追憶せよ
情けないにもほどがある断末魔をあげながら、俺は目を閉じた。…………静寂。死の世界に移動する奇妙な虚脱感がない。
まさかと思い、目を開けてみると竜巻は俺の脳天スレスレで停止していた。周囲を渦巻く風が皮膚やらを地味地味と切りつけているが、致命傷となる一撃は直前で停止していた。
「き、君……? イーリスちゃんだっけ? ななな、なんで抱きついてるの?」
前方を見てみると、ヒビキが槍をこちらに向けるなかイーリスが彼の体に思い切り抱きついていた。なお、透明である。
「カイトを攻撃しないでください。あんなの食らったら臓器と脳漿飛び散らして死んじゃいますよ……。も、もしどうしても攻撃するならティアが服を脱ぐので許してください」
気色悪いくらいの猫撫で声。けれどまさかあんな男に抱きついてまで守ってもらえるとは予想外だった。あいつが色々邪悪なのは知っているが、それでも少しばかり胸が締め付けられる。……こんな弱い自分が初めて腹立たしく思えた。
「……分かりました。責任を取ります。そのスキルを止めなければ脱ぎます。道を開けなくても脱ぎます。それでも駄目ならあなたの自由にすればいいではありませんか。どうせワタシは機械。リスクはありません」
ティアも淡々ととんでもない発言をすると杖を捨て、服の一枚を……黒いワンピースの上に着ていたフリルのついたエプロンを脱ぎ捨てる。既にアシッドポーションを受けていたために、肌の露出部分がより一層増していた。なお、透明である。
しかし、二人とも体を張って敵を倒そうと企てているのだ。……俺が服を脱がせたり、俺が抱きつかれる分にはどうでもいいが、他の男に対してそういったことをされると、腸が煮えくり返るような感覚がした。
「やめろ! イーリス、ティア! ……おい糞野郎! てめえなんてことしやがる! 勝つために女を無理矢理抱かせて、脱がせて屑の極みだてめえは!」
「ええええ!? いや、待ってくれ。落ち着くんだ! 分かった、俺もスキルを解く。とりあえず皆でゴミを見るような目で見ないでくれ。トラウマが掘り起こされるから」
ヒビキは慌ててスキルを解除し、槍を下ろした。しかしイーリスは以前抱きついたままで、ティアはエプロンを拾って身に付けようとはしない。
「ヒビキぃ! 分かった。俺の負けだ。だからその二人を放せ。駄目なら俺の右腕でもどこでもあげてやる」
俺はそう言って自分の右腕に投げナイフの一本を突き刺した。ぐじゅりとグロテスクな音が響き、刃が完全に腕を貫く。ヒビキの取り巻き二人が酷く慄いて顔を伏せ、小さな悲鳴を漏らす。ヒビキはというと、もはや頭が追いついていないのか困惑しきっていた。
「これでも駄目か……? ああ、痛い。痛い…………。これでも駄目か? ……駄目なら、切腹だってしてやる」
俺は続けざまに自分の腹部に剣を突き刺した。うじゅうじゅと、肉を貪るような汚らしい音が聞こえ渡る。部屋全体に重々しく響く。
「があああああああああ!」
とりあえず叫んだ。見た目は致命傷だが実際は【オンリーワン】でかすり傷だし、その程度の傷なら痛みなど毛頭ないのだが、悶絶して腹の底から声を上げた。我ながら迫真の演技である。
「なにしてるんだお前!? 皆落ち着いてくれよ! 俺は脱げとか抱いてとか切腹しろとか一言も言ってないだろう……!! と、とりあえずすぐに回復魔法をするんだ! MPがないなら俺のポーションを使え」
さっきまで人のことを殺そうとしていた奴とは思えない態度の変わりようだった。まぁいきなりこんな状況なったら俺だってびびる。
ヒビキが慌ててポーションを取り出そうとするなか、ティアが俺の元に駆け寄ってくる。いまだ透明の解けない彼女だが、ゆっくりと顔を近付けて俺の耳元で囁いた。
「……あとで褒めてください」
それが意味するものは既に分かっている。俺は返答の代わりに呻き悶え続けた。
「……ティア…………俺のことはいい。先へ、行くんだ…………」
「今、剣を抜きますから死なないでください」
そう言って少女の見えざる手が腹部に突き刺さっている剣の柄を握り、引き抜こうとする。しかし僅かに刃が動いただけで、大量の血が出るだけだった。
なんともなかった意識が急激に遠退いてく。めっちゃ痛い。本当に引き抜くフリをして動かしたら……どうやらティアの攻撃になるらしい。
「あ、マジで死ぬこれ……」
「ヒビキさん、ワタシの筋力では引き抜けません。手を貸してください……!」
「わ、分かった。俺に任せろ。さすがにこれで死なれたらトラウマになる」
ヒビキは慌てて俺の元まで来るとまずは俺の腹部に痛み緩和のポーションをかけてくれる。そして緊張した面持ちで剣の柄を握り締めた。
「3、2、1で引き抜くからな……。じゃあ行くぞ。3、2、1」
そう言って彼は一思いに剣を引き抜いた。さすがに致命傷となったのか、ズキリと鋭い痛みが襲う。緩和してこれなのだから辛い。だが、千載一遇のチャンス! ここで仕留める!
「……【マジックローション】」
俺はぼそぼそとうわ言のように、スキルを唱えた。最後のローションは手からではなく腿の辺りから水溜りを作るように分泌していく。敵は罠に掛かった。
――――剣を引き抜く際に加えた力と、摩擦力が皆無に等しくなった床によって、ヒビキは後ろに転倒する。
「【ヒールライズ】」
ティアの回復魔法が、死に掛けていた心身を瞬時に再生の力で満たす。俺は転倒するヒビキに飛び掛り、自分の腕に刺していたナイフを引き抜いて、馬鹿みたいに開いていた口の中に遠慮なく突き刺した。
「ヒビキ様!?」
俺の切腹を見て完全に我を忘れて呆然としていたエルフちゃんが、それより衝撃的な状況によって我に返ったがもう遅い。
「悪いけどお前にはこれから楽しい体験をしてもらうぜっ!? いや、本当悪いと思ってるから許して!」
俺はそう言って彼の口に追憶のポーションを流し込んだ。本当はイケメン君との交渉が失敗したときのためだったが、結果オーライである。
「よし、飲んだな」
彼がポーションを飲み込んだのを確認して、俺はナイフを引き抜いた。全部俺が行なった攻撃なので彼の口にはほんのりとかすり傷が残るのみである。
「悪いな。追憶のポーションがないってのはブラフだ。まぁお前にはその嘘はついてないし、許してくれや。俺が弱いからティアとイーリスが体を張ったんだが、かなりムカついたぞ。糞が」
「うわあああああああああああああああああああああああ! 助けて! なんだこれは! アハハハハハハハハハハハ!!」
どうやら追憶のポーションの効果が始まったらしい。ヒビキが狂ったように絶叫し、涙を流しながら笑い始めたのがいい証拠だ。
「よし、ティア、イーリス。先を急ごう」
俺が立ち上がって二人を呼びかけると、ついさきほどまで呆然としていたヒビキの仲間二人が杖を構えて立ち塞がった。
「動かないでください。ボクたちだってた、戦えます……! ヒビキ様に何を飲ませたんですか!?」
「追憶のポーションだ。俺が虫けらだったころを体験してもらってる」
ウデムシになる体験をしたのは世界史上これで二人目になるわけだ。貴重な体験だ。まともな人だったらすぐには立ち直れない。
「どうすれば治る!?」
エルフが凄まじい剣幕で尋ね、杖を向けた。女の人は怒らせると怖いというが、なかなかの威圧感である。だが慌てる必要はない。ヒビキがああなった以上こちらは人質を得たに等しい。
「それは…………あれ、意識が」
不意に体から力が抜けていくような、回復魔法で補われた生命力が離散していくような…………。剣を刺した腹部が再び痛み出す。ああ、そういえば俺、死にやすいんだったわ…………。どうやらティアの回復は微妙な延命にしかならなかったらしい……。
「【レイズ】」
「……おはよう」
体感時間にして10分程度死んだ世界にいたが、どうやらこっちではさほど時間が経っていないらしい。ヒビキの取り巻き二人が唖然としているのが少しばかり面白い。
「お、起きましたね。さぁ教えてください。ボク、こんなヒビキ様これ以上見たくありません!」
「ポーションの効果を打ち消すポーションなら割と売っていた。今から買ったらどうだ? もし俺達が先に進むのを邪魔するなら俺の盗みがお前等を麻痺らせて、行動できないところでスカートを剥ぐ。そして紐で縛る。逃げるなら見逃してやる」
まぁ【パラライズタッチ】も【スティール】もMP不足で撃てそうにないが、そんなこと彼女達には分かるまい。エルフとボクっ娘は一瞬の沈黙をおいて、二人同時に頷くとヒビキを抱えてそそくさとその場を出て行った。我々の勝利である。
京凰院響
哺乳網 霊長目 真猿亜目ヒト科で学名がHomo sapiens sapiens (ホモ・サピエンス・サピエンス)とされている動物の一個体。性別はオス。
創意工夫に長け、適応性の高いホモ・サピエンスはこれまでに疑いようもなく、地球上で最も支配的な種として繁栄してきた。国際自然保護連合が作成した絶滅危惧種のレッドリストでは、「軽度懸念」(低危険種)とされている。「ホモ・サピエンス」という学名は1758年にカール・フォン・リンネによって考え出された。ラテン語の名詞で「homō」は「人間」を意味する。ホモは人間を意味する。
下肢が上肢に比べて大きくて強い、骨盤の幅が広くて大きく直立二足歩行を行うことへの適応の結果生じた形質となっている。直立二足歩行によって、ヒトは体躯に対して際立って大きな頭部を支える事が可能になった。結果、大脳の発達をもたらし、極めて高い知能を得た。加えて上肢が自由になった事により、道具の製作・使用を行うようになり、身ぶり言語と発声・発音言語の発達が起き、文化活動が可能となった。
分布は世界中に及び、もっとも広く分布する生物種となっている。
京凰院家は代々道場で宇宙CQCを伝えてきた由緒正しき家名であり、人を守り助けることが家訓であるため彼はよくボランティアなどでゴミ拾いなども行なってきた人物である。東京都の城南地区に生息し、大学も卒業していたが、重度の喫煙者であったがために、煙草への依存症状を無くすべく異世界に転生する際、精神と肉体年齢が若返っている。
彼自身は紛れもなくホモ・サピエンス・サピエンスの一固体であるが、その血にはアザトースと呼ばれる邪神の血が流れており、人間と分類していいか定かではない。また異世界転生をする前に何度か邪神と接触しており、その体にはクトゥグアが融合し、転生をする前から人間ではなくなった。またマンションでは擬人化した名状しがたき生物とハーレムを既に築き上げており、その擬人化した名状しがたきもの自体も相当な戦闘能力であった。
しかし、夜の試合を終えて家路へ向かう名状しがたき者達。
疲れからか、不幸にも黒塗りの高級車に追突してしまう。可愛い女の子をかばいすべての責任を負った響に対し、車の主、星の智慧派のナイ牧師とバベッジ・インコーポレイテッドのブラッドW・トンプソンが言い渡した示談の条件として彼は異世界へ行くこととなる。
何もないところから炎の槍を出し、または炎の拳銃を出したり、動物を擬人化させたり、地球を破壊したり、神様を召喚したり、空裂眼刺驚! のようなこともできるが、これは元々彼が使用可能だったものであり、異世界転生の際に得た能力ではない。
彼が異世界転生で得たものは精神と肉体の若さのみである。そして新しい女の子。しかしその子達からの扱いは、TNTNに剣を突き刺される事件があって以来あまりよろしくない。妙に気遣われている。




