冒険者としてアップデート
「更新お願いします」
窓口へ呼ばれた友丸は、財布から冒険者カードを取り出してカウンターへ置いた。
受付の女性職員がカードを端末へ通し、表示された登録情報へ目を走らせる。
「坂田友丸さん。Cランクですね。本日の更新ですと、先に更新時講習を受講していただきます」
「講習?」
聞き覚えのない言葉に、友丸は首を傾げた。
「はい。二年前の制度改正で、Cランク以下の冒険者はカード更新時の受講が義務化されています」
「前はなかったですよね」
「二年前からですから。坂田さんは今回が制度改正後、初めての更新になりますね」
「そうなんですか」
初めて知った。
職員が僅かに眉を寄せる。
「事前に案内が届いていると思いますが」
「ああ……」
友丸の頭に、部屋の隅へ積んだままになっている封筒が浮かんだ。
管理局から何通か届いていた気がする。
重要そうだから後で読もう。
そう思ったところまでは覚えている。
「たぶん来てます」
「読んでくださいね」
「はい」
「……本当にお願いしますね」
なぜ二度言われたのかは分からない。
友丸は受講票を受け取りながら尋ねた。
「どれくらいかかります?」
「座学と実習を合わせて三時間ほどです」
「三時間……」
思わず声が低くなる。
「後日でも構いませんよ」
「じゃあ、そうします」
即答した友丸に、職員は笑顔のまま続けた。
「ただ、受講が終わるまでカードは更新できません」
「期限いつでしたっけ」
職員が画面を見る。
「本日です」
「……受けます」
逃げ道はなかった。
案内された三階の講習室には、すでに二十人ほどが集まっていた。
年齢も服装もばらばらだ。
二十歳そこそこに見える若者から、友丸より明らかに年上の冒険者までいる。企業名の入ったジャケット姿もいれば、異界帰りなのか大きなバッグを足元へ置いている者もいた。
友丸は空いていた後ろの席へ座る。
ほどなくして講師が入ってきた。
二年前から始まった更新時安全講習。
その目的は、冒険者として最低限必要な知識を定期的に更新することにある。
十年前に異界内から外部への安定した通信が可能になって以降、冒険者を取り巻く環境は大きく変わった。
通信端末。
救難システム。
探索用装備。
魔素への対策。
そして新たに確認された魔物や、異界特有の現象。
技術が進歩する一方で、冒険者になる人間そのものも増えた。企業所属だけでなく、配信を目的に異界へ入る者も珍しくない。
その結果、低ランク帯を中心に事故が増加した。
装備が良くなったから大丈夫。
通信できるから何かあれば助けてもらえる。
そんな油断から、自分たちの能力以上の区域へ踏み込む者もいる。
だからこそ二年前、Cランク以下を対象に更新時講習が義務化された。
「救難信号を送れば、すぐに誰かが助けに来てくれるわけではありません。異界では通信可能区域であっても、地形や魔素濃度によって位置情報に誤差が生じる場合があります」
前方で講師の説明が続く。
友丸は頬杖をつきながら聞いていた。
最初は三時間も何を聞かされるのかと思っていたが、意外にも知らない話が多い。
特に通信関係はそうだった。
普段使わないため、友丸の知識はかなり古い。
救難端末の説明では、画面に表示された最新機種を見て小さく呟いた。
「今、こんなになってるのか……」
隣に座っていた若い男がちらりと友丸を見る。
友丸は気にせず説明を聞き続けた。
魔力酔い。
装備の新規格。
救難時の対応。
転移系トラップへの注意。
異界で生き残るために必要な知識が一通り説明されていく。
途中で休憩を挟み、後半は状況判断の実習となった。
といっても、武器を持って何かと戦うわけではない。
別室の大型スクリーンへ実際の異界映像を映し、遭遇した魔物や周辺状況から、戦闘、迂回、撤退などを判断する。
冒険者の事故原因は、単純な実力不足だけではない。
戦わなくてもいい相手と戦った。
引き返せるうちに引き返さなかった。
仲間が負傷しているのに探索を続けた。
そうした判断ミスから重大事故へ発展する例も多いという。
いくつかの状況が提示され、受講者たちは手元の端末から回答していった。
友丸も周囲と同じように答える。
戦う必要がなければ戦わない。
危険なら離れる。
仲間が動けないなら探索を中止する。
それだけの話だった。
やがて実習も終盤に入った。
「では、最後は少し難しいものにしましょう」
講師の言葉とともに、スクリーンの映像が切り替わった。
それまでとは明らかに景色が違う。
巨大な木々。
地面を覆う見慣れない植物。
薄暗い森の中を、撮影者が慎重に進んでいる。
「これは東京異界の深い区域で撮影された映像です。皆さんが実際にここへ行くことを想定したものではありません」
講師がそう前置きする。
やがて、木々の間から一体の魔物が姿を現した。
細長い四足の身体。
前脚だけが異様に発達し、頭部から湾曲した二本の角が伸びている。
教室の空気が少し変わった。
Cランク以下の冒険者にとって、まず遭遇することのない魔物だ。
友丸はスクリーンを眺めた。
見覚えがあった。
「この魔物と遭遇したとします。戦闘は避けなければならない。後方へ戻る道も使えません。左右に逃げ道がありますが――皆さんなら、どちらを選びますか?」
画面に簡単な地形が表示される。
右側は比較的開けている。
左側は木々と岩が多く、足場も悪い。
回答時間は三十秒。
友丸は少しだけ考えて、左を選んだ。
集計結果が表示される。
多かったのは右だった。
視界が広い。
走りやすい。
魔物が追ってきても確認しやすい。
それが主な理由だった。
「では、答えです」
講師が映像を進める。
撮影者たちが右へ逃げ出した。
直後。
魔物が動いた。
正面から追わない。
大きく右へ膨らむように走り、驚くほどの速度で撮影者たちの進行方向へ回り込んだ。
教室から声が上がる。
「この魔物には、逃げる獲物の右側へ回り込む習性があります。そのため右の開けた場所へ逃げると、先回りされる可能性が高い。正解は左です」
講師が解説しながら手元の端末を見る。
そこで動きが止まった。
「……坂田さん?」
突然名前を呼ばれ、友丸は顔を上げた。
「はい?」
「坂田友丸さんですよね」
「そうですけど」
何人かが後ろを振り返る。
講師は端末を確認していた。
「回答理由に『右から回り込まれる』と書いてありますね」
「はい」
「この魔物をご存じだったんですか?」
「あ……」
友丸は少し考えた。
どう答えたものか迷ったわけではない。
いつ聞いたのかを思い出していただけだ。
「友達から聞きました」
「お知り合いの冒険者ですか?」
「はい」
「この魔物はかなり深い区域に生息していますが……」
「あいつ、Aランクだったんで」
教室の何人かが小さくざわついた。
友丸にとっては友人の職業を説明しただけだが、Aランク冒険者はそう気軽に会える存在ではない。
講師は少し驚いたものの、すぐ納得した。
「なるほど。Aランクの方から直接聞いたのであれば、ご存じでも不思議ではありませんね」
「たぶん、酒飲んでる時に聞きました」
「……よく覚えていましたね」
「こういう変な癖は覚えてるんですよ」
講師が苦笑する。
「それも立派な知識です。魔物図鑑に載っている情報がすべてではありません。実際に探索している冒険者が持ち帰った情報が、後になって正式な資料へ加えられることもあります。皆さんも他の冒険者との情報交換は大切にしてください」
話はそれで終わった。
講師が友丸を怪しむこともない。
Aランク冒険者から聞いた。
それだけで十分説明がつく。
友丸も、それ以上何かを言うつもりはなかった。
ほどなくして実習は終了した。
「以上で本日の更新時安全講習を終了します」
講師が受講者たちを見渡す。
「異界で重要なのは、魔物を何体倒したかではありません。生きて帰ることです。経験を積めば積むほど、自分なら大丈夫だと考えがちになります。ですが、異界には今も我々が知らないものが数多く存在します。危険だと判断したら退く。その基本だけは忘れないでください」
友丸も周囲と一緒に席を立った。
三時間。
長いと思っていたが、聞いてみれば知らないこともそれなりにあった。
特に通信機器については、少しくらい新しいものを買ってもいいかもしれない。
もっとも――。
値段次第だが。
「これで更新できるな」
受講票を手に、友丸は講習室を出た。
その足取りは軽い。
別に講習を終えた達成感があったわけではない。
これでようやく昼飯を食べに行ける。
今の友丸にとっては、そちらの方が重要だった。




