新人引率する
ゲートを抜けた先にはまるで違う世界が広がっていた。
天を覆う巨大な木々。その隙間から青白い陽光が差し込み、足元には見慣れない草花が生い茂っている。入口付近には人の手で整備された道が延び、資材を積んだ運搬車や冒険者の姿も多いが、森へ近づくにつれて建物は減り、代わりに異界本来の景色が濃くなっていく。
一行は管理局職員を先頭に、予定された研修区域へ向かった。
四人の新人は先ほどまでとは別人のように周囲を警戒している。
友丸への不安は残っているのだろう。それでも異界へ入れば、そちらを気にしている余裕はないらしい。
「ここから研修を開始します」
整備された道を外れる手前で、職員が足を止めた。
「今日は実際に皆さん自身で周囲を確認しながら進んでもらいます。目的地は事前に説明した採取地点。私は基本的に指示を出しません。坂田さんも、それでよろしいですか?」
「はい」
友丸は四人の少し後ろへ下がった。
指導役と言われても、何を教えればいいのかよく分からない。
それなら自分たちでやってもらって、危なそうなら止めればいい。
四人は地図を確認し、相談して進行方向を決めると森へ入った。
歩き始めて十分ほどで、先頭の青年が片手を上げる。
全員が足を止めた。
草むらの向こうから低い唸り声が聞こえている。
現れたのは、大型犬ほどの四足型魔物だった。
一体。
遅れて二体。
新人たちの表情に緊張が走ったものの、誰も取り乱さない。
剣を持つ二人が前へ出て、後方の二人が距離を取る。
魔物が地面を蹴った。
先頭の青年が盾で受け止め、身体を押し込まれながらも踏みとどまる。その横をもう一体が抜けようとした瞬間、後方から風が走った。
目に見えない衝撃を受け、魔物の身体が横へ崩れる。
「今!」
もう一人が踏み込み、剣を振り下ろした。
一体目が倒れる。
残った二体も連携を崩され、ほどなく動かなくなった。
「……よし!」
誰かが息を吐いた。
勝ったことより、訓練ではない実戦を無事に終えたことへの安堵の方が大きいのだろう。
友丸は少し離れた場所から、その様子を見ていた。
新人とはいえ、基本はできている。
装備も昔より遥かにいい。
「坂田さん」
職員に呼ばれ、友丸がそちらを見る。
「何か気づいたことはありますか?」
四人も友丸を見る。
どうやら指導役の仕事らしい。
「そうですね……」
友丸は倒れた魔物と四人を見比べた。
「最初に盾で受けた時、もう半歩だけ左にずれた方がよかったかも」
盾を持つ青年が首を傾げる。
「左ですか?」
「真正面から止めるより、少し流した方が楽だから。あれ、見た目より重いし」
「あ……」
青年は先ほど立っていた位置を確認する。
「確かに」
「でも初めてなら十分じゃない? ちゃんと三体とも見えてたし」
四人の表情が少し和らいだ。
職員も何も言わない。
今の助言に問題はなかったらしい。
素材として回収できる部位を処理し、一行は再び進んだ。
次に遭遇した魔物は一体だけだった。
今度は友丸も前へ出た。
新人だけに戦わせ続けるのも違うだろうし、三浦の代役として来た以上、何もしないわけにもいかない。
腰の小太刀を抜く。
向かってきた魔物の前脚をかわし、横へ回る。
振り向こうとしたところへ一撃。
刃が首筋を切り裂いた。
魔物が倒れる。
それだけだった。
速すぎるわけでもない。
派手な魔法も使わない。
新人たちから見ても、経験を積んだCランクなら納得できる程度の戦い方だった。
「小太刀なんですね」
一人が興味深そうに友丸の武器を見る。
「うん」
「珍しくないですか?」
「昔からこれだから」
友丸は血を払い、小太刀を鞘へ戻した。
最新の武器に替えようと思ったことがないわけではない。
ただ、壊れていないものを買い替える理由も特になかった。
研修はその後も順調に進んだ。
魔物を見つけても、すべて戦うわけではない。
距離があるなら迂回する。
素材価値が低く、こちらに気づいていない相手なら放っておく。
戦う必要がある時だけ戦う。
先ほど受けたばかりの講習内容そのものだった。
友丸自身は講習を思い出して行動しているわけではなかったが、長く異界を歩いていれば自然とそうなる。
やがて、四人から最初の硬さが消えてきた。
「坂田さん、こっちは?」
「そっちは足場悪いから、こっちの方が楽じゃない?」
「この植物、触って大丈夫ですか?」
「それは大丈夫。隣の赤いやつは触らない方がいいよ」
「毒ですか?」
「汁つくと三日くらい痒い」
「なんでそんな微妙に嫌……」
「死なないだけいいよ」
そんなやり取りをしながら進む。
友丸を見る新人たちの目も、いつの間にか変わっていた。
Aランクの代役として現れた時は、明らかに不安そうだった。
今は少なくとも、頼りないCランクとは思われていないらしい。
派手さはない。
だが、何を避けるべきか知っている。
どこを歩けば楽なのかも知っている。
魔物が現れても慌てない。
長く冒険者を続けているだけのことはある。
その程度の評価で、友丸には十分だった。
しばらくして、一行は森の中にある分かれ道へ差しかかった。
新人の一人が地図を確認する。
「採取地点は右ですね」
「ええ。この先、一キロほどです」
職員が答えた。
四人が右へ向かおうとする。
友丸もその後ろを歩き出しかけ――足を止めた。
何か聞こえた。
かなり遠い。
木が軋む音。
一度だけではない。
間を置いて、また。
友丸は右手の森へ顔を向けた。
先ほどまで聞こえていた小さな鳴き声も、いつの間にか消えている。
「そっち、行かない方がいいよ」
四人が一斉に止まった。
職員も振り返る。
「何かありましたか?」
「たぶん、でかいのがいる」
新人たちの表情が引き締まった。
「魔物ですか?」
「だと思う」
職員が腕につけた端末を確認する。
「こちらには反応がありません」
「まだ遠いからじゃない?」
友丸は森を見たまま答えた。
近づいてきているわけではない。
進行方向を横切るだけだ。
それなら、わざわざ出会いに行く必要もない。
「少し待ちましょう。たぶん通り過ぎるから」
職員は一瞬考えたものの、すぐに頷いた。
「分かりました。全員ここで待機。周囲の警戒を続けてください」
新人たちが武器へ手をかける。
友丸だけは近くの木へ寄りかかって待った。
三十秒。
一分。
何も起きない。
新人の一人が右手の森を見つめる。
「……何も聞こえないけど」
小さな声だった。
無理もない。
友丸にも、今はもうほとんど聞こえていない。
それでも、いる。
やがて――。
森の奥から大量の鳥が飛び立った。
新人たちが顔を上げる。
直後。
遠くの木々が大きく揺れた。
ズン――と、低い音が遅れて届く。
さらに一度。
巨大な木の幹が揺れる。
「……何?」
誰かが呟いた。
木々の隙間を、巨大な影が横切った。
一瞬だけ見えた頭部だけでも、人間の背丈を遥かに超えている。
四本の太い脚。
全身を覆う硬質な外皮。
巨大な尾が木々を押し退け、その姿は再び森の奥へ消えていった。
誰も動かなかった。
新人たちは武器を握ったまま、魔物が消えた方向を見ている。
完全に音が遠ざかってから、職員がゆっくり息を吐いた。
「……予定区域で確認される大きさではありませんね」
「迷い込んだのかな」
友丸は木から背を離した。
異界の魔物が決められた区域から絶対に出ないわけではない。
餌を追うこともあれば、他の魔物に縄張りを追われることもある。
浅い場所だから安全。
そんな保証はどこにもなかった。
「坂田さん」
盾を持った青年が友丸を見る。
「さっきの、いつから気づいてたんですか?」
「分かれ道の少し前かな」
「俺、何も聞こえませんでした」
「遠かったからね」
「でも、どうやって……」
友丸は森を指した。
「木が折れる音がしてた。それと鳥」
「鳥?」
「急に鳴かなくなっただろ。でかい魔物が近くを通ると、先に気づいて逃げること多いから」
言われて、新人たちが周囲を見回す。
説明されれば納得できる。
特殊な魔法でも異能力でもない。
周囲をよく見て、よく聞いていれば得られる情報だ。
ただし――。
「全然気づかなかった……」
一人が呟いた。
隣の新人も苦笑する。
「俺も」
職員は友丸をしばらく見た後、感心したように頷いた。
「長く活動されているだけありますね」
「まあ、それなりに」
友丸は適当に答えた。
すると新人の一人が、納得したように口を開いた。
「さすがAランクの推薦だな……」
「三浦さん、ちゃんと分かってて坂田さんを選んだんですね」
「やっぱりAランクともなると違うな」
なぜか話が三浦への称賛へ変わっていく。
友丸は少し考えた。
十年来の友人の顔が浮かぶ。
新人研修を押しつける代わりに飯と酒を奢ると言った男だ。
「……三浦、そこまで考えてないと思うけど」
四人が笑った。
どうやら冗談だと思われたらしい。
友丸としては、かなり本気で言ったのだが。
「もう行ったみたいだし、そろそろ行こうか」
「はい!」
返ってきた声は、研修開始時よりずっと素直だった。
一行は再び右の道へ入っていく。
先ほどまで友丸へ向けられていた不安は、もうほとんど残っていない。
代わりに新人たちの中に生まれたのは、長く異界を歩いてきたCランク冒険者への信頼。
そして――その男を迷わず代役に選んだAランク冒険者、三浦への妙な尊敬だった。
友丸だけが、その評価にどうにも納得できずにいた。




