹き飛んだ。
漆黒の大理石でできた広間だった。アイボリーの絨毯が中心に一筋伸びていて、終点に壇がある。壇のまわりは白い紗のカーテンで囲われ、向こう側がよく見えない。しかし、ネルソンはそこに何者かの気配を感じていた。二人いる。
「お邪魔します」
セーレは意気揚々と絨毯を歩く。カーテンの先から女の声がした。
「大人しく待っていることはできませんでしたの?」
「子どもだから待てません」
「留置スペースで待機していただいていただけなのですから、お待ちくだされば迎えにいって、出して差し上げましたのに」
「昏倒させておいてよく言うぜ」
ネルソンは呟いた。大した声量で言わなかったはずなのだが、女はそれを聞きとめたようだった。
「悪く思わないでください。急を要する事態だったのです。敵は末端の虚神堕ちとはいえ、プラネテス師族。放っておけば一帯に虚神や虚霊が溢れかねません。また、わたくしどもの隊は渡守様と面識のない者が多いものですから、瞬時に移動されるのを警戒して手荒な手段を用いてお連れしてしまったのです。市でもっとも安全な場所とは言え、牢にお連れしてしまったことについても、お詫び申し上げます」
「つまり、本当に小生らを保護するためにここへ連行したというのでありますか」
「ええ。その通りです」
カーテンがはためき、一端から女が姿を現わした。豊満な青白い体をボディースーツで包み、黒の打掛を羽織っている。射干玉の髪の生え際には銀の髪飾りに似た配列で鱗が並ぶ。切れ長の瞳は黒目ばかりで、白目がほとんど見えない。蛇妖である。
「申し遅れました。わたくしは秋ノ市長の秘書でミドルと申します」
セーレが自分の後ろに隠れる三人──まだ警戒の目で自分たちを凝視する背広の人々に怯えていた──を掴み、順繰りに前へ押し出す。
「こっちからマッキー、クエンティン、ネルソン。それで僕がセーレです」
「存じております。ようこそ、渡守の皆様がた。秋ノ市長は皆様がたの訪れを歓迎します」
ミドルは微笑んだ。それから唇を一字に結び、警戒を解かない背広たちに告げる。
「下がりなさい。市長は彼らとの談話をお望みです」
背広姿の人々は壁際に退いた。黒大理石の壁に背が触れた途端、すうと溶けるように消える。渡守たちが驚いた声を上げると、ミドルは笑みを戻して言った。
「彼らは市長の影。彼女のそばに控え、御身をお守りするのが使命なのです。あなた方に襲いかかったのもそのため。脇道をエレベーターに繋げないでいただけたなら、彼らも敵意を示さなかったかと思われますが」
黒目がちの瞳がセーレへ向く。彼は屈託なく言った。
「ごめんなさい。都合が大丈夫そうなら、これからはなるべく歩いてきます」
「仕方ありませんね」
ミドルは動きを止めた。視線を一点に据えて、何かに集中するような表情を浮かべる。ややあってネルソンに顔を向けた。
「市長はネルソン様のお話を伺いたいと申しております。お話しください」
口ぶりこそ丁寧であるが、有無を言わせない圧があった。
ネルソンは裏通りであったことを話した。すべて聞き終えると、ミドルは息を吐いた。
「そうですか。プラネテス師族の者は、やはり冬ノ島の神器を狙っているのですね」
「知っていたのでありますか」
クエンティンが驚く。
「知っていたわけではありません。ここ百数年、裏通りを中心に大きくも絶妙に行き先の不透明な取引が定期的になされ、冬ノ島の虚神の活動が活発化しているという情報を得ていました。市長は誓約の珠のもたらすすべてを見通す目を持っております。それでも敵は巧妙に、自分の顔を珠に繋げないよう、様々な商人を通じて取引をしていました。わたくしどもは警戒することしか許されませんでした」
「数年ってことは、あいつはジャノメの体を奪う前から動いていたのか」
「ええ。今回天ツ民の学者の体という隠れ蓑を手に入れるまで、あの卑怯者は秋ノ市に足を踏み入れることさえしなかったのです」と、ここでミドルは思い出す。
「そうでした。ジャノメ様のお体は返しておきましたよ。異界横断トラックに保冷剤と一緒に載せて、春ノ郷に送り出しました」
「ご親切にどうも」
ネルソンは礼を言う。まだ信用しきれないが、秋ノ市長の周辺にいる者たちは決して悪人ではないらしい。
「俺たちは冬ノ島に行かなくちゃいけない。通行口を使わせてくれないか」
冬ノ島はその地質的特性上絶えず動き続けており、一カ所に留まらない。だから渡守といえどもあの島へ飛んでいくことは難しく、また隣暮のどの領にも島への抜け道は存在しない。唯一の通行口は、秋ノ市役所地下にある越冬の間だけである。通常、あの道は転生者にしか通ることを許されないが、市長を含めた霊師が許せば特例も認められると聞いていた。
ミドルはまた、耳を澄ます様子を見せた。間を空けて首を横に振る。
「申し訳ありませんが、それはできません」
「どうして」
「先ほど冬ノ島より通達があり、島への一切の部外者の立ち入りが禁じられました」
ネルソンは言葉を失った。
「冬ノ島主は、どのような手段を用いたのか知りようがありませんが、もうすでに事の次第を知ったようです。厳戒態勢に入るため、許可なく立ち入る者には容赦しないと」
「市長さんがお願いしてもダメなんですか」
マッキーがおそるおそる問う。
「いけません。冬ノ島主の立ち入り禁止令は、そう簡単に打ち消せるものではないのです」
冬ノ島は、四領の中でも特殊な立ち位置にある。その特性は領の役割と、領を治める霊師の呼称を比較するだけで分かる。
冬ノ島は輪廻路の終点。次の幻界に転生者を送り出す、死と再生の地である。その地を治める霊師は島主と呼ばれる。長ではなく、主だ。所有者であり統治者である彼女は、霊師唯一の絶対君主であった。
「島主様は大いなるもの亡き今、ロスト・ゴンドワナで最も古いお方。死と再生のご友人です。彼女が立ち入るなと言うならば、わたくしどもはひとまず従う他ありません。春ノ郷長と夏ノ谷長、そして市長の三人がよく談議して交渉すれば、許されることもあるかもしれませんが、そうすぐにとはいかないでしょう。お友達のことが心配なのは分かりますが、ここは島主にお任せするしかありません」
「そうでありますか」
クエンティンは俯いた。弁の立つ彼ですら、反論が思い浮かばないのだ。ネルソンは唇を噛み締める。最後のアルニの言葉を思い出していた。
──マッキーとクエンティンによろしく。こんなことを言ったら怒られるかもしれないけど、君たちとやる研修は楽しかった。
今生の別れだと確信している台詞だった。きっと、こうなると分かっていたのだ。彼と虚神堕ちの会話が本当ならば、アルニは渡守になる前は永らえの島の外、それもパンサラサで生活していたのである。ネルソンたちの知りえない事情を分かっていたのだろう。
輪廻路を守るカロンならば、遅かれ早かれいつかその時はやって来る。天ツ民ならば、輪廻遊覧に出ようと思わない限り永遠にそれぞれの領に留まることができるが、カロンはそうもいかない。ほぼ不死身に等しいカロンの命を奪う唯一の方法は、パンサラサの狂波に触れることだ。冬ノ島はパンサラサの只中をさまよっている。しかもそこに虚神虚霊が集う。いくらパンサラサで暮らしていたことがあっても、彼はカロンだ。彼を育てたというプラネテス自身、彼女の庇護がなければ生き延びられなかったと言っていた。おまけに彼は体が弱い。
──俺たちは研修で組んだだけで、友人でもなんでもない。
そもそも、ネルソンは特定の者と特別親しくしようという意識を持ったことも、親しい者を大切にしようと思ったこともない。彼らの生命は彼らのもので、栄える時も終わる時も本人の望むように、自然にするのがいいと考えていた。迎え番として輪廻転生を見つめ、それなりの時を過ごしてきた。盲目に主義主張を通そうとし、また押し付けられたものを受け流せず、歪みを抱えて苦しむ者たちを多く見た。程よい距離を置き、慈しむ。それが渡守迎え番として生きる中でネルソンが見出し、培ってきた姿勢だった。
それなのに、裏通りに置いてきたカロンを思うとどうにも苦しい。これでいいのだろうかと考えてしまう。
──顔のよく似た渡守たちに張りついていなさい。
物思いに沈むネルソンの意識に、声が届いた。聞いたことのない、甘露の響きを持つ麗しい声だった。
はっとして辺りを見る。クエンティンとマッキーは悲しげに顔を伏せている。セーレは大きな目を前に向けている。ミドルが話しかけた様子もない。
ネルソンは残る一つの気配がある、白い紗へ顔を向ける。また同じ声がした。
──毎度のことながら、ミダはまどろっこしいことをする。島の外に落ちた子を見捨てられず、あの女も見捨てられず。変に律義で、本当に不器用。いくらプラネテスの技が禁術であるとはいえ、今となってはまともに使える者のいない、死んだも同然の技術です。まともに扱える者がいなくなったのですから、腹を括ってしまえばいいものを。
この声は、市長の魂波か。ネルソンが気づくなり、また声が届いた。
──あの迷い子は、送り出すべき転生者ではありません。あなたの同胞でしょう。対等な約束なのですから、好きにすればいい。本当ならば秋ノ市で交わされた約束ではないので私の知ったところではないのですが、あなたたちには裏通りで被りかねなかった大損害を救われました。誓約の珠の所持者である市長としてできること、言えることはこのくらいです。
声は最後に、かすかな柔らかさを帯びる。
──よき誓いの結末を。誓約の番人は、あなたの幸運を祈っています。




