クラン ヴァルカ
東京の夜景を背に、アンはソファへ腰を下ろしていた。
世界有数の攻略クラン《ヴァルカ》。
今回の来日にあたり、彼らが滞在先として選んだのは都内のホテルだった。それも数部屋を押さえた程度ではない。一棟丸ごと貸し切っている。
所属する冒険者だけではなく、装備の整備班や分析班、医療スタッフまで動く大所帯だ。世界でも上位に数えられるクランともなれば、遠征ひとつで動く人数も桁が違う。
そのホテルの一室。
テーブルには東京異界の資料が広げられ、壁際の大型モニターには北海道異界で撮影された映像が映っていた。
『――そこ!』
映像の中で、黒い影が大型の魔物を蹴り飛ばす。
「なるほど」
アンがリモコンを操作した。
数秒戻る。
『――そこ!』
もう一度、魔物が吹き飛んだ。
「…………」
さらに数秒戻る。
『――そこ!』
「アン」
向かいのソファに座っていたロウが、とうとう口を挟んだ。
「三回目です」
「分かっている」
「では、なぜ三回見るんです?」
「蹴りが気になった」
真顔だった。
金髪を短く整え、今日も軍服を思わせる服装に帽子まで合わせている。軍人にしか見えないが、軍人ではない。
世界ランキング三十位。
そして《ヴァルカ》のクランマスター。
実力も統率力も疑いようがないのだが、ときどき妙なところへ興味を持つ。
「足の運びがいい。空手だろうか」
「違うんじゃねえか?」
窓際から声が飛んできた。
ケンだった。
ソファにも座らず、東京の夜景を眺めながら缶飲料を傾けている。
「空手なら俺の方が詳しい。黒帯だぞ」
アンが振り返る。
「本当か?」
「本当だよ」
「初めて聞いた」
「十年以上一緒にいるだろ、お前」
ロウは口を挟まなかった。
そこを掘り下げると長くなる。
ケンもまたSランク冒険者であり、世界ランキング四十七位。
日本で生まれ育ったが、現在は海外へ帰化している。厳密にはもう日本人ではない。
「それで?」
ケンが顎でモニターを示した。
「そいつが例の撮影者か」
「ああ」
「騒がれてるほどか?」
興味なさそうな声だった。
アンは少し考える。
「少なくとも、映像だけで判断する相手ではないな」
「だろうな」
それでケンの興味は尽きたらしい。
アンも映像を止めた。
今回、《ヴァルカ》が日本まで来た目的は撮影者ではない。
オーストラリア政府から持ち込まれた調査依頼。そして日本政府との協力のもとで行う、東京異界深層の大規模調査。
異界が出現して四十年。
人類は未だ、その全貌どころか深層のほんの一部すら把握できていない。
世界最高峰に近い攻略実績を持つ《ヴァルカ》にとっても、東京異界深層は十分すぎるほど挑む価値のある場所だった。
ロウがタブレットを確認する。
「明日は午前から日本政府との打ち合わせです。東京異界の調査範囲、物資搬入、現地での指揮系統。そのあたりを詰める予定ですね」
「長そうだな」
ケンが露骨に嫌そうな顔をした。
「必要な打ち合わせです」
「俺、行かなくてよくね?」
「駄目です」
「なんでだよ」
「あなたも主力だからです」
ケンが舌打ちする。
アンは気にした様子もなく資料をめくった。
「日本のSランクも来るのだったな」
「何名か参加するそうです」
その言葉で、ケンの表情が少し変わった。
「そっちは面白そうだな」
ロウが嫌な予感を覚える。
「念のため言っておきますが、喧嘩は売らないでください」
「売らねえよ」
「その返事、まったく信用できません」
「俺をなんだと思ってんだ」
「十年以上の付き合いがある相手だと思っています」
「じゃあ信用しろよ」
「十年以上の付き合いがあるから信用していないんです」
ケンが不満そうに鼻を鳴らした。
しかし、すぐにテーブルへ近づくと、日本国内の異界分布を示した資料を一枚持ち上げる。
「それにしても、昔から不思議なんだよな」
「何がだ?」
「日本のSランク」
ケンは資料へ目を落とした。
東京。
千葉。
北海道。
瀬戸内海。
日本政府が管理する大型異界は四つ。
国土を考えれば、世界的にもかなり特殊な環境だ。
「大型異界が四つもあるだろ」
「あるな」
「なのに、Sランクの実力差が妙にでかい」
ロウが眉を上げる。
「日本のSランクは弱い、と?」
「違う」
そこはケンも即座に否定した。
「強い奴は普通に強い。海外でも名前が通ってる奴はいる。俺が言ってんのは、その下だ」
同じSランクという括りにいながら、実力にはかなりの開きがある。
もちろん、それ自体は日本に限った話ではない。
だが大型異界を四つ抱え、日常的に高難度の探索環境へ触れられる国として考えれば、ケンには少々歪に見えるらしい。
「これだけ環境が揃ってんなら、もっと全体的に強くなっててもよさそうなもんだけどな」
「明日、本人たちの前で言わないでくださいね」
「なんでだよ」
「なぜ言っていいと思ったんです?」
即座に返され、ケンが黙った。
アンはそんな二人を眺めてから、再び日本側の資料へ目を落とす。
「実際に会えば分かる」
「だな」
ケンが笑った。
「ランキングにも記録にも出てこねえ奴がいるなら、それはそれで面白い」
ロウは深く息を吐いた。
明日の日本政府との打ち合わせ。
調査計画をまとめるだけでも面倒だというのに、日本側のSランクまで参加する。
そして、こちらにはアンとケンがいる。
――調査そのものより、この二人を管理する方が大変なのではないか。
副マスターとしてそんな嫌な予感を覚えるのも、今に始まったことではなかった。




