新技を配信する
「今回の調査は、ここまでにしよう」
アンがそう告げると、誰からも異論は出なかった。
新エリアの先へ進むには、睡魔への対策が必要になる。残り四日で専用の装備を一から用意してまで、無理に調査を続ける理由はない。
東京異界深層の空白は大きく埋まり、新たなエリアまで発見した。
二週間を予定していた大規模調査は、四日を残して終了することになった。
「それじゃあ、戻ろうか」
アンの言葉を合図に、それぞれが撤収の準備を始める。
友丸も戻ろうとして――やめた。
拠点には日本政府の担当者たちがいる。
あの感じだと、戻れば捕まる。
それも、新エリアの話だけでは済まないだろう。
撮影者さんについて、日本政府が知っていることは驚くほど少ない。
日本語はどう聞いてもネイティブ。これまで姿を現したのも日本国内の異界ばかりで、実力だけならSランク級と考えるのが自然だ。
それなのに、名前も所属地域も経歴も分からない。
今回は、日本政府すら知らなかった新エリアについて、以前から知っていたことまで判明した。
聞きたいことなど、いくらでもあるはずだ。
「……長そうだな」
別に政府と話したくないわけではない。
ただ、捕まれば面倒なのは目に見えている。
なら、その前に本来の目的を済ませておけばいい。
友丸は背負っていた荷物を下ろし、中から配信用のカメラを取り出した。
それを見たアンが、納得したように頷く。
「ああ。そういえば、全く撮れてなかったね」
「ああ」
友丸が頭上を指差す。
猫マスクの上では、こはくが前足で顔を洗っていた。
そもそも今日は、この小さな生き物の動画を撮るために東京異界へ来たのだ。
それが《ヴァルカ》の調査に同行し、新エリアを案内して、気づけば調査そのものが終わっていた。
肝心の撮影は、ほとんどできていない。
「じゃあ、私も出ようかな」
「別にいいぞ」
「調査が予定より四日も早く終わることになったでしょ。色々言われそうだし」
新エリアが発見されたこと自体は、すでにテレビでも報じられている。
その直後に大規模調査が予定を四日残して終了となれば、何かトラブルがあったのではないかと勘繰る者も出てくるだろう。
「先に、問題なく終わったって話しておくよ。詳しい調査結果は日本政府から正式に発表されるだろうし」
「分かった」
友丸に断る理由はない。
友丸は新エリアの入口が映る位置まで移動し、カメラを構える。
「じゃあ、始めるぞ」
配信を開始した。
数秒もしないうちに、コメントが流れ始める。
『きた!』
『撮影者さんだ』
『こはくいる!』
『今日も頭の上かわいい』
『そこどこだ?』
『待って、後ろ』
『新エリアの入口じゃね?』
『ニュースで見た場所だ』
視聴者数も凄まじい勢いで増えていく。
友丸はカメラを真上へ振った。
猫マスクの上に乗ったこはくが、ぴたりと画面の中央へ収まる。
毛繕いの途中だったこはくが顔を上げた。
「みゃ?」
『かわいい』
『開始早々助かる』
『今日も頭の上か』
『もっと映せ』
『カメラ振るの速いのに全然ブレないの何なんだ』
友丸は満足してカメラを戻した。
その横から、アンが画面へ入ってくる。
『!?』
『は?』
『アン!?』
『ヴァルカのクランマスターじゃん!』
『なんで一緒にいる!?』
『知り合いなの!?』
『撮影者さん、ヴァルカと繋がりあったの?』
『待て、今ヴァルカが東京異界調査してるよな』
『まさか撮影者さんも一緒にいた?』
『どういうことだよ』
予想以上の勢いでコメントが跳ねる。
アンは流れていく文字を眺め、軽く手を上げた。
「こんにちは。撮影者さんには、今回の調査を少し手伝ってもらってました」
『やっぱり!?』
『調査に参加してたのかよ!』
『いつから!?』
『新エリア関係?』
『もしかして発見にも関わってる?』
『何したんだ撮影者さん』
友丸は黙ってカメラを構えている。
アンもそれ以上は答えなかった。
「その辺りは日本政府からの詳しい発表を待ってね。私から勝手に話せることじゃないから」
『絶対何かある』
『気になる』
『撮影者さんますます何者なんだよ』
『日本政府は正体知ってるの?』
「それより、せっかくだから一つ報告しておくね」
アンが一度後ろを振り返ってから、再びカメラを見る。
「今回の大規模調査なんだけど、さっき終了することが決まりました」
一瞬置いて、コメントが跳ねた。
『え?』
『終わったの!?』
『今日で?』
『まだ四日残ってなかった?』
『予定より早いよな』
『何かあった?』
『中止?』
「中止じゃないよ。トラブルが起きたわけでもないから安心して」
アンはすぐに否定した。
「予定していた深層の調査は十分に進められたし、報道されている通り、新エリアも発見できた。成果としては充分でしょう」
『じゃあ成功か』
『よかった』
『事故じゃないのね』
『新エリアまで見つけてるもんな』
『ならなんで今日で終わり?』
「新エリアについても調べたんだけど、これ以上進むなら相応の準備が必要になる場所があったの。残り四日で無理に進める必要はないって判断した」
今度は別の疑問がコメント欄を埋める。
『相応の準備?』
『何があるんだ』
『魔物?』
『地形?』
『ヴァルカでも準備必要なのか』
『めちゃくちゃ気になる』
アンはそこまで読んで、小さく笑った。
「その辺りも含めて、詳しい調査結果は後日、日本政府から正式に発表されると思う。私からはここまで」
『正式発表待ちか』
『まあ無事ならいい』
『調査隊お疲れ』
『ヴァルカも日本組もお疲れ』
アンの説明は、それだけだった。
友丸も詳しい話を足すつもりはない。
ここから先は政府の仕事だ。
「じゃあ、今度こそ撮る?」
「ああ」
『ん?』
『何を?』
『撮る?』
『新エリア?』
友丸はもう一度カメラを真上へ向ける。
こはくが画面いっぱいに映った。
「こいつ」
「みゃ」
『こはく?』
『何?』
『こはくの撮影?』
「今日は元々、こはくを撮りに来た」
『は?』
『そうなの!?』
『調査じゃなかったのかよw』
『こはく撮りに来てヴァルカの調査手伝ったの?』
『どういう一日だよ』
友丸はカメラを戻す。
「魔物と遭遇した時のこいつを撮りたい」
『魔物と遭遇した時?』
『何かするの?』
『こはく戦えるの?』
『あのサイズで?』
アンは事情を知っているため、特に驚くこともなく頷いた。
「じゃあ、魔物を探そうか」
「ああ」
『アンも行くの!?』
『調査終わったばっかだぞw』
『クランマスター何してるんですか』
『しかも新エリア入る気か?』
アンがコメントを見て肩をすくめる。
「奥までは行かないよ。魔物を一体見つけたら戻るから」
『この二人を心配する気にはならない』
『魔物の方を心配しろ』
『こはく撮影のために新エリア戻るの草』
友丸はカメラを構えたまま、アンと並んで新エリアへ入った。
頭上では、こはくが呑気に尻尾を揺らしている。
大規模調査は、つい先ほど終わった。
そしてようやく、友丸が今日やりたかった撮影が始まった。
新エリアへ入ってからも、友丸はカメラを回し続けていた。
隣を歩くアンは、いつもの軍服姿。手には二メートル近い大鎌を携えている。
配信開始時こそ二人が一緒にいることへ驚きが集中したものの、事情が分かってからはコメントも落ち着いていた。
『しかし凄い組み合わせだな』
『撮影者さんとアンが普通に並んで歩いてる』
『目的忘れるな。今日はこはくだぞ』
『魔物見たら何するんだろ』
肝心のこはくは、猫マスクの上でのんびりと周囲を眺めている。
友丸が撮りたいのは、魔物を見た時の反応だ。
以前から、こはくは魔物を前にすると妙な行動を取ることがあった。
「いないな」
「さっきまでは結構いたんだけどね」
アンが周囲を見回す。
探し始めて十分ほど。
「いた」
アンが足を止める。
姿を現したのは、三メートル近い人型の魔物だった。
赤黒い皮膚。地面に届きそうなほど長い両腕。前屈みの巨体が岩の間を抜け、こちらへ向かってくる。
『でか』
『見たことない』
『新エリアの魔物か』
『普通に怖いんだが』
友丸は魔物へカメラを向けた。
まだ距離はある。
アンも大鎌を構えることなく、その姿を眺めていた。
「こはく」
「みゃ?」
頭上から返事が落ちてくる。
その直後。
こはくが魔物へ顔を向けた。
小さな身体がわずかに動く。
友丸は見逃さない。
カメラを上げ、猫マスクの上にいるこはくを画面の中央へ収める。
こはくが片方の前足を、すっと持ち上げた。
「みゃ~~」
なんとも気の抜けた鳴き声だった。
同時に、カメラが正面へ戻る。
そこで――魔物が止まった。
「……ん?」
走り出そうと踏み込んだ姿勢のまま、ぴたりと静止している。
一秒。
二秒。
何事もなかったように、魔物が再び動き出した。
『え?』
『今止まった?』
『二秒くらい』
『配信止まった?』
『いや後の草動いてたぞ』
『魔物だけ止まってた』
友丸はカメラを向けたまま、頭上へ意識を向ける。
「今の、こはくなの?」
「たぶん」
アンも同じものを見ていたらしい。
だが、一度だけでは分からない。
魔物が速度を上げる。
地面を蹴り、一気に距離を詰めてきた。
そして再び。
頭上で、こはくの前足が持ち上がる。
その気配を感じた瞬間、友丸のカメラも跳ね上がった。
「みゃ~~」
前足を上げたこはくを一瞬だけ捉え、直後にはカメラは魔物へ戻る。
ぴたり。
二度目。
今度は誰の目にも明らかだった。
魔物が完全に停止している。
「こはくだな」
「こはくだね」
二人の声が重なった。
コメント欄が爆発した。
『また止まった!?』
『偶然じゃねえ!』
『何した!?』
『麻痺?』
『麻痺ならあんな止まり方するか?』
『精神干渉じゃない?』
『威圧系とか』
『重力操作?』
『重力操作する数持ち冒険者いたな』
『あいつと同じか?』
『知らん』
『前足上げてみゃ~~って鳴いただけだぞ』
『字面がかわいすぎる』
麻痺。
精神干渉。
重力操作。
次々と仮説が飛び交う。
当然、答えなど出るはずもない。
二秒ほど経つと、魔物は再び動き始めた。
すでに距離はかなり縮まっている。
それでも友丸は退かない。
アンも動かなかった。
「もう一回できるか?」
「みゃ」
言葉は通じてるはずだ。
ただ、こはくは再び魔物を見つめた。
そして三度目。
小さな前足が上がる。
友丸のカメラも、それに合わせて跳ね上がった。
「みゃ~~」
こはくを捉え、即座に魔物へ戻す。
だが。
「……あれ?」
止まらない。
魔物は速度を落とすことなく迫ってくる。
頭上からも、不思議そうな声が聞こえてきた。
「みゃ?」
『止まらない!』
『三回目駄目だった』
『二回まで?』
『回数制限あるのか?』
『こはくも分かってないw』
『いや魔物!』
『もう目の前だぞ!』
長い腕が振り上げられる。
それでも友丸は避けなかった。
レンズの先に魔物を収めたまま、わずかにカメラの角度を変える。
巨腕が振り下ろされる――その直前。
画面の端から、巨大な刃が滑り込んだ。
一閃。
魔物の巨体が傾ぐ。
友丸のカメラは振り抜かれた刃を追い、そのままカメラを引いた。
巨大な鎌。
それを握る軍服姿のアン。
刃を振り抜いた姿まで、最初からそう撮ると決めていたかのように画面の中央へ収まる。
「はい、終わり」
アンが大鎌を軽く戻す。
その背後で、魔物が地面へ崩れ落ちた。
『出た』
『アンの鎌』
『一撃かよ』
『いや待て』
『今のカメラ何!?』
『こはく→魔物→アンまで全部撮ったぞ』
『一回もブレてない』
『撮影の練習してるの?』
『そういやこいつ撮影者さんだった』
友丸は倒れた魔物にはほとんど興味を示さず、再びカメラを頭上へ向けた。
こはくはまだ、自分の前足を見ている。
「二回までなのか?」
「みゃ?」
「分からんか」
聞いた友丸も、答えが返ってくるとは思っていない。
こはくはしばらく前足を見つめたあと、何事もなかったようにそれを下ろした。
そのまま猫マスクの上にちょこんと座る。
一方、コメント欄では考察が止まらない。
『麻痺だと思う』
『精神干渉じゃね?』
『重力系に一票』
『二秒停止を二回って普通にヤバいぞ』
『相手が深層の魔物だからな』
『かわいいで誤魔化されてるけど何なんだこの子』
『そもそも猫じゃなくて魔物なんだよな?』
友丸も少し考える。
何をしたのかは分からない。
二回までなのか、それとも別の条件があるのかも分からない。
分からないことだらけだった。
ただ、一つだけ確かなことがある。
友丸はカメラの映像を確認した。
前足を上げるこはく。
鳴いた直後に停止する魔物。
二回目も、しっかり映っている。
「よし。ちゃんと撮れてるな」
『そこかよ!』
『能力を調べろw』
『撮影目的は達成したな』
『満足そうで草』
友丸は満足してカメラを戻した。
何をしたのかは、そのうち分かればいい。
今日の目的は、これで達成だった。




