新人研修のあとで
その後の新人研修は、拍子抜けするほど順調に終わった。
目的地だった採取区域では、四人が事前に指定されていた植物や鉱石を探し、端末の資料と照らし合わせながら採取していった。途中で何度か魔物とも遭遇したが、いずれも新人たちだけで十分に対処できる相手だった。
行きに比べれば動きもかなり良くなっている。
森の奥を横切った大型魔物が効いたのか、周囲への警戒も怠らない。何かあれば自分たちで相談し、進むか迂回するかを決めるようにもなっていた。
友丸が口を出す場面は、ほとんどなかった。
夕方になる前には全員揃って東京異界の入口へ戻り、自動改札を抜ける。
最後の一人の帰還が確認されたところで、同行していた管理局職員が四人へ向き直った。
「全員の帰還を確認しました。これで本日の実地研修は終了です。採取物については、このあと研修窓口へ提出してください」
張り詰めていたものが切れたのか、四人が揃って息を吐いた。
初めての実地研修。
実際の魔物と戦い、素材を採取し、予定外の大型魔物まで目撃したのだ。疲れてはいるものの、その顔には達成感も見える。
「坂田さん、今日はありがとうございました」
一人が頭を下げると、残りの三人も続いた。
「ありがとうございました」
「いえいえ。俺、ほとんど何もしてないけど」
「そんなことないです。あの大きい魔物も、坂田さんが気づいてくれなかったら……」
「結構離れてたから、たぶん大丈夫だったよ」
友丸としては本当にその程度の認識だった。
それでも四人にとっては違ったらしい。
研修開始前に向けられていた不安そうな視線は、もうない。
「これからも頑張って」
最後にそれだけ言うと、友丸は四人と別れた。
指導役として気の利いた言葉の一つでも言えればよかったのだが、思いつかなかった。
まあ、無事に帰ってきたのだから十分だろう。
問題は――。
「腹減ったな」
三浦である。
飯と酒を奢るという約束で引き受けた仕事なのに、その本人がまだ帰ってきていない。
中層で救援要請が入ったと言っていた。
携帯を確認してみるが、連絡はない。
待っていても仕方がない。
友丸はそのままアパートへ帰った。
三浦から電話がかかってきたのは、それから二時間ほど後だった。
枕元で端末が鳴り続け、友丸は布団の中から腕だけを伸ばした。
「……もしもし」
『寝てただろ』
「寝てた」
『まだ夕方だぞ』
「今日は疲れたから」
『新人連れて浅層歩いただけだろ』
「人に気を遣うのって疲れるんだよ」
『お前が新人に気を遣ってるところ、ちょっと見たかったな』
「ちゃんとやったよ」
『それは意外だ』
失礼な奴である。
友丸は寝返りを打った。
「そっちは?」
『無事終わった。全員回収。二人負傷してたけど命に別状なし。さっき報告も終わったところ』
「そっか。よかったな」
『おう。で、約束』
その一言で友丸の目が開いた。
「酒?」
『そこだけ反応早いな』
三浦が呆れた声を出した。
一時間後。
二人は東京異界の管理施設から少し離れた繁華街にある居酒屋へ入っていた。
異界帰りの冒険者がよく利用する店なのだろう。入口脇には大きな荷物や武器を預ける専用スペースがあり、店内にも探索装備姿の客がちらほら見える。
席へ着くなり、三浦が店員を呼んだ。
「生二つ。あと適当に頼もう」
「じゃあ刺身と焼き鳥と、これ。それから――」
「待て待て」
メニューを見ていた友丸が顔を上げる。
「何?」
「遠慮って言葉知ってる?」
「好きなもの頼んでいいって言ったじゃん」
「言ったけど限度があるだろ」
「Aランクなんだから大丈夫だろ」
「Aランクを何だと思ってんだ」
「金持ち?」
「違う」
言いながらも、結局三浦は注文を止めなかった。
ほどなくして運ばれてきたジョッキを軽く合わせる。
「お疲れ」
「お疲れ」
冷えたビールを一口。
友丸は満足そうに息を吐いた。
「美味い」
「そりゃよかった」
「やっぱり人の金で飲む酒は違うな」
「お前に奢るのやめようかな」
「もう頼んだから遅いよ」
三浦が笑いながらジョッキへ口をつける。
中層まで救援へ向かっていたはずだが、疲れ切った様子はない。
現役のAランク冒険者ともなれば、あの程度の救援活動は珍しくもないのだろう。
「それで、研修どうだった?」
「普通に終わったよ」
「それは聞いた。お前がちゃんと指導できたのかって話」
「できたと思う」
「本当か?」
「新人もちゃんとしてたし。俺が教えること、あんまりなかったよ」
「魔物は?」
「何回か出た。基本は新人にやらせて、俺も何体か倒したけど」
三浦が焼き鳥を一本取りながら尋ねる。
「何を?」
友丸が遭遇した魔物をいくつか挙げると、三浦は納得したように頷いた。
「その辺なら問題ないか」
「だから普通だったって」
「お前の普通は信用できないんだよ」
「失礼だな」
「五年前のこと忘れたのか?」
友丸の箸が一瞬止まった。
「何だっけ」
「俺が死にかけたやつ」
「ああ」
「忘れるなよ。助けられた俺が馬鹿みたいだろ」
三浦が苦笑する。
十年前に知り合い、何度か一緒に異界へ潜った。
その中でも三浦が今なお忘れていないのが、五年前の一件だった。
当時の三浦もすでに相応の経験を積んだ冒険者だったが、探索中に想定を大きく上回る魔物と遭遇した。
逃げることすら難しい状況で助けに入ったのが友丸だった。
友丸にしてみれば、昔の出来事の一つ。
「だから今日も頼んだんだよ」
三浦が何でもないことのように続けた。
「浅層で新人四人だろ。お前が一緒なら問題ないと思ったから」
「管理局の人、最初すごく不安そうだったけど」
「そりゃCランクの登録情報しか見てないからな」
「新人もがっかりしてた」
「AからCに変わったら普通そうなるだろ」
「傷つくなあ」
「絶対傷ついてないだろ」
三浦はジョッキを傾け、それから友丸を見る。
「しかし、お前も相変わらずだな」
「何が?」
「ランクだよ。まだ上げる気ないんだろ?」
「ないよ」
迷うことすらなかった。
三浦も予想していたのか、ため息をつくだけだった。
「戦闘力だけなら、少なくとも俺程度はあるだろ。Bくらい取っておけばいいのに」
「取ったら何か変わる?」
「受けられる依頼が増える。報酬も上がる。企業から声がかかることも増える」
「仕事増えるじゃん」
「増やすためにランク上げるんだよ、普通は」
「じゃあ今のままでいいよ」
「だと思った」
三浦はそれ以上勧めなかった。
昔からそうなのだ。
友丸は上へ行くことに興味がない。
有名になりたいわけでもなければ、大金を稼ぎたいわけでもない。
金がなくなれば異界へ入る。
必要な分だけ稼いだら、しばらく行かない。
それで本人が困っていないのだから、三浦も最近では何も言わなくなっていた。
「そういえば」
友丸が刺身を取りながら口を開いた。
「今日、変なのいたよ」
「変なの?」
「研修区域の森。でかい魔物が横切った」
「種類は?」
「遠かったからちゃんとは見てない」
覚えている特徴を話す。
四足。
硬そうな外皮。
人間を遥かに超える巨体。
尾もかなり長かった。
最初は気楽に聞いていた三浦だったが、途中から表情が変わった。
「……それ、本当に研修区域か?」
「うん。入口から五キロくらい」
「近すぎるな」
「迷ってきたんじゃない?」
「かもしれないけど……」
三浦が少し考える。
「最近、増えてるんだよ」
「何が?」
「本来の生息区域じゃない場所で魔物が見つかるケース」
友丸が料理を取る手を止めた。
「大型も?」
「大型だけじゃない。逆に浅層の魔物が奥で見つかった例もある。まだ件数は少ないけどな」
「ふうん」
それだけ聞くと、友丸は刺身を口へ運んだ。
三浦が呆れた顔をする。
「それだけ?」
「管理局は知ってるんだろ?」
「当然。生態調査の連中も動いてる」
「なら俺が考えても仕方ないじゃん」
「お前な……」
三浦は何か言いかけ、結局やめた。
間違ってはいない。
異界で魔物の生息区域が変化すること自体は、過去にも確認されている。餌となる生物の移動、繁殖期、縄張り争い。原因はいくらでも考えられる。
今の段階では、異常と決めつける材料もない。
「まあいい。管理局には今日の件、報告上がるだろうしな」
「じゃあ飲もう」
「お前はもう少し心配しろ」
「三浦が心配してるから大丈夫だよ」
「どういう理屈だよ」
友丸は空になったジョッキを持ち上げた。
「すみませーん。生、もう一つ」
「おい、ちょっと待て。何杯飲む気だ」
「奢りだろ?」
「だからって限界まで飲もうとするな!」
店員が笑いを堪えながら注文を取っていく。
友丸にとっては、いつもと大して変わらない一日だった。
カードを更新して。
なぜか新人研修を押しつけられて。
異界を少し歩いて。
最後に友人の金で酒を飲む。
森で見かけた大型魔物のことも、明日になればほとんど気にしていないだろう。
三浦も、それ以上その話を蒸し返すことはなかった。
東京異界が発見されて四十年。
いまだ最深部どころか、その全容すら把握できていない巨大な異界では、小さな異変など珍しくない。
浅層へ迷い込んだ一体の大型魔物も。
企業の撮影中に突然発生した、深層へと人間を飛ばす転移トラップも。
それぞれ別々に起きた、ありふれた異界の異常として処理されていた。
まだ、それらを一つにつなげる理由はなかった。




