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あなたは楽しく、優しい。知らないものの名前と憧れを教えてくれる。
「あれは永らえの島。どこにでも飛んで行ける者が住んでいて、緑がたくさんあって、いいところよ。私たちの本当のおうち。あなたもいつか行くところ」
「どうしてあそこへ行くの」
「私たちはそもそもあそこから落ちてきたのよ。いいように使われて、捨てられた。可哀想ね、見捨てられたのね。でも大丈夫。あなたは今にあいつらを見返すわ」
あなたはか弱い。自分一人で歩くことができない。その日の調子によって、とても機嫌が良かったり、ひどく取り乱したりする。
「あなたは非道い子。私が苦しんでいても気付かない。何もしない。助けようとしない。だから捨てられたのね」
あなたは叫んで腕で叩く。細い腕は鞭のように鋭く抉る。金切り声は鼓膜に突き刺さり、弱らせる。
あなたを助けないといけない。そうでないと、ひどく弱る。
何よりもあなたを優先できるよう、努力した。何かに夢中にならない。遠くへ行かない。他に生きる場所がないのだから、自分で頑張らないといけない。
──何を、どうやって?
あなたは他の者たちと暮らしていた。他の者たちの世話もしているみたいだった。自分のことだって、満足にできていないのに。
善意であなたの手伝いをする。あなたは自分一人で動けないから、手を貸す。足を貸す。
「さすがだわ」
あなたはそう褒めてあちこちに出掛ける。この手で指さして、この足を使って、どこへでも行けると思っている。これは、あなたの足だからと。
他の者たちは、この献身を当たり前だと感じている。その負担に対して考慮しない。
「いつも悪いね。ごめんよ」
そうは言うが、自分が許されたいだけなのだ。いっそ、ごめんという言葉がなければよかったのにと思う。
「ごめんって言ってるんだから、許すのが当たり前でしょう。許せないなら、あなたの人格に問題があるんだわ」
あなたはそう言って責めた。
その度に、衝動が強まっていった。
*
春ノ郷の湯殿は四領一の規模を誇る医療機関である。カロンは永らえの島より与えられた驚異的な回復力を持つため、魄体への外傷だけならば舟鉢に入って寝れば完治する。しかし、間近で虚神の干渉を受けた場合はそうはいかない。虚神は魂へ働きかけるからだ。魂に入ったヒビは、湯殿でないと癒せない。放っておけば虚神堕ちするか自己崩壊してしまう。
急いで湯殿に運びこんだ甲斐あって、寄生鬼追跡班はほどなく目を覚ました。全員の精神に異常がなく、外傷も少ない。大事をとってもう少し療養すれば何ともなくなるだろうと診断された。
ネルソンたちは入院している追跡班を見舞った。追跡班は隔離病棟にいた。四人とも同じ、檜を切り出して作った清潔な病室に寝泊まりしており、他に患者もいなかったので、気兼ねすることなく話をできた。
追跡班のメンバーは迎え番のアイダとカルメ、御用聞きのバーサ、案内番のタイスである。迎え番は転生者を含めた来訪者と接することが多いから、探知の術に優れた者が多い。追跡班は、河原で見つかった寄生鬼を追うためだけに結成された班であった。
「僕たちは寄生鬼の匂いを追っていたんだ。寄生鬼は黄泉ヶ原に抜け道を見つけ、夏ノ谷の黄金渓へ移動したようだった。洞窟の奥に虚神がいるのは気配で察せていたんだが、何がいるかまでは分からなかった。まさか、正義鬼だったとは」
一番喋れる状態だったのは、班長のタイスだった。彼はベッドに上体を起こして状況を説明し、他の隊員たちを痛ましげな表情で見つめた。迎え番のアイダは長い睫毛の隙間から、黒目がちの瞳をこちらへ向けて一言も発さない。カルメは頷いているものの、ザラメ色のボブヘアーに治療用のイヤマフをつけたままである。バーサは眠っていた。
「一命を取り留めたからよかったものの、みんなには苦労をかけた。まだ正義鬼の影響で失語や幻聴が治らないんだ。今は大きい声を出さないであげてくれ。本当はバーサも君たちに会いたがっていたんだが、彼は特に消耗が激しい。寝かせてあげてほしい」
「起きている時に、また来ます」
マッキーが眠るカロンの枕元に、黄バラの小さなリースを置く。バーサの眉間に寄っていた皺が薄くなる。
ネルソンは静かにしている同僚の二人に、永らえ花の砂糖漬けの小袋を一つずつ渡した。アイダは破顔し、さっそくきらきらとした花を口に運ぶ。言葉はない。失語の症状が重いらしい。一方、カルメは小袋を握りしめ、ネルソンの目をまっすぐに見つめて口を動かした。
──ありがとう。
声は出ていないが意識は明瞭で、意思疎通ができるようだ。
カロンの持つ探知の通力は、おおよそ第六感と五感一つに基づく。ネルソンは視覚に長じているので、第六感で感じ取った気配を見ることができる。同じように、アイダは嗅覚で対象を探り当て、カルメは聴覚で異常を感じ取ることが得意だった。また、カルメは第六感に優れており、魂波を使えない相手にも声を届けることができた。
ネルソンは腰袋からメモ帳と筆記具を取り出し、カルメと筆談を始める。
「何があったんだ。寄生鬼の気配を追ってたんだろう」
「途中まではうまくいっていた。実際に寄生鬼を見つけたんだ」
何にも化けていない、魄体を乗っ取ってもいない、寄生鬼の基本態である団子の形状をした個体だった。ネルソンが見たのと同じものだろう。
「洞窟に入ってから見かけた。俺たちは追いかけた。そうしたら急に、正義鬼が出てきた。俺たちは巣に正面から入ってしまったんだ」
「急いでいたのか。それにしたって、あんたらが正義鬼の罠に気づかないなんて珍しい」
「本当に一切気配を感じなかった。巣窟の規模から考えるに、いくら俺たちが迂闊だったとしてもまったく気付けなかったのは変だ。あの巣穴のどこかに探知妨害の導具が置いてあったんじゃないだろうか」
「虚神が導具を使うか?」
「正義鬼ならあり得る。ネルソンはどうやって俺たちを見つけたんだ」
「偶然、呼水を利用して虚神の気配を探知できる導具を持っていた。それを使って、近くの水場を通じてあんたらを見ることができた」
「納得した。いくら性能のいい導具でも、呼水の働きを隠せるものはない」
「あとで巣窟内に不審な導具がなかったか、夏ノ谷の調査状況を聞いてみるよ」
追っていた寄生鬼はどうなったかと尋ねると、カルメは首を振った。
「分からない。俺たちが正義鬼に気を取られている間に、洞窟の奥へ跳ねていくのは見えたんだけど、その後は把握できていない」
「今頃、正義鬼たちと一緒に洞窟へ閉じ込められているといいんだが」
「寄生鬼は逃げるのが速い。水路を通じて外に出たかも」
「ああ、その可能性があったか。運のいい奴だな」
「本当に運がいいだけだったんだろうか」
カルメが意味深なことを言い出した。
「どういうことだよ」
「俺たちに追われて逃げこんだ先に、ちょうど存在を隠している正義鬼の巣があったなんて、偶然で片づけていいのかな」
「虚神が連携したって言いたいのか」
「そうだ」
虚神には内向型と外向型がいる。しかしそれは活動が自分のうちに篭もっているか、自分の歪みを外にぶつけるかという違いであって、異なる種同士の虚神が協力したことなどなかった。魂魄体への寄生を基本とする寄生鬼でもそうだ。寄生鬼の寄生の相手はパンゲア幻界群の理性ある生物で、虚神を宿主に選ぶことはない。
「そんなバカな」
「万歳鬼の分裂だって起きたんだ。虚神の連携という変化が起きていてもおかしくないんじゃないか」
そうなのだろうか。
虚神の連携。変異と分裂。導具を使うもの。黄泉ヶ原に侵入した寄生鬼と、準原種の寄生鬼。研修任務で暗示された、虚神を呼ぶ者の存在。
──すべて繋がっている可能性もあるんじゃないか。
何のために?
ネルソンは考えた。全貌はとても捉えきれず、ただ暗澹たる予感が渦巻くだけだった。




