異界は未知に溢れてる
湖岸へ到着すると、調査隊はその場でいくつかの班に分かれた。
調査班が水と砂を採取し、測量班は湖岸の地形や水深を記録していく。記録班も手分けして、それぞれの作業へカメラを向けていた。
戦闘班だけが周囲を警戒しているわけではない。
今回の調査隊に、戦えない者はいなかった。
水際で作業をしていた男性が、細長い器具を湖へ沈める。
「水深、二・四メートル。底は砂地だ」
「水温を測ります」
隣にいた女性が湖の水を容器へ入れた、その直後だった。
二人の足元で、白い砂が大きく盛り上がった。
男性が後ろへ跳ぶ。
直前まで立っていた場所を、砂の中から伸びた巨大な鋏が挟み込んだ。
「魔物だ!」
白い砂を押しのけ、自動車ほどの大きさをした魔物が姿を現す。
見た目はカニに近かった。
平たい胴体を白い甲羅が覆い、左右に太い鋏を持っている。その甲羅へ砂をかぶせ、湖岸に潜んでいたらしい。
一体が動き出したのをきっかけに、周囲の砂が次々と盛り上がった。
「全部で七体!」
調査班の二人は、採取した水と器具を後方へ投げ渡した。
男性が腰から短剣を抜き、正面の魔物へ踏み込む。振り下ろされた鋏をかわし、その付け関節へ刃を突き立てた。
片方の鋏が砂浜へ落ちる。
体勢を崩した魔物へ女性の蹴りが叩き込まれ、巨体が横転した。むき出しになった腹へ、男性が短剣を突き刺す。
ほかの個体も、近くにいた冒険者たちが一体ずつ引き受けていた。
測量班の一人が長剣で鋏を受け流し、甲羅の隙間へ刃を滑り込ませる。戦闘班の男は盾で攻撃を受け止め、そのまま正面から押し返した。
記録班は撮影を止めていない。
七体の魔物は、砂から姿を現して一分も経たないうちに動かなくなった。
テルスとギルは、今回も手を出していなかった。
友丸も最初から最後までカメラを回している。
『調査班も強い』
『今、水を採ってた人だよな?』
『カメラ持ってる人まで普通に避けてたぞ』
『本当に全員Aランク以上なんだな』
『撮影者さんの出番がない』
「撮るために来たって言っただろ」
友丸は答えながら、倒れた魔物へ近づいた。
白い甲羅から伸びた脚は、どれも太く、斬られた関節からは白い身が覗いている。
「これ、うまそうだな」
「最初に出てくる感想がそれなの?」
近くにいたテルスが、呆れたように言った。
「絢香なら、間違いなく料理する」
焼くのか、茹でるのか。
絢香なら、この場に来た瞬間から調理方法を考え始めるだろう。
『食べるつもりかよ』
『どう見ても巨大なカニだからな』
『絢香さんをアメリカへ呼べ』
『絶対に料理配信が始まる』
『まず毒がないか調べろw』
「検査が終わるまでは食べられませんよ」
調査担当者から釘を刺された。
「今食べるとは言ってない」
「検査結果が出ても、その場で焼かないでくださいね」
「だから食べないって」
倒した魔物は、これまでロサンゼルス異界で確認されていない種類だった。
調査班が甲羅や肉の一部を採取し、残りの死骸には目印をつける。詳しい検査は、後続の専門班が行うことになる。
白い砂に潜む性質は厄介だが、魔物そのものは強くない。
調査を終えた一行は、湖を左手に見ながら先へ進んだ。
途中で何度か足を止め、水深や湖岸の地形を記録していく。水中では小さな魚に似た生物も確認されたが、大型の魔物が姿を現すことはなかった。
太陽が傾き始めた頃、調査責任者が一行を止めた。
「今日はここまでにする。あの高台へ野営地を作る」
指し示されたのは、湖から少し離れた場所にある平らな高台だった。
周囲を見渡しやすく、水辺からも十分に距離がある。
調査隊が高台へ移動すると、見張りを担当する者が周辺の確認へ向かった。残る者たちは荷物を下ろし、野営の準備を始める。
「撮影者さん」
記録班を率いる女性が、友丸へ声をかけてきた。
「野営地の詳しい配置や、通信機器は映さないでください」
「なら、今日はここまでにする」
友丸は野営地へ背を向け、カメラを湖へ向けた。
「今日の配信は終わりだ」
『もう夕方か』
『一日早いな』
『巨大カニの検査結果も教えてくれ』
『明日も配信する?』
「許可が出ればな。約束はしない」
「みゃ」
こはくも別れを告げるように鳴いた。
『こはく、お疲れ!』
『また明日!』
『調査隊のみんなも気をつけて』
『海外配信面白かった』
最後に湖を映し、友丸は配信を終了した。
◇
野営の準備が終わった頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
高台の外側には見張りが立ち、中央では簡単な食事が配られている。
友丸も食事を受け取り、こはくと一緒に湖を見下ろせる場所へ腰を下ろした。
しばらくすると、ギルとテルスがやって来る。
「ここ、いいか?」
「いいぞ」
二人が友丸の近くへ座った。
野営地では、必要な会話以外ほとんど聞こえない。湖の方から、時折、水が岸へ寄せる音が届いていた。
友丸は食事を口へ運びながら、二人へ尋ねた。
「それで、どうして俺に配信までさせたかったんだ?」
政府の記録班は、最初から調査隊に加わっている。
映像を残すだけなら、友丸を日本から呼ぶ必要はなかった。
「祖父の影響だ」
答えたのはギルだった。
「祖父は若い頃、燿さんとはなさんと一緒に、世界中の異界へ潜っていた」
「新しい異界が現れたと聞けば、誰よりも早く入りたがったそうよ」
テルスが苦笑する。
「許可が下りるまで待てずに入って、戻ってから現地政府に怒られる。何度も繰り返していたって言ってたわ」
「爺さんたちらしいな」
「祖父も同類よ。怒られた話まで、いつも楽しそうに聞かせてくれたわ」
燿とはなの性格を考えれば、簡単に想像できた。
「でも、祖父たちが見た景色を、俺たちは話でしか知らない」
ギルが暗い湖へ目を向ける。
「当時は異界の中から配信なんてできなかった。写真すら残っていない場所も多い」
「だから、ロサンゼルスに新しい異界が現れたときに思ったの」
テルスも湖を見る。
「今なら、まだ誰も見たことのない景色を、見つけたその瞬間に世界中へ届けられるかなって」
すでに知られている異界を紹介するのとは違う。
どんな景色が広がり、何が生息しているのか。安全なのか、危険なのかさえ分かっていない。
調査隊と視聴者が、同じ瞬間に答えを知っていく。
二人が望んだのは、そんな配信だった。
「政府の記録班もいるだろ」
「政府の映像は調査資料だ」
ギルが答える。
「公開されるとしても、調査が終わって情報を整理したあとになる。見せられる部分も限られる」
「それじゃあ、未知の場所へ入る瞬間は共有できないでしょう?」
「なるほどな」
「それに、祖父が言っていたの」
テルスがわずかに笑う。
「未知の異界を前にしたときの興奮は、あとから話しても半分も伝わらないって」
「それも爺さんたちが言いそうだ」
理由は分かった。
だが、友丸にはもう一つ疑問が残っている。
「アメリカにも配信者はいるだろ。どうして俺だったんだ?」
「同行させられる者がいなかった」
ギルが即答した。
「できたばかりの異界だ。何が出るか分からない。配信者を守るために戦力を割くわけにはいかないからな」
「その点、あなたは護衛がいらない。撮影中に魔物が出ても、自分で対処できる」
「随分な信用だな」
「これまでの配信を見れば当然よ」
異界からの配信経験があり、国外でも知られている。
戦闘が起きても撮影を続けられ、調査隊の足を引っ張らない。公開できない情報についても現場の指示に従う。
条件に合う人間が、友丸しかいなかったのだ。
「それで、祖父に頼んだのか」
「ああ。最初は、相談するだけのつもりだった」
「ところが翌日には、アメリカ政府が検討を始めていたわ」
「その翌日には、日本政府とも話がついていた」
二人が揃って気まずそうに目を逸らす。
「とんだ孫馬鹿だな」
「そこまでやるとは思わなかった」
「燿さんも、あなたが行くと決まってから随分と楽しそうだったらしいわよ」
「爺さんまで一緒にするな」
「違うの?」
「……似たようなものかもしれない」
友丸が認めると、二人が笑った。
膝の上では、こはくがすでに丸くなっている。
「お前はもう寝るのか?」
「みゃ……」
返ってきた声は小さい。
友丸はこはくの背を撫でながら、暗い湖の向こうへ目を向ける。
明日から進むのは、先行隊さえ足を踏み入れていない場所だ。
そこに何があるのかは、まだ誰も知らない。




