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二人は渡守の宝具を腰袋に隠し、急いでネルソンの見たホールへと駆けつけた。ホールでは競りが始まっていた。競売の会場だったようだ。舞台上にはやはりチョッキにシャツ姿のスタッフがいて、出品物を紹介している。
「あそこだね」
アルニが指さしたのは、ネルソンが通力で見た糸の終点と同じ位置だった。だが、そこにいる人物はジャノメの顔をしていた。
「競りが終わるのを待って接触しよう。今行くと目立ちすぎる。私たちの存在がバレて騒ぎになるのは避けたい」
「分かった」
ネルソンは何食わぬ顔を繕っているものの、内心ではずっと混乱していた。
これはいったいどういうことなのだ。小柄な天ツ民のジャノメと平均的な渡守よりやや背丈のあるアルニは、背格好が似ている。しかし顔の作りは見間違えようがない。ネルソンが通力で見たのは、確実にアルニの顔だった。
カロンの通力は、幻術や擬態を見抜く。それでも自分の見たものが信じられなかった。結局、ネルソンはアルニに詳しいことを話せなかった。擬態しているようだったとだけ説明してお茶を濁したのである。アルニは不思議そうな顔をしていたが、追求しなかった。ネルソンが精神を削られたものととらえたらしく、軽く精神鑑定をされてその話は終わった。
──ジャノメの顔とアルニの顔、どっちが本物なんだ。
ジャノメの魄体を奪われているのだから、ものとして、今の魄体としての本当の顔はジャノメなのだろう。しかし、その前はどうだ。虚神に本当の顔はあるのだろうか。プラネテスという、幻界群より古くからいる種族の顔を、どうやって知ればいいのか。自分の眼はどこまで通用するのか。そもそも、なぜプラネテスと面識のないはずのアルニの顔が見えたのだろう。アルニは蓮座で生まれた記憶がないと言っていた。実はその記憶をなくす前に、プラネテスと関わりがあったということはないだろうか。
──どうしたらいい。
ネルソンは横目にアルニを観察する。真剣な表情で会場を観察している。
これまでの働きから、信頼できるカロンだと感じている。昔のことは知らないが、少なくとも今のアルニはカロンであり渡守であり、仲間だ。何度も同胞の命を救い、虚神を退けてきた彼が、虚神側につく利点が分からない。虚神がパンゲアの生物にもたらすものは破壊と崩壊、略奪である。
「あれは何を競りに来たんだろうね」
アルニはジャノメの顔をした虚神を見下ろす。プラネテスは白衣の袖を組み、与えられた競売会場の席でじっと座っていた。手を挙げる様子もない
「何も買おうとする様子がないな」
「もう買い物が済んだのか、ただ冷やかしているだけなのか」
「競りだけに限った話じゃなく、奴の狙いは何だと思う」
ネルソンが尋ねれば、アルニはいつものように真剣な顔で応じる。
「ジャノメさんの言うことが本当なら、自分の生まれた幻界の復活が目当てなんじゃないのか。そのために一度、他の幻界を滅ぼそうとしたという話だったよね」
「しかしなぜ隣暮に目をつけるんだ。ここはあくまでパンゲア幻界群の中継地点、または幻界群とパンサラサの境でしかない。奴らが故国を復活させるにちょうどいい土地じゃない。人口も足りないんじゃないか」
「長い年月をかけてやっと復活したような虚神堕ちに、隣暮を征服できるとも思えないね。準原種くらい長く生きているならば、そのくらいのことは分かるだろうに」
アルニはぶつぶつ言う。
「プラネテスの能力ならば、虚神たちをうまく隣暮に誘導して襲わせることも、彼らの力を増幅させることもできるはずだ。そうしないでわざわざ隣暮に入りこんだ理由は何? どうして名の知れた囚人の体を奪うなんて、私たちの目を引くような真似をしたんだ」
──やっぱり俺を騙そうとしているようには思えない。
アルニは優秀な渡守だ。その気になれば簡単にネルソンたちを丸めこみ、好きな時にいいように始末できるだろう。しかし、彼の性根はとんでもなく不器用だとネルソンは知っている。夏ノ谷で見た迷子のような顔が渡守にふさわしいかどうかは別として、輪廻路に仇をなす者の顔とはどうしても思えなかった。
信じて打ち明けよう。ネルソンは決意する。
「アルニ。ちょっと聞いてくれるか」
かけた声は会場のどよめきに紛れた。観客たちの視線が、檀上の商品に釘付けになっている。緋の絨毯の中心へと恭しく運ばれてきたのは、干からびた丸いものだった。大きさは渡守の両手程度。やや厚みがあり、完全な円ではなく楕円形をしている。全体的に茶けているが、端の白い方へいくにつれてわずかな赤みを帯びているから、そもそもの色は薄紅だったものと思われた。目を凝らせば、精密な脈が刻まれているのが窺える。
「おい。嘘だろ」
ネルソンの喉が震えた。アルニは蒼白な顔をしていた。
淡々と競売を続けていた進行者は、今初めて戸惑いの色を浮かべていた。
「申し訳ありません。まだお品があったようです」
手元の資料を見る。何度も紙をめくるが、該当する品目の名前がない。彼は声に出さず、唇に繰り返し同じ語をのぼらせる。その語は他のスタッフ、観客、誰もが口にしていた。
──あれはなんだ、見たことがない。
「ダメだ。それは、出品しちゃあならんものだ」
舞台袖から血相を変えて男が飛び出してきた。小太りの中年である。燕尾服をひるがえし、客席に向かって両手を振る。
「皆さん、聞いてください。これは我々裏通り経営陣に対する、何者かからの悪意ある悪戯です。この品は、今日の競売を始めるまで無かった。我々にこれを出品し、競売に掛ける意図はありません。本日のオークションは終了、終了させてもらいます──」
「そんなつまらないことを言わないでおくれよ」
観客席から声が上がった。
会場がしんと静まり返る中、観客席から舞台へと上がった者がいた。ジャノメだ。正確には、彼女の姿を借りたプラネテスと呼ばれる生物である。ついに虚神堕ちが動き出したのだ。
プラネテスはもったいぶった動作で経営者、観客、それぞれにお辞儀をする。
「これを加えさせてもらったのは私さ。この世の深淵を覗き込まんとする、善良にして強欲なる紳士淑女の皆さんに見ていただき、この隣暮に隠された悲しい歴史を知ってもらいたい。そのような老婆心から、あの化け物たちの住む島より運よくこの手に落ちた貴重な品を、出品はしないまでも披露させていただいた次第」
「あなたは春ノ郷のジャノメ博士でしたね」
競売主催者が険しい顔になる。
「お気持ちだけいただきましょう。今日のところはもうお引き取り願いたい」
「皆さん、これが何かお分かりかね」とプラネテスは主催者を無視して声を張り上げる。
「これは天上に住まう輪廻の使いが生まれる蓮座。その一片なのさ」
ひときわ大きなどよめきが起こった。
主催者が舞台袖、会場後方に控える警備機械に命じる。
「この客人を連れ出せ!」
「おっと。そもそもの客人がどちらか、分かっていないようだね」
プラネテスは指を鳴らした。
彼女のだぶついた白衣より、おびただしい量の影が飛び出した。影はすべて黒い蛇だった。体中に黄金の文字に似た模様が刻んである。黒い波が床をひと撫でし、階下のすべての生き物にまとわりつく。会場中で悲鳴が上がり、人々は恐慌状態に陥った。主催者が慌てて機械たちに停止を命じる。
「やめろ、動くな! 皆さんも落ち着いて、動かないでください。そいつらの口に触ってはいけない」
プラネテスは笑っていた。
「紳士淑女の皆さんはご存知かな。今、皆さんのおそばに参上したのは追放霊と呼ばれる生き物だ。彼らは一度噛んだものを離さない。君たちをそのまま彼らの巣穴、虚淵までまっすぐお連れするだろう。パンサラサツアーをご希望の方はぜひ、彼らの牙に自分の袖を引っかけてみてくれたまえ。愉快で刺激的な旅をお約束するよ」
──厄介なものを持ちこんでくれやがって。
ネルソンは悪態を思い浮かべる。
追放霊はパンサラサに生息する虚しい霊魂の一種だ。パンサラサに流れこみ、行き場を忘れてしまった無念が結実したものと言われている。
「アルニ、どうするよ。幸いここまでは昇ってこないみたいだから、助けを呼ぶなら俺らがやるしかないと思うが」
バルコニーにいた他の立ち見客は、すでに全員逃げ出していた。彼らが助けを呼ぶかどうか、そもそも何がこの状況を救ってくれるのか分からない以上、自分たちもできることを検討した方がいい。
「おい、聞いてるのか」
返事を得ようと同行者をうかがったネルソンは、眉をひそめた。アルニは階下を見つめて微動だにしない。色の濃い虹彩は、ステージ上の干からびた花びらだけを映していた。
「アルニ?」
「それではお聞きいただこう。これはゴンドワナ崩壊直後に迫害され、現在にいたるまで疎外され続けている、悲劇の一族の物語だ」
プラネテスは語り出した。




