撮影者の役割
店を出たところで、友丸は足を止めた。
「……ん?」
一区の空気が、明らかに変わっていた。
店へ入る前まで、大通りには素材を運ぶ冒険者や食事へ向かう者たちが行き交っていた。それが今は、武器を手に走る冒険者の姿が目立つ。
その間を縫うように、政府関係者らしいスーツ姿の男女も慌ただしく駆け回っていた。
「第三倉庫の備蓄を確認してください!」
「浅層の探索班へ連絡! 中層には入れるな!」
飛び交う声も穏やかではない。
通り沿いでは店員たちが看板を片づけ、次々と店を閉め始めている。
少し先でも、若い男が店先のシャッターを下ろそうとしていた。
友丸はそちらへ歩く。
「すみません」
「はい?」
「何かあったんですか?」
若い男はシャッターに手を掛けたまま、早口に答えた。
「中層でモンスターパレードの予兆が出たらしいです」
「モンスターパレード?」
「まだ確定じゃないみたいですけど、複数の魔物が浅層方向へ移動してるって。一般人と非戦闘員には異界の外へ退避するよう放送が――」
その時だった。
「伊藤さんは!? 連絡ついたか!」
大通りの向こうから怒鳴り声が響いた。
携帯端末を片手にしたスーツ姿の男が走っている。その後ろを、別の職員が追いかけていた。
「まだです!」
「早く呼び戻せ! 北海道にいるはずだろ!」
「今朝早く異界を出たそうです!」
「どこ行ったんだよ、こんな時に!」
二人はそのまま大通りの向こうへ消えていく。
「伊藤……」
友丸の脳裏に、昨夜、湖のほとりで会った男の顔が浮かんだ。
北海道支部所属のSランク冒険者。
ずいぶんと間の悪い時に北海道異界を離れたらしい。
「ありがとうございます」
「お兄さんも早く出た方がいいですよ」
「そうします」
若い男へ頭を下げ、友丸は歩き出した。
ちょうど一区全体に避難を促す放送が流れ始める。
一般人や低ランクの冒険者たちはゲート方面へ。
その流れとは逆に、十分な装備を整えた冒険者たちが支部施設へ向かって走っていく。
まだパニックにはなっていない。
避難も統制されている。
それでも、人手を集めていることだけは見れば分かった。
友丸は歩きながら考えた。
北海道異界に詳しいわけではない。
政府の人間でもなければ、ここで指揮を執る立場でもない。
戦うにしても、まず状況が分からない。
なら――今、自分にできることは何か。
「……人を集めるくらいなら、できるか」
大通りを外れ、人通りのない建物の裏へ入った。
バッグを下ろし、中を探る。
そして取り出したものを見て、友丸の眉間に皺が寄った。
「……まさか、これ使うとはな」
白い猫だった。
正確には、白猫を模した被り物である。
やたら丸く、やたら愛嬌があり、正面から見ると常に笑っている。
それを手にした瞬間、北海道へ来る前の出来事が嫌でも蘇った。
◇
配信用カメラの調整を頼みに、近藤のところへ行った時だった。
作業を終えた近藤が、机の下から白い何かを取り出した。
「はい」
「……何これ」
「猫」
「見れば分かる」
友丸の手へ、猫の被り物が押しつけられた。
「身バレ防止用」
「もっと普通のなかった?」
「なかった」
即答だった。
友丸は猫を見る。
猫は笑っている。
近藤を見る。
顔を逸らされた。
「お前、面白がってない?」
「面白がってない」
「こっち見て言えよ」
「忙しい」
肩が震えていた。
完全に笑っている。
「いらん」
「駄目」
「なんでだよ」
今度は小型の配信用カメラまで押しつけられた。
「これも」
「カメラなら持ってるだろ」
「予備」
「普段から持ち歩けって?」
「当然」
そこで近藤は、なぜか急に真面目な声になった。
「配信者たるもの、常にカメラを持ち歩くべし」
「誰の教えだよ」
「配信者の常識」
「信用できねえ」
「いつ、どこで、何が起きるか分からない。撮りたい時にカメラがなかったら配信者失格」
「……それはまあ」
異界にいる以上、何が起きるか分からない。
事故やイレギュラーに遭遇した時、映像を残せる道具があるのは悪くない。
「カメラは持ってく」
「猫も」
「猫はいらん」
「セット」
「なんのセットだよ」
結局、両方持って帰ることになった。
◇
そして今。
友丸は手の中の白猫を見つめていた。
「……役に立ったな」
近藤には絶対に言わない。
言えば、次はもっと酷いものを渡されそうな気がする。
諦めて被る。
見た目に反して視界は悪くない。そこだけは配信用として真面目に選んだらしい。
続いて予備のカメラを取り出し、電源を入れる。
『みゃ』
バッグの中から、こはくが顔を出した。
そのままふわりと浮かび、いつものように友丸の頭へ乗ろうとする。
「こはく」
『みゃ?』
「今日は頭から離れるなよ」
『みゃ』
白猫の頭へ、琥珀色の小さな身体が着地した。
「勝手に飛び回るなよ。終わるまでそこにいろ」
『みゃ』
返事だけはいい。
こはくは被り物の上で伏せた。
白い猫の被り物。
その頭に乗る、琥珀色の小さな猫らしい魔物。
自分では見えないが、相当に珍妙な姿になっているはずだ。
まあいい。
今は格好を気にしている場合ではない。
「さて……」
友丸はカメラを持ち上げた。
今、北海道一区が欲しがっているのは人手だ。
それも、中層へ向かえるだけの実力を持った冒険者。
政府も当然、各方面へ応援要請を飛ばしているだろう。
だが、人を集める方法なら友丸にも一つだけ心当たりがあった。
先日の配信で、嫌というほど思い知らされている。
自分が何か言えば――世界中へ広がる。
普段なら面倒なだけだ。
今回は、その面倒さが使える。
「俺の視聴者に頼んだ方が早いか」
配信開始のボタンを押した。
画面に映ったのは、白い猫の被り物をした男。
その頭には、琥珀色の小さな魔物。
背景には北海道異界、一区の建物が並んでいる。
視聴者数は数百から始まった。
千。
一万。
十万。
まだ止まらない。
通知を受け取った視聴者が雪崩れ込み、数字が秒単位で跳ね上がっていく。
コメント欄も一瞬で埋まった。
友丸は挨拶すらしなかった。
「北海道異界にいる」
それだけで、コメントの流れがさらに速くなる。
「今、中層でモンスターパレードの予兆が出てるらしい」
一気にコメント欄の雰囲気が変わった。
「まだ発生したとは決まってない。ただ、一区じゃ一般人と非戦闘員の退避が始まってる」
遠くから、避難を促す放送が聞こえている。
冗談でも、配信の企画でもない。
それだけは十分に伝わった。
「北海道周辺にいる冒険者で、すぐ動ける奴」
友丸はカメラを見る。
「来られるなら、北海道異界に来てくれ」
そこで終わらせず、すぐに付け加えた。
「ただし、低ランクは異界の中まで入ってくるな。来てくれるならゲートの外で待機してくれ。政府か支部から、何か手伝える仕事を振られるかもしれない」
戦えなくても、できることはある。
物資の運搬。
避難誘導。
外での雑務。
逆に、戦えない者が中へ入れば守る人間が必要になる。
それでは人手を増やすどころか減らしてしまう。
そして、もう一つ。
友丸は少しだけ声を低くした。
「あと、マスコミ」
コメント欄に疑問符が増えた。
「来るなとは言わない。一社から何人も来ないで、できれば代表だけにしてくれ。現場の邪魔になる」
さらに続ける。
「野次馬は絶対に来るな」
今度は、はっきりと言い切った。
「道路が渋滞して、必要な冒険者や物資が来られなくなったらどうなる?」
一拍。
「……分かるな」
コメント欄が爆発した。
《北海道!?》
《モンスターパレード?》
《政府発表出てる!》
《今札幌》
《北海道支部の冒険者いるか!?》
《拡散しろ!》
《撮影者さんが応援要請してる》
《低ランクは勝手に入るなよ!》
《現地勢、政府の指示を最優先にしろ!》
《野次馬マジで行くな》
《報道各社これ見てるだろ》
《道路塞ぐなよ絶対》
日本語だけではない。
英語。
中国語。
韓国語。
友丸には読めない言語まで、一斉に画面を流れていく。
視聴者数は今も増え続けていた。
友丸はその数字を眺め、それから最後に一つだけ付け加える。
「あと、俺の視聴者」
少し間を置いた。
「これ、拡散して」
その一言が、世界へ飛んだ。
配信の切り抜きが作られる。
SNSへ投稿される。
冒険者向け掲示板へ転載される。
海外のコミュニティへ翻訳され、さらに別の場所へ拡散されていく。
――北海道異界で、モンスターパレードの予兆。
――現地で冒険者を必要としている。
――低ランクは勝手に異界へ入るな。
――野次馬は現地へ向かうな。
政府からの正式な情報とは別の経路で、その情報が凄まじい速度で世界へ広がり始めた。
「人手は多い方がいいだろ」
友丸はそれだけ言うと、カメラを片手に建物の裏から大通りへ戻った。
頭には白猫。
その上には、こはく。
片手にはカメラ。
ほんの少し前まで北海道料理を食べていた旅行者の姿は、どこにもない。
大通りを走っていた政府職員の一人が、そんな友丸を見た。
そのまま通り過ぎる。
――二歩。
ぴたりと足が止まった。
職員が、ゆっくり振り返る。
友丸も一瞬だけそちらを見たが、特に声を掛けることなく歩き続けた。
数秒後。
背後から、一区中に響きそうな声が飛んできた。
「――撮影者さん!?」
友丸は振り返らなかった。
『みゃ』
頭の上で、こはくだけが振り返った。
モンスターパレードの予兆で慌ただしかった北海道一区が――別の意味でも騒がしくなり始めた。




