頑張れ配信者さん
ユリアが友丸のアパートを出てから、一週間が経った。
日本政府の仕事へ戻った彼女とは、それから会っていない。友丸も友丸で、ネカフェへ行ったり、気が向けば異界の絢香の食堂へ、すっかり普段の生活に戻っている。
一方で、『撮影者さん』を巡る騒ぎだけは、まるで普段に戻る気配がなかった。
先日の配信で場所が割れた鉱山では、友丸とユリアがプレートを埋めた場所が早くも『聖地』と呼ばれている。
もっとも、そこは気軽に観光できるような場所ではない。千葉異界でもかなり奥地にあり、辿り着ける冒険者は限られていた。
それでも到達した者はプレートの前で記念撮影をし、写真や動画を投稿する。
結果、世界各国の冒険者の間では――。
『撮影者さんの聖地巡礼』
などという言葉まで生まれていた。
そして、もう一つ。
今、急激に注目を集めている男がいた。
『どうも。撮影者です』
東京異界から配信されている映像。
カメラの前に立つ男は、頭から足先まで甲冑で固めていた。
背中には二メートル近い紫色の大太刀。
そして顔を隠しているのは、最近日本で人気のアニメキャラクターを模した仮面だった。
格好だけを見れば、それなりに雰囲気はある。
問題は――。
『いや、誰だよ』
開始早々、コメント欄へ無慈悲な一言が流れた。
そこからは早かった。
『声が違う』
『本物こんな声じゃない』
『体型も違くない?』
『肩幅広すぎ』
『身長もちょっと低い』
『撮影者さん、刀持つ時そんな立ち方しないぞ』
『まだ何もしてないのにバレてて草』
「…………」
男が黙る。
無理もなかった。
撮影者さんが世界的に知られるようになってから、すでにいくつもの映像が残されている。
氷竜との戦闘。
コンとのコラボ。
先日のユリアとの配信。
本人が配信した映像だけではない。切り抜き、転載、考察動画まで含めれば、その姿を見た人間は数億人どころでは済まなかった。
当然、その中には妙な方向へ情熱を注ぐ者も出てくる。
立ち方。
歩き方。
刀を抜く時の癖。
戦闘中の重心移動。
さらには過去の映像から身長や体格まで割り出そうとする者までいる。
世界にはすでに、本人以上に『撮影者さん』を研究している撮影者マニアが大量発生していた。
アニメキャラの仮面程度で誤魔化せる相手ではない。
「……今日はいつもと装備が違うからな」
男が苦し紛れに言った。
『声は装備で変わらん』
『体型もな』
『設定もうちょい練ってこい』
『でも紫の大太刀まで用意した努力は好き』
『偽物として見ると結構面白い』
どうやら誰一人として信じていない。
にもかかわらず、視聴者数は増えていた。
男が魔物を倒す。
『普通に強いじゃん』
『でも動きが全然違う』
大太刀を振る。
『本物そんなに力まない』
少し息を切らせる。
『撮影者さん、カメラ片手に氷竜と戦ってたぞ』
「いちいち比べるな!」
『撮影者さんが撮影者さん名乗ってキレてて草』
完全に玩具にされていた。
それでも男は配信を切らなかった。
むしろ意地になったのだろう。
浅い階層を抜け、中層へ。
それでも止まらない。
「ここまで来ても偽物って言えるか?」
『言える』
『余裕』
『むしろ本物ならもう少し先にいる』
「だったら行ってやるよ!」
売り言葉に買い言葉。
気づけば男は、深層の手前まで来ていた。
その一帯には、大きな特徴がある。
天候が極端に不安定なのだ。
つい先ほどまで晴れていた空が、急速に暗くなった。
厚い雲が頭上を覆い、風が強くなる。
「ん?」
男が空を見上げた直後。
雨が落ちてきた。
最初は数滴。
それが瞬く間に豪雨へ変わる。
「うおっ!」
横殴りの雨。
木々が大きくしなり、地面を水が走る。
さらに強烈な突風が吹き抜け、甲冑姿の男ですら身体を持っていかれそうになる。
ほんの数分で、辺りは台風の真っただ中のような有様になっていた。
「ちょっ、待て待て待て!」
さすがに進めない。
男は岩壁に開いた洞窟を見つけると、逃げ込むように駆け込んだ。
しばらくして。
洞窟の入口付近には、小さな焚き火ができていた。
「……ひでえ目に遭った」
男は火の前にしゃがみ込み、冷えた手を温める。
外では今も暴風雨が吹き荒れている。
さすがに視聴者も同情する――。
はずもなかった。
『撮影者さんならそのまま行きそう』
『分かる』
『カメラだけ濡れないようにして普通に歩いてそう』
『この前も山脈普通に登ってたしな』
『解釈不一致』
男の肩が震えた。
「俺だって人間なんだよ!」
即座に返ってくる。
『本物も人間だよ』
「…………」
何も言えなくなった。
コメント欄が笑いで埋まる。
「雨が弱くなったら戻るからな」
『帰るんかい』
『深層は?』
『本物なら行くぞ』
「行くか! 死ぬわ!」
もはや本人も撮影者さんを演じることを諦めかけていた。
その時だった。
『ん?』
一つのコメントが流れた。
続いて。
『後ろ』
『おい、後ろ見ろ』
『なんか光ってない?』
男が眉をひそめる。
焚き火の向こう。
光の届かない洞窟の奥へ目を向けた。
暗闇の中に、二つの小さな光が浮かんでいる。
四つ。
六つ。
十。
さらに、その奥にも。
「……なんだ、あれ」
さっきまで笑いで埋まっていたコメント欄の空気が、一変した。
『待て』
『この洞窟見たことある』
『まずい』
『おい出ろ!』
『そこ蟻の巣だ!』
「蟻?」
男が聞き返す。
その直後。
暗闇から黒い巨体が這い出した。
「……は?」
一メートルほどもある巨大な蟻。
黒光りする外殻。
人間の腕ほどもある顎が、ガチガチと不気味な音を立てている。
一匹だけではない。
その後ろから二匹。
三匹。
次々と現れる。
『目! 目が弱点!』
『目狙え!』
『二、三十匹倒せば危険感じて残りは引く!』
『それまで耐えろ!』
「二、三十……!」
男は立ち上がった。
背負っていた紫色の大太刀を抜く。
ここまで一人で来ただけあって、冒険者としての腕は決して低くない。
飛び込んできた一匹目。
「おらぁ!」
大太刀を振り下ろす。
刃が頭部へ食い込み、そのまま地面へ叩き伏せた。
横から二匹目。
身体を捻り、横薙ぎ。
黒い巨体が岩壁へ叩きつけられる。
三匹目も倒す。
『おお!』
『普通に強い!』
『これならいける』
『偽物だけどな』
「今それ言う必要あるか!?」
まだ言い返せた。
だが――十匹を越えた辺りから、余裕が消えた。
「くそっ!」
一匹を斬る。
その横から二匹。
大太刀で弾き飛ばしたところへ、さらに三匹が迫ってくる。
数が減らない。
それどころか、暗闇の奥では無数の目が光り続けていた。
「多すぎるだろ!」
男が後退する。
一歩。
二歩。
気づけば背後には焚き火しかない。
炎を嫌っているのか、蟻たちは一度足を止めた。
男は荒い息を吐きながら、大太刀を構える。
手が震えていた。
『今のうちに逃げろ!』
『外へ走れ!』
『立て!』
「……無理だ」
膝が崩れた。
そのまま地面へ尻をつく。
「足……動かねえ……」
腰が抜けていた。
コメント欄が一気に慌ただしくなる。
『救助要請!』
『誰か位置分かる奴!』
『緊急救助出せ!』
『もう出した!』
『配信位置も送れ!』
だが、救助が今すぐ来るわけではない。
一匹の蟻が、焚き火へ近づいた。
炎の前で一度止まる。
それでも前脚を出した。
火の中へ。
「おい……」
そのまま焚き火を乗り越える。
二匹目も続いた。
三匹目。
「来るな……!」
男が後ずさる。
壁にがカメラへ当たった。
映像が大きく揺れ、そのまま地面へ倒れる。
画面に映るのは洞窟の岩肌と、焚き火の端だけ。
巨大な蟻の脚が、その前を横切った。
「くそっ……!」
何かがぶつかる。
カメラがさらに転がった。
映像が真っ暗になる。
『おい!』
『大丈夫か!?』
『返事しろ!』
『救助まだか!』
『間に合わないだろこれ!』
世界中の視聴者が画面を見守る中――。
ガッ、と。
硬い何かが砕ける音がした。
『?』
続けてもう一度。
何かが地面へ落ちる。
直後、鋭い斬撃音。
岩壁へ何かが叩きつけられた。
『何だ?』
『戦ってる?』
『こいつ動けなかったよな?』
映像は見えない。
聞こえるのは音だけ。
硬い外殻が砕ける。
何かが斬られる。
壁へ激突する。
それが何度も、何度も続いた。
やがて。
一分。
二分。
三分ほど経った頃。
唐突に静かになった。
『……終わった?』
『何が起きた』
『救助隊?』
『カメラ起こしてくれ』
誰も状況を理解できない。
そんな中。
洞窟の奥から、男の声が聞こえた。
「あったあった」
コメントの流れが止まりかけた。
「この茸、ばあちゃん好きなんだよな。残っててよかった」
数秒。
『…………』
『え?』
『待って』
『今の声』
『聞いたことある』
そして。
世界中に存在する撮影者マニアたちが、ほぼ同時に気づいた。
『本物』
『本物だ』
『嘘だろ!?』
『撮影者さん!?』
『本物きたああああああ!』
コメント欄が爆発した。
足音が近づいてくる。
倒れたカメラには何も映らない。
やがて画面の端を、一人の男の靴が横切った。
「ん?」
足音が止まる。
「なんだ、寝てるのか?」
少しだけ間が空いた。
「……いや、気絶してるのか」
どうやら倒れている男を確認しているらしい。
『撮影者さん!』
『そいつ偽物!』
『あなたの偽物です!』
『カメラ! カメラある!』
『配信中だぞおおお!』
当然、コメントが友丸に届くはずもない。
友丸は気絶している男を見下ろしたあと、周囲を確認した。
洞窟の入口から奥まで、巨大蟻の死骸が転がっている。
茸を探して歩いていたら、たまたま巣の奥へ入り込んだ。
邪魔だったので倒した。
それだけだった。
「まあ、蟻は全部ヤッたから大丈夫だろ」
何でもないことのように呟く。
そして、カメラの向こうでは。
世界中の視聴者が、完全に壊れていた。




