新エリア突入
話し合いの結果、新たに発見されたエリアへは、まずSランクだけで入ることになった。
友丸の話では、Aランクでも対策用の装備を揃えれば大抵は進める。
だが、今の調査隊にそんな装備ははない。
当然だ。
地面から睡魔を引き起こすガスが噴き出すなど、日本政府も《ヴァルカ》も今まで知らなかったのだから。
「Aランク組は待機。まず私たちだけで確認しよう」
アンの決定に異論は出なかった。
ロウもSランクだが、入口付近に残る。万が一に備えた退路の確保と、調査隊との連絡役だ。
「無理はしないでくださいね」
「分かってる。危険度を確認するだけ」
「本当にお願いしますよ」
「信用ないなあ」
「日頃の行いです」
「私、クランマスターなんだけど」
「存じております」
真顔で返され、アンが不満そうに口を尖らせた。
その横で、心が友丸を見る。
「撮影者さんも来るんだろ?」
「ええ」
「案内してくれると助かる」
「それもあるけど、俺はこはくの動画を撮りに来たからな」
「……そういや、そっちが本来の目的だったな」
猫マスクの上では、こはくが呑気に毛繕いをしていた。
◇
新エリアへ入ってしばらくは、何も起こらなかった。
魔物はいる。
深層相応の強さはあるものの、ここにいるのはSランク、数持ちもいる。襲ってきた魔物も、ほとんど足を止めることなく処理していく。
「ガスは?」
アンが尋ねる。
「序盤はランダムだよ」
友丸が答えた。
「いつ出るかは分からない」
「予兆もなし?」
「ほとんどないな」
さらに進むこと十数分。
最初に気づいたのは心だった。
「……あれか?」
少し先。地面の亀裂から、白いガスが滲み出している。
霧のように薄く、地表を這うようにゆっくりと広がっていた。
「あれだ」
「随分地味だな」
ケンが鼻を鳴らす。
来道も白いガスを眺めているが、警戒している様子はない。
「これで眠くなるだけなんですよね」
「深層で眠ったら死ぬぞ」
「眠らなければいいだけです」
「まあな」
「そこで納得するのかよ……」
来道が呆れたように友丸を見る。
アンは自分の状態を確かめながら、慎重に足を進めた。
「少しだけ様子を見よう。何か感じたらすぐ言って」
全員がガスの中へ入る。
最初は何もなかった。
一分。
二分。
それでも、目立った変化はない。
「大したことねえな」
ケンが言う。
「まだ分からないよ」
アンが返した、その時だった。
「……っ」
来道の身体が大きく傾いた。
「来道?」
心がすぐに腕を掴む。
「大丈夫……です」
「大丈夫じゃねえだろ」
「少し、眠いだけで――」
来道が身体を起こそうとする。
だが、足に力が入っていない。
心が手を離せば、そのまま地面へ倒れそうな状態だった。
「おい、本当に立てるか?」
「立て……ます」
「立ててねえよ」
心の表情が変わった。
「戻るぞ」
「まだ…行けます」
「どこがだ」
返事も明らかに遅い。まぶたまで落ち始めている。
心は来道の腕を自分の肩へ回した。
「俺が入口まで連れていく」
「一人で……」
「歩けてから言え」
来道は反論しようとしたが、その言葉すら続かなかった。
アンも即座に頷く。
「お願い。私たちももう少し進んだらすぐ戻る」
「あまり進むなよ」
心は来道を支えたまま、来た道を引き返していった。
それを見送り、ケンが白いガスへ視線を戻す。
「……あいつ、効きすぎじゃねえか?」
「だから人によるって言ったでしょ」
友丸が答える。
「お前は平気なのか?」
「眠い」
「そうは見えねえけどな」
「眠いだけだからな」
「……意味分かんねえ」
ケンが呆れながら歩き出す。
アンは少し迷ったものの、もう少しだけ影響を確認することにした。
だが、それから数分も経たなかった。
「……チッ」
今度はケンが足を止めた。
「ケン?」
「ちょっと眠い」
アンが目を細める。
「歩ける?」
「当たり前だ」
一歩。
二歩。
三歩目で、身体がわずかに傾いた。
「撤退」
アンが即座に告げた。
「まだ行ける」
「来道に続いてケンにも症状が出た。もう十分」
「この程度なら――」
「限界を調べに来たんじゃないよ」
アンの声から軽さが消えた。
「危険度は確認できた。戻るよ」
ケンも、それ以上は反論しなかった。
◇
入口まで戻ると、来道は地面に座り込んでいた。
心がその隣についている。
「そっちもか?」
ケンを見るなり、心が察した。
「少し眠いだけだ」
「来道も最初はそう言ってたぞ」
「一緒にすんな」
「……俺は、もう大丈夫です」
「まだ座ってろ」
「はい……」
素直だった。
よほど効いたらしい。
アンはロウへ向き直る。
「対策なしは駄目だね」
「来道さんだけでなく、ケンまで?」
「うん。Aランク組を連れていかなくて正解だった」
ロウの表情も険しくなる。
原理すら分からない、正体不明の睡魔。
当然ながら、今回の調査隊に専用の装備などない。
「残り四日では、対策まで用意するのは難しいですね」
「うん」
アンも迷わなかった。
今回の調査では、すでに深層の空白を大きく埋めている。
新たなエリアを発見し、その先に未知の危険が存在することまで確認できた。成果としては十分すぎるほどだ。
「今回の調査は、ここまでにしよう」
誰からも異論は出なかった。
準備のできていない未知へ、無理に踏み込む必要はない。
二週間の予定だった大規模調査は、四日を残して終了することになった。
予定より少し早い終了ではある。
それでも、新たに埋められた地図の空白は広く、これまで知られていなかった新エリアまで発見した。
調査としては、文句なしの成果だ。
張り詰めていた空気が、ようやく少しだけ緩む。
「じゃあ、あとは戻るだけか」
心がそう言うと、アンも頷いた。
「そうなるね。日本政府への正式な報告は戻ってからだけど」
「なら、もう調査は終わりってことでいいんだよな?」
「うん」
その返事を聞いて、何人かが目に見えて肩の力を抜いた。
残り四日。
大規模調査のために確保されていた日程が、丸々空いたことになる。
もっとも、この場にいる面々が、そのまま大人しく帰るかどうかは別の話だった。




