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その日暮らしのおじさんの冒険  作者: よろず


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深層へ行こう



東京異界は、発見から四十年近くが過ぎた今も、その全容が明らかになっていない。


 深層と呼ばれる領域が、必ずしも異界の最奥とは限らないからだ。


 ほとんどの異界では、深層へ入ったところから経路がいくつにも枝分かれしている。一つを調べ終えても、別の場所から新たな領域が見つかり、その先でさらに分岐が続くことも珍しくない。


 小規模な異界の中には、すべての領域を調べ終えた例もある。だが、東京異界のような大型異界となれば話は別だ。


 かつて行き止まりと判断された場所に、数年後、新たな経路が現れた例さえある。


 深層へ進むほど魔素は濃くなり、生息する魔物も強くなる。調査員や記録員であっても、襲われれば自分の身は自分で守らなければならない。


 高濃度の魔素に晒されながら長時間活動することまで考えれば、深層で安定して動けるのはAランク以上の冒険者に限られる。


 今回の二次調査も、その前提で参加者が選ばれていた。


     ◇


 二次調査当日。


 東京異界深層への入口に設けられた前線拠点では、出発前の最終確認が進められていた。


 政府の調査担当者や技術班が慌ただしく行き交い、壁際には記録機材や予備の対策装備が並んでいる。少し離れた場所では、《炎》のメンバーが配信用機材の動作を確かめていた。


 今回の調査は、政府の記録班だけでなく、《炎》の公式チャンネルでも配信される。


 ただし、未公開の遺物や調査資料が見つかれば、政府の判断で撮影も配信も止められる。公開の可否を決めるのは、現場の冒険者ではなく政府側の調査責任者だ。


 まだ、どのカメラも回っていない。


 参加者たちが準備を進める中、拠点内へ一人の男が入ってきた。


 全身を覆うガス対策装備の上に、黒いスーツ型の遺物を重ねている。腰には黒いナイフ。顔には対策装備の上から猫の被り物をかぶり、その頭にはこはくが座っていた。


 友丸がこの姿で人前に出るのは、久しぶりだった。


「おはようございます、撮影者さん」


 大きな機材ケースの前にしゃがんでいた北田が立ち上がる。


「北田も参加するのか?」


「参加者一覧に書いてありましたよ」


「自分とこはくのところしか見てない」


「それを一覧に目を通したとは言いません」


 北田が呆れたように息を吐く。


「今回は政府側の記録を担当します。撮る方は任せてください」


「今日は撮らなくてよさそうだな」


「任せて下さい。一回撮影者さんの真似したかったんです」


 友丸が何か言いかけた所に、準備を終えた絢香が歩いてきた。


「装備、問題なかった?」


「ああ。重ねた状態でも普通に動ける」


「それなら大丈夫そうね」


「絢香さん」


 少し離れた場所から声をかけられ、絢香が振り返る。


 《炎》のメンバーと一緒にいた西郷が、妙に背筋を伸ばして立っていた。

「西郷さん、お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」


「は、はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」


 必要以上に大きな返事が拠点内へ響く。


 テレビや配信では、あれほど堂々と「好きです」と言えるのに、本人を目の前にすると途端に緊張する。

 絢香も西郷の好意には気づいている。それでも接し方を変えることはなく、《炎》の五人も見慣れた光景として、何も聞こえなかった顔で装備の点検を続ている。


「二人は初めてだったわよね」


「撮影者さん、こちらは西郷さん。《炎》のSランク冒険者よ」


「初めまして。西郷です」


「撮影者です。先日の番組、見ました」


 友丸へ向き直ると、西郷から先ほどまでのぎこちなさが消えた。


「ありがとうございます。ロサンゼルス異界の件で、少し話を伺ってもいいでしょうか?」


「答えられる範囲なら」


「その話は、無事に戻ってからだ」


 長い赤髪を背中へ流したカヅチが、二人の間に入った。


「分かりました」


 西郷が素直に引き下がる。


 入れ替わるように、銀ぶちの眼鏡をかけた女性が歩いてきた。《炎》の副クランマスター、柳だ。彼女もSランク。片手には、参加者の情報をまとめた携帯端末を持っている。



「初めまして。《炎》の柳です」


「初めまして。今日はよろしくお願いします」


「私は後方から全体を見ます。何かあれば、近くの《炎》へ声をかけてください。誰が受けても、すぐ私に伝わるようにしてあります」


「分かりました」


 柳がこはくへ目を向けると、先回りするように「みゃ」と返事が返ってきた。


「頼りにしてるわ」


 柳は笑うと、カヅチへ目を向けた。


「それと、マスター。参加者を増やすなら、決めた時点で連絡してください。隊列と役割を直前に組み直すのは大変なんです」


「悪かった」


「今回は間に合いました。次からお願いします」


「ああ」


 《炎》から参加するのは、カヅチ、柳、西郷に、深層での活動経験を持つAランク冒険者が五人。そこへ政府の調査班と記録班、外部協力者として絢香と撮影者が加わる。


 撮影者だけは冒険者ランクを公表していないが、その参加を疑問視する者はいなかった。


 そこへ、測定器を手にした政府の技術班員が近づいてきた。


「装備の最終点検を行います。両腕を上げてください」


 友丸が指示に従うと、技術班員は対策装備の継ぎ目と、スーツ型遺物を重ねた部分を順番に調べていく。腰の黒いナイフも、申請されたものと同じだと確認された。


「問題ありません。損傷や違和感があれば、すぐに申告してください」


「了解です」


 技術班員が離れて間もなく、政府の担当者から声が上がった。


「参加者全員の装備点検が終了しました」


「分かった。全員、集合しろ」


 カヅチの一声で、拠点内に散らばっていた参加者が動き始める。


 調査隊が半円状に集まるのを待ち、カヅチは全員の顔を見回した。


「対策装備があるからといって、安全が保証されたわけではない。眠気や身体の異常を感じた者は、すぐに申告しろ。誰かの異常に気づいた場合も同じだ。撤退を決めたら、調査の途中でも全員で戻る」


「異常が見られた際は、誰が中止を求めても構いません」


 柳が続ける。


「誤認でも責任は問いません。迷った場合は、進むより止まることを優先してください」


「配信も、政府から指示が出た時点で止める。記録班の指示に従え」


 参加者たちが揃って頷いた。


「隊列を伝える。先頭は私と《炎》の三人。撮影者と絢香は中央前方。調査班と記録班を中央に置き、残る二人が左右を守れ。柳と西郷は後方だ」


 参加者たちが、それぞれの位置へ移動する。


 北田が記録用カメラを構え、《炎》の配信用機材にも電源が入った。


「撮影を開始してください」


 政府の責任者から許可が下り、カメラのランプが赤く灯った。


 拠点内から話し声が消える。


 カヅチはその向こうに広がる暗がりを見据え、片手を上げる。


「行くぞ」


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