主人
昨夜、夕食は一緒に摂れない旨を王太子殿下に使用人から伝えてもらった。これで男爵の耳にも入ったことだろう。なんというか、どうして私がそこまで気を使わないといけなかったんだろうと思ってしまう。男爵の屋敷の前に並んだ馬たちを眺めながらそう思っていると、やっとあいさつが終わったのか王太子殿下が馬に乗った。それに倣って私たちも馬に乗る。
「昨日のこと、ゆめゆめお忘れなきよう」
男爵が近づいてきて私にだけ聞こえる声量でそういった。なんだこいつ、と思ったけれど顔には出さずにマントの下で頷いておく。結局王太子殿下と私では立場が違うのは自明の理だ。やっぱり呪いが解けたあとは王宮に仕えるのではなく、街で医者でもやった方が気楽かもしれない。
「フューイ、どうかしたか」
王太子殿下が訝しげな顔をして私に声をかけてくる。それに首を振って応え、王太子殿下のそれ以上の声かけを拒否するように馬をゆっくりと歩かせる。王太子殿下よりも先に馬を歩かせるなんて不敬だ、と言われそうだけれど男爵の前で王太子殿下に優しくされる方が面倒になりそうだった。
「おきをつけて」
男爵の声が聞こえる。王太子殿下が馬を歩かせ始め、テセト王子がそれに続く。次に私。最後尾にエルム様がつく形になった。今回の旅はこないだの旅よりもゆっくりと進むらしい。以前あんなことがあったのだから当たり前かもしれない。
「次は子爵の屋敷に泊まることになっている」
そう言われて、マントの下で頷いておいた。テセト王子が私のことを振り返ってみるのがわかる。それに対しては微笑みで返しておいた。王太子殿下との間に何かがあったわけではないけれど、釘を刺されれば警戒してしまう。
「フューイ」
王太子殿下が私のことを呼んだのは風に流されて聞こえないふりをしておいた。
リャトは一心不乱に恋に関する本を集めていた。蔵書室にある本をマーロに頼んで持って来させ、自分の書物の中にも恋に関する本がないか調べた。マーロはリャトが恋に関する本を集めてほしいというと、すわ初恋か、と気色ばんだが、リャトが兄上のお役に立ちたい、というと全てを察したように動いてくれた。
そして吃る癖がなくなったことも涙を流して喜んでくれた。
「リャト様、とりあえずある分は全てお持ちしました」
「ありがとうマーロ。全部読むから置いておいて」
机に向かってまず一冊目の本を捲る。捲るとすぐに、抱き合っている男女の麗しい絵が描かれていた。そうか、兄上とフューイもこういうふうになるかもしれないんだ、そう思ってリャトは二人がそうしている姿を思い浮かべた。なんだ、お似合いじゃないか。そう思ってリャトは本を読み進めることにした。リャトはギリウスよりも前向きだった。
マーロはそんなリャトの姿を後ろから眺めながら、ギリウス王子が恋をしたんだろうな、と思っていた。リャトが応援する兄上はギリウス王子しかいない。それにしても誰に?という疑問はあったものの、マーロは臣下としての立場をわきまえていた。深追いすることはあるまい。リャトが恋をしたのならば話は別だけれど。
ギリウス様が恋をしたという話を今まで聞いたことがないな、とマーロは思った。つまり初恋かもしれないのだ。マーロはギリウスに恩を感じている。自分の主が引きこもってしまった時も、足繁く通ってリャトのことを励ましてくれた。だからギリウスの役に立ちたいと思っている。
リャトの私室に頁を捲る音だけが響く。マーロは静かに本を読みやすいように並べ直す。リャトの思考の邪魔をしないようになるべく静かに動いていると、リャトがペンを持って何かを紙に書きつけた。リャトからすれば何かの発見があったのだろう。
マーロは自分の主のことを尊敬しているし、敬愛もしている。でも恋に関してはリャトに教えられることは何もないと思っていた。マーロも恋をしたことがなかったからだ。膨大な書物の中から、リャトが求めているものを発見できることを願いながら、マーロは静かに書物を並べ直した。




