炎の実力
カヅチを先頭に調査隊が動き始めた。
その先に延びているのは、黒い岩壁に挟まれた広い通路だ。前回の調査でも通った場所で、壁際には政府が設置した誘導灯が一定の間隔で並んでいる。
北田が記録用カメラを回し、《炎》の配信にも同じ光景が映し出された。
「東京異界深層、二次調査を開始する」
カヅチの声が配信へ乗る。
事前に調査の実施は告知されていたが、詳しい参加者までは公表されていなかった。先頭を歩く赤髪の女性が映っただけで、待機していた視聴者のコメントが一気に加速する。
《カヅチ!?》
《世界二十一位が先頭にいるんだけど》
《日本に帰ってたのか》
《今回の調査、本気すぎるだろ》
配信用カメラが隊列の後方へ動き、銀の眼鏡をかけた柳を捉えた。
《柳さんもいる!》
《今日も凛としてて素敵》
カメラが隊列の中央へ向くと、コメントの流れはさらに速くなった。
ガス対策装備の上に黒いスーツを重ねた撮影者。その隣には絢香がいて、猫の被り物の上にはこはくまで座っている。
《絢香さんまでいる!》
《撮影者さん!?》
《こはくもいるぞ》
《参加者が豪華すぎる》
《絢香さん、絶対に新しい食材を探しに来ただろ》
最後に後方の西郷が映ると、先日の報道番組を見ていた視聴者がすぐに反応した。
《西郷よかったな》
《ついに絢香さんと一緒に異界へ行けたじゃん》
《コラボ成立》
《これはデートではありません》
《撮影者さんスーツ姿久しぶり》
「西郷さん、後ろはお願いします」
前を歩く絢香が振り返る。
「は、はい! 任せてください!」
返事がわずかに上擦った。
《声が上擦ったぞ》
《対面すると駄目なの変わってなくて安心した》
《テレビではあんなに堂々と好きって言えるのにな》
一部の冒頭者達は西郷がこうなる事は知っている。
西郷は流れているコメントを知らないまま、何事もなかった顔で後方の警戒へ戻った。
◇
出発して間もなく、最初の魔物が現れた。
岩壁の亀裂から飛び出してきたのは、背中に黒い棘を生やした魔物だった。体長は三メートルを超える。
「前、来るぞ」
カヅチが告げるより先に、《炎》の五人が左右へ広がった。
先頭の一体を正面から受け止め、続く二体を左右へ流す。側面を守っていた二人もすぐに回り込み、中央へ近づこうとした魔物を外側から仕留めていった。
深層に生息するだけあって、一体ごとの動きは速い。牙も爪も、下位の冒険者ならまともに受けられるものではなかった。
それでも、五人の間を抜けた魔物は一体もいない。
友丸は腰の黒いナイフへ手を添えただけだった。カヅチも柳も、西郷も動かない。
戦闘は一分とかからず終わった。
《《炎》のAランクも普通に強いな》
《十体以上いたよな?》
《西郷もカヅチも撮影者さんも出番なし》
《これでまだ余裕があるの怖い》
倒した魔物の一部を調査班が採取し、隊列はすぐに動き始めた。
途中で何度か魔物と遭遇したものの、《炎》の五人だけで危なげなく対処した。すでに調査を終えている区域では長く足を止めず、休息を挟みながら前回の経路を進んでいく。
分岐へ差しかかるたび、カヅチは友丸に振り返った。
「次は?」
「右だ。その先でもう一度分かれる。そこは左」
政府の調査員が携帯端末の記録と照らし合わせる。
「前回の経路と一致しています」
今回は、少なくともここまで大きな変化は起きていなかった。
やがて一行は、前回の友丸達が撤退を決めた地点へ到着した。
壁際には、そのとき設置した黄色い標識が残っている。
標識が見えた直後、技術班の持つ測定器から短い警告音が鳴った。
「睡眠ガスを検知しました」
カヅチが片手を上げ、隊列を止める。
周囲の景色に変化はない。色も匂いもなく、何も知らなければ、そのまま歩いてしまいそうな場所だった。
「濃度は?」
「前回の撤退時と同程度ではないかと思われます。現在の数値であれば、対策装備の許容範囲内です」
「全員、装備をもう一度確認しろ」
参加者たちは二人一組になり、互いの対策装備を点検した。継ぎ目や留め具に異常がないことを確かめ、技術班も一人ずつ測定値を確認していく。
「進む。少しでも眠気を感じたら、すぐに言え」
《ここが前回の撤退地点か?》
《今のところ誰も倒れてないな》
《対策装備、ちゃんと効いてる》
歩き始めて十分ほど経っても、眠気や身体の異常を訴える者はいなかった。
対策装備は正常に機能している。
張りつめていた空気がわずかに緩んだところで、測定器が再び鳴った。
「濃度が上がっています」
報告を受けてカヅチが足を緩める。
しかし、数秒後には数値が下がり始めた。
「……低下しました」
「装備に問題は?」
「ありません」
そのまま進むと、再び濃度が上がり、しばらくして下がる。
同じ変化が、ほぼ一定の間隔で繰り返されていた。
「どこかから断続的に流れ込んでいるのか?」
「風の動きはほとんどありません。発生源が近くにある可能性もあります」
技術班が測定器を調べている間も、こはくは何度も頭上へ顔を向けていた。
三度目に同じ動きをしたところで、友丸も足を止める。
「どうした?」
「みゃ」
こはくは天井を見上げたまま動かない。
友丸もその視線を追った。
天井までの高さは二十メートルほど。明かりが届きにくい場所に、黒い岩の塊がいくつも連なっている。
岩ではない。
「上にいる」
友丸の声に、全員が一斉に天井を見上げた。
照明が向けられ、黒い塊の輪郭が浮かび上がる。
天井に張りついていたのは、翼を持つ獣だった。
胴体だけなら六十センチほどだが、身体へ巻きつけた翼を広げれば二メートル近くある。黒い体毛と翼膜は周囲の岩と見分けがつかず、魔力も気配も完全に消していた。
意識して探さなければ、高ランクの冒険者でも気づかず通り過ぎていたはずだ。
その魔物が、天井一面に数十体。
一体の喉元が大きく膨らんだ。
直後、測定器の数値が跳ね上がる。
「こいつらが発生源か」
照明を受けた魔物が目を開いた。
一体が翼を広げ、それに続いて周囲の魔物も動き始める。天井を引っかく爪の音が、重なるように広がった。
「可能であれば、一体だけ確保してください!」
政府の調査責任者が声を上げる。
「一体でいいのね?」
柳の指先から、細い針が放たれた。
銀色の光が走り、翼を広げかけていた魔物の首筋へ突き刺さる。
魔物の身体から力が抜けた。
天井から落ちてきたところへ柳が滑り込み、胴体を受け止める。痙攣する魔物を持ち帰り用の隔離袋へ押し込み、すぐに封を閉じた。
「マスター、もう構いません」
「ああ」
前回採取したガスに引火性がないことは、すでに確認されている。
カヅチが片手を上げる。
天井に、小さな炎が一つ灯った。
続けて二つ、三つ。数十の炎が、目を覚ました魔物に飛んでいく。
次の瞬間、すべての炎が一斉に膨れ上がった。
飛び立とうとしていた魔物たちが、悲鳴を上げる間もなく炎に呑まれる。燃えた身体が落ちてくることもない。翼も牙も骨も、炎の中で形を失っていった。
カヅチが手を下ろす。
炎が消えたあとには、灰すら残っていなかった。
天井にも焦げ跡一つない。
数十体の魔物だけが、跡形もなく消えていた。
《カヅチやばすぎる》
《これが世界二十一位》
《骨すら残ってないんだけど》
《天井は全然焼けてないぞ》
《火力より制御がおかしい》
《柳さん、一体だけ先に確保してる》
《副マスターの仕事が早すぎる》
《《炎》のマスターと副マスター、隙がないな》
配信のコメントが埋め尽くされる中、技術班は測定器を見つめていた。
「ガス濃度、下がっています」
「ゼロにはならないのか?」
「はい。ここにいた魔物が放出した分は減っていますが、さらに奥からも流れてきています」
すべての原因を取り除いたわけではないらしい。
柳は隔離袋を硬い運搬箱へ収め、何重にも留め具をかけてから政府の調査員へ渡した。
「生きています。箱は開けないでください」
「分かりました」
運搬箱を受け取った調査員が、中央の隊列へ戻っていく。
カヅチは、その先に続く緩やかな下り坂へ目を向けた。
光は途中で途切れ、その先までは届いていない。
その坂の先は、前回の調査隊が踏み込めなかった領域だ。
「隊列を戻せ。先へ進む」
カヅチの指示で、散開していた《炎》のメンバーが元の位置へ戻る。
調査隊は再び動き始めた。




