もふもふVS迷惑系配信者
昼を少し回った頃、枕元に放り出していた携帯が鳴った。
坂田友丸は布団の中でしばらく無視していたが、二度目の通知音でようやく腕を伸ばした。
冒険者向けの依頼通知だった。
《東京異界・短期依頼》
《推奨ランク:D.C》
昨日はカードの更新へ行き、そのまま三浦に新人研修を押しつけられた。夜は約束通り酒を奢らせ、今日は何もしないと決めている。
友丸は通知を消そうとして、その下に表示されていた数字で指を止めた。
《報酬 三万円》
「……三万か」
予定が少し揺らいだ。
詳細を開く。
依頼主は異界生物の生態調査を行っている民間企業だった。
東京異界の浅層で観測していた小型魔物の一体が行方不明になり、首につけた発信器からの信号も途絶えたらしい。
対象の生存確認。
発信器の回収。
捕獲の必要なし。
添付された写真には、灰色の毛に覆われたウサギによく似た魔物が映っていた。長い耳に大きな後ろ脚。そこまではウサギそのものだが、尻からは細長い尾が伸びている。
危険度は最低区分。
最後の信号も入口から七キロほど。
「一、二時間で三万……」
友丸は天井を見た。
何もしない一日と三万円。
十秒ほど悩み、受諾ボタンを押す。
一時間後には、いつものくたびれたズボンにシャツ、古いジャケット姿で東京異界へ入っていた。
今日は一人だ。
携帯へ送られてきた発信器の最終受信地点だけ確認し、そのまま森へ向かう。
昨日の新人研修とは違い、誰かに歩調を合わせる必要もない。足場の悪い場所を自然に避け、獣道を使い、迷うことなく森を抜けていく。
途中で襲ってきた魔物も、小太刀を一度抜いただけで片づけた。
素材は拾わない。
安い。
今日の目的は三万円である。
二十分ほどで最終受信地点へ到着した。
当然、そこに対象はいなかった。
だが、探すのに時間はかからない。
倒れた草。
柔らかな土に残った小さな足跡。
枝に引っかかった灰色の毛。
少し先では別の魔物の足跡と重なり、そこから小さな足跡の間隔が大きく広がっていた。
「追われたのか」
友丸は端末の予測経路とは違う方向へ進んだ。
十分ほど追ったところで、人の声が聞こえてきた。
「お、いたいた! こいつだよ!」
妙に大きな声だった。
友丸が木々の間から覗く。
若い男が一人いた。
探索用の軽装に短剣。片手には撮影用端末を持ち、胸元にも小型カメラを装着している。
その先にいたのは、写真と同じ灰色の小型魔物。
首元には発信器も残っていた。
「見つけた」
今日の仕事はほぼ終わった。
ただ、男は生配信中らしい。
「何これ? 見たことある奴いる? めちゃくちゃ可愛くね?」
男がカメラを近づける。
小型魔物は警戒して後ろへ下がった。
「逃げんなって。ちゃんと映れよ」
男が近づく。
小型魔物も離れる。
最初はそれだけだった。
友丸も木陰から眺めていた。
撮影が終われば、発信器を回収すればいい。
ところが男は、逃げる小型魔物を追い始めた。
「ほらほら! どこまで逃げんだよ!」
端末の画面には次々とコメントが流れている。
やがて視聴者の一人が、小型魔物の首元に気づいた。
《首になんか付いてない?》
《発信器じゃね》
《研究個体じゃないの?》
男が足を止める。
「発信器?」
小型魔物の首元を見て、むしろ嬉しそうに笑った。
「じゃあ捕まえてみるか。研究用の魔物討伐してみた、ってタイトルよくね?」
《やめとけ》
《勝手に触るな》
《普通にまずいだろ》
「異界に放してるんだから、捕まる方が悪いだろ」
男は気にする様子もない。
再び追い始める。
小型魔物は見た目以上に素早く、手が届きそうになるたび、大きな後ろ脚で地面を蹴って逃げる。
男の笑顔が徐々に消えていった。
「チッ。ちょこまか逃げんなよ」
足元の小石を拾い、小型魔物へ投げた。
石は外れ、木の幹へ当たる。
友丸の表情から、僅かに気の抜けた雰囲気が消えた。
《おい》
《石投げるなよ》
《それ虐待だろ》
《もうやめろ》
男はコメントを見て鼻で笑った。
「これ魔物だから。ペットじゃねえからな?」
また石を拾う。
投げる。
今度は小型魔物のすぐ横を通った。
驚いた小型魔物が茂みへ逃げ込む。
男は楽しそうに追った。
「ほら、逃げろ逃げろ! こういう方が配信も面白いだろ!」
《面白くねえよ》
《通報した》
《最低》
「アンチは黙ってろって。嫌なら見るなよ」
それでも視聴者が減るどころか、コメントは増えていた。
男にとっては、それすら都合がいいらしい。
再生数さえ伸びればいい。
やがて小型魔物は太い木の根元へ追い詰められた。
男が逃げ道を塞ぐ。
「やっと捕まえた」
手を伸ばす。
小型魔物が歯を剥き、威嚇した。
「は?」
男の顔が歪む。
「散々手間かけさせやがって」
腰から短剣を抜いた。
《おい、それはダメだろ》
《やめろ!》
《誰か止めろ》
「ちょっと大人しくさせるだけだって」
刃を見せながら近づく。
小型魔物がさらに身体を縮める。
「ほら、逃げてみろよ」
男は笑いながら、短剣の先で小型魔物をつつこうとした。
その瞬間。
パシンッ!
乾いた音が森に響いた。
男の右腕が大きく弾かれる。
「――っ!?」
短剣が宙を舞い、地面へ突き刺さった。
一拍遅れて、男が右腕を押さえて膝をつく。
「ぐっ……ああああっ!」
何が起きたのか理解できない。
配信のコメントも一気に加速した。
《何!?》
《今なんか飛んできたぞ》
《石?》
《誰かいる》
男は痛みに顔を歪めながら周囲を見回した。
「誰だ!」
返事はない。
「出てこいよ! ふざけんな!」
少し離れた木陰で、友丸がもう一つ小石を拾う。
さっきより小さい。
男はなおも怒鳴っていた。
「隠れてねえで出てこい! ぶっ殺すぞ!」
「……反省してないな」
友丸が指を弾いた。
パチン。
小石が男の腰元を通り抜けた。
男が固まる。
「……は?」
ズボンを締めていた紐が、真ん中から切れている。
ずるり。
腰からズボンが落ちた。
足首まで一気に下がる。
男はパンツ一枚で立ち尽くした。
「…………」
コメント欄が爆発した。
《wwwww》
《ズボンww》
《紐だけ!?》
《狙ったのかよ》
《石投げてる奴うますぎだろ》
「ふざけんな!」
男は左手でズボンを引き上げようとした。
右腕は痛みでまともに動かない。
片手で何とか腰まで戻そうと悪戦苦闘する。
その背後で。
先ほどまで追い回されていた小型魔物が、ゆっくり顔を上げた。
長い耳がぴくりと動く。
男を見る。
その腰を見る。
一歩。
二歩。
「くそっ……誰だよ! 出てこいって言ってんだろ!」
男は気づかない。
小型魔物が後ろ脚へ力を込めた。
跳ぶ。
がぶり。
「はあ!?」
小型魔物がパンツへ噛みついた。
「おい! 何してんだ!」
男が慌てて左手で押さえる。
小型魔物は離さない。
「離せ! クソ魔物!」
引っ張る。
小型魔物も引っ張る。
《wwwww》
《ウサギの逆襲》
《いけ!》
《負けるなウサギ!》
「お前ら俺の配信見に来てんだろ! 俺を応援しろよ!」
男が叫んだ瞬間、小型魔物が大きな後ろ脚で地面を蹴った。
ブチッ。
男の身体がぐらつく。
小型魔物が着地した。
その口には、男のパンツがしっかり咥えられている。
「…………」
男の顔から表情が消えた。
《取ったwww》
《完全勝利》
《パンツ返してやれよw》
《いや返さなくていい》
男は慌てて両手で隠そうとして――右腕の痛みに顔を歪めた。
結局、左手だけで前を隠す。
「て、てめえ……!」
恥ずかしさより怒りが勝ったらしい。
男はパンツを咥えた小型魔物を睨みつけた。
「返せ!」
小型魔物は動かない。
「返せって言ってんだろ!」
男が足首まで落ちていたズボンを蹴り飛ばし、そのまま小型魔物へ駆け寄る。
「このクソ魔物!」
左手で前を隠しながら、蹴りを放った。
小型魔物がひょいと横へ跳ぶ。
空振り。
「待て!」
もう一度。
小型魔物は避ける。
男は完全に頭へ血が上っていた。
「殺すぞ!」
三度目。
男が大きく脚を振り上げる。
その瞬間、小型魔物も地面を蹴った。
男の懐へ飛び込む。
丸い身体がくるりと回り、大きな後ろ脚が伸びた。
肉球のついた足が――綺麗に股間へ入った。
「――――っ!?」
男の身体が硬直した。
口が開く。
声は出ない。
一秒。
二秒。
男の顔から血の気が引いていく。
両膝が内側へ寄った。
「ぉ……おぉ……」
そのまま膝から崩れ落ちた。
《入った》
《クリティカルwww》
《これは痛い》
《今日一番綺麗な一撃》
《自業自得すぎる》
小型魔物は数歩離れたところへ着地した。
パンツを咥えたまま、首を傾げる。
男は地面へうずくまり、しばらく動けなかった。
やがて震えながら立ち上がる。
右腕は痛い。
ズボンは脱げた。
パンツは奪われた。
股間も痛い。
しかも、その一部始終が今も世界へ配信され続けている。
男の心が折れた。
「もう嫌だああああああああ!」
左手で前を隠し、裸のまま走り出した。
ズボンも短剣もカメラも置き去り。
木の根につまずきそうになりながら、それでも振り返らず森の向こうへ消えていく。
《逃げたw》
《服着てけよw》
《カメラ忘れてるぞ》
《伝説の配信になったな》
《ウサギ強すぎ》
地面へ落ちたカメラだけが、誰もいなくなった森を映し続けていた。
しばらくして。
友丸が木陰から姿を現す。
小型魔物も逃げてはいなかった。
男のパンツを咥えたまま、こちらを警戒している。
友丸は小型魔物を見る。
小型魔物も友丸を見る。
「……やるな、お前」
長い耳がぴくりと動いた。
「でも、それはいらないだろ」
視線をパンツへ向ける。
小型魔物は一歩下がった。
「いや、取らないよ」
さらに一歩下がる。
「欲しいの、それじゃないから」
友丸が首元の発信器を指差した。
小型魔物は当然理解しない。
そして次の瞬間、パンツを咥えたまま森へ走り出した。
「あ」
友丸は高速移動で後ろにまわり小動物を確保する。




