一攫千金するにはリスクがある
数日後。
友丸は電車を乗り継ぎ、世田谷まで来ていた。
駅を出ると、何度も通った住宅街を歩いていく。
ここを訪れるのは久しぶりだが、道順は覚えている。携帯で地図を確認する必要もなかった。
閑静な住宅街をしばらく進むと、見覚えのある高い塀が現れた。
瓦屋根のついた白壁が、道路に沿ってどこまでも続いている。
世田谷の一等地に、これだけ広大な土地を所有している。それだけでも、屋敷の主が並の資産家ではないことは分かる。
ただ、最初から裕福だったわけではない。
四十年前、世界各地に異界が現れた直後。
法律も制度も整わず、異界の中に何があるのかさえ分からなかった時代に、誰よりも早くその奥へ踏み込んだ者たちがいた。
当時の探索は、今とは比べものにならないほど危険だった。
魔物の強さも、生息域も分からない。地図もなければ、救助隊もいない。負傷しても自力で戻るしかなく、昨日まで生きていた探索者が、翌日には消えていることも珍しくなかった。
それでも、異界から持ち帰った素材や遺物には莫大な値がついた。
一度の探索で一生遊んで暮らせるだけの金を手にした者もいれば、欲を出して二度と帰らなかった者も多くいた。
文字どおり、命を賭けた一攫千金の時代だった。
現在では地図が作られ、冒険者制度も整い、政府による救助体制まで用意されている。
当時と比べれば、危険性は大きく下がった。
それでも、異界が命懸けの場所であることに変わりはない。
毎年、多くの冒険者が命を落としている。何も知らない新人より、探索に慣れた者が深く踏み込み、そのまま帰らないことの方が多かった。
未知の素材一つで、人生が変わる。
そんな一攫千金を夢見て異界の地を踏む者――その流れは、今も途絶えることなく続いている。
この屋敷の主は最も危険だった時代を生き抜いた一人だ。
異界で財を成し、稼いだ金を土地や事業へ投じた。今では冒険者の世界だけでなく、政財界にも名が通っている。
もっとも、友丸にとっては昔から怖い爺さんでしかない。
「まだ着かないな」
「みゃ」
肩に掛けたバッグの中から、小さな鳴き声が返ってきた。
「塀が見えてからが長いんだよ、ここ」
友丸はバッグを軽く叩き、瓦屋根の塀に沿って歩き続ける。
住宅街の一区画どころではない。途中で道を一つ曲がっても塀は途切れず、五分ほど歩いて、ようやく大きな正門へたどり着いた。
門の前に立つと、呼び鈴を押すより先に、重厚な木製の扉がゆっくりと開いていく。
「相変わらず早いな」
監視カメラがあることは知っているが、それでも毎回驚かされる。
門の先には、手入れの行き届いた日本庭園が広がっていた。
青々とした松の向こうには池があり、色鮮やかな錦鯉が泳いでいる。庭石や灯籠も無造作に置かれているようで、実際にはすべて計算された配置なのだろう。
石畳の道に沿って進めば、左右にはいくつもの日本家屋が建っている。
住居として使われている建物だけではない。
客を泊めるための離れ。広い道場。作業場らしき建物。そのさらに奥には、分厚い壁と頑丈な扉を備えた倉庫が何棟も並んでいた。
異界から持ち帰った品を保管するための倉庫だと、以前聞いたことがある。
今では値段もつけられない遺物や、一般には存在すら知られていない素材まで眠っているらしい。
どこまで本当かは、友丸も知らない。
聞いたところで、笑って誤魔化されるだけだ。
「屋敷っていうより、村だよな」
「みゃあ」
同意するようにバッグが小さく揺れた。
敷地内では、今日も大勢の使用人が働いていた。
着物姿の女性に、作務衣を着た男たち。庭木を整える者、荷物を運ぶ者、縁側を拭く者。少し離れた道場からは、床を踏み込む音と鋭い掛け声まで聞こえてくる。
友丸が通ると、誰もが足を止めて丁寧に頭を下げた。
「お久しぶりでございます、友丸さん」
「どうも」
「奥でお待ちです」
「今、そっちに行くところ」
顔を知っている者もいれば、初めて見る者もいる。
それでも全員が、友丸のことを知っていた。
軽く手を上げて応じながら、石畳をさらに奥へ進んでいく。
やがて、ほかの建物より一段大きな日本家屋が見えてきた。
屋敷の主が暮らす母屋だ。
立派ではあるが、金箔や派手な装飾が施されているわけではない。長い年月を経た柱や梁には落ち着いた風格があり、周囲の庭園に自然と溶け込んでいる。
その広い玄関の前に、一人の女性が立っていた。
腰まで届く艶やかな黒髪に、切れ長の瞳。黒を基調とした着物を隙なく着こなす姿は、冷たい印象を受けるほど整っている。
友丸が近づくと、女性は静かに一礼した。
「お待ちしておりました、友丸様」
「久しぶり」
「はい。お変わりないようで何よりです」
そこで、女性の視線が友丸の肩へ向いた。
バッグの口から、琥珀色の小さな顔が覗いている。
「そちらが、近頃話題になっているお連れ様ですか」
「こはく。俺も何の魔物かは知らない」
「みゃ」
紹介されたと分かったのか、こはくがバッグの中から小さく鳴いた。
女性はその姿をしばらく見つめ、それから普段と変わらない落ち着いた声で告げた。
「たいへん楽しみにしておられます」
「俺じゃなくて、こはくに会うのをだろ」
「両方、と申し上げておきます」
「そこは否定してくれよ」
女性は答えず、わずかに目元を和らげた。
「どうぞ、中へ」
開かれた玄関の先へ、友丸は足を踏み入れた。




