異界いいとこ一度は行こう
整備された区域を抜けるにつれ、人の姿は急速に減っていった。
最初は大型トラックや採掘車両が頻繁に行き交っていた道路も、やがて企業の拠点が途切れ、舗装そのものがなくなる。
最後の採掘基地を通り過ぎた頃には、周囲に人工物らしいものはほとんど残っていなかった。
友丸は足を止め、冴木から送られてきた地図を確認する。
「ここから結構あるな」
「歩くの?」
「走った方が早いだろ」
「そうね」
二人は同時に地面を蹴った。
白いコートと濃いマントが大きく翻る。
一般の冒険者なら数日かけて進む距離を、二人は荒野を駆け抜け、岩場を飛び越え、ほとんど休むことなく進んでいく。
途中から道らしい道すら消えた。
景色も徐々に変わる。
平坦だった荒野に岩山が増え、やがて前方を埋め尽くすほど巨大な山々が姿を現した。
数時間後。
二人は揃って足を止めた。
「……でかいな」
友丸が戦隊ヒーローのお面を少し持ち上げる。
目の前に広がっているのは、一つの山ではなかった。
山脈だった。
灰色と黒の岩肌を剥き出しにした峰々が、左右の果てまで幾重にも連なっている。
手前にある山だけでも十分に巨大だが、その後ろにはさらに高い峰があり、そのまた奥にも山影が続いていた。
中でもひときわ高い峰は、途中から雲に呑まれている。
見上げても頂上が見えない。
ユリアも兜を外した。
長い金髪が一気に零れ落ちる。
「前に来た時、ここまでは来なかったわ」
「俺も初めてだな」
友丸は携帯を取り出し、冴木から送られてきた採取地点を確認した。
目的の研磨石が採れる場所は一つではない。
山脈の各所に採掘地点が記されている。
低い場所にもある。
わざわざ登る必要はなかった。
「この辺で取れるみたいだな」
「じゃあ――」
ユリアも地図を覗き込み、指を滑らせる。
やがて、最も奥にある印で止めた。
「ここにしましょう」
友丸が見る。
「一番高いところじゃん」
「どうせなら一番上まで行きたいじゃない」
「石拾いに来ただけだぞ」
「どこで拾っても同じなんでしょ?」
「まあ」
「なら決まり」
勝手に決まった。
友丸としても、特に反対する理由はない。
二人は再び歩き出した。
山へ入ると、それまで以上に足場が悪くなる。
大小の岩が転がる斜面。
切り立った崖。
ところどころには、巨大な岩盤が壁のように立ちはだかっている。
その間を縫うように登っている途中だった。
前方で岩が動いた。
友丸が足を止める。
「いるな」
「いるわね」
最初は周囲の岩と見分けがつかなかった。
だが、積み重なっていた岩塊がゆっくりと持ち上がり、人の形を作っていく。
高さは五メートルほど。
全身が黒い岩石で覆われ、腕だけでも友丸の胴ほど太い。
岩系の魔物だった。
魔物は二人を見つけると、巨大な腕を振り上げる。
友丸は腰の刀へ手をかけた。
「ちょうどいいか」
淡い桃色の刀身が鞘から抜ける。
踏み込んだ。
一閃。
それだけだった。
友丸は魔物の横を通り抜け、刀を軽く振って岩の粉を落とす。
背後で、巨体の上半身がずれた。
硬い岩石でできた身体が、斜めに切断されている。
遅れて下半身も崩れ、岩塊となって斜面を転がっていった。
「……すごい刀ね」
ユリアが近づいてくる。
「全然引っ掛からなかった」
友丸自身、少し驚いていた。
岩系の魔物は特別強いわけではないが、とにかく硬い。普通の刃物なら、斬るというより叩き割るような戦いになる。
だが今の一撃には、ほとんど抵抗がなかった。
友丸は桃色の刀身を眺める。
刃こぼれ一つない。
「冴木さん、相当いい仕事したな」
「それだけ?」
「なにが?」
ユリアは地面に転がった魔物の断面を見る。
綺麗すぎる。
力任せに破壊した跡ではない。
硬い岩の身体を、最初からそこに切れ目があったかのように断ち切っている。
「……まあ、いいわ」
「なんだよ」
「なんでもない」
友丸は首を傾げながら刀を鞘へ戻した。
冴木の研ぎが凄い。
それは間違いない。
ただ、それを何の抵抗もなく岩の魔物へ通した男の技量も、十分凄かった。
本人が気にしていないだけで。
二人は再び登り始めた。
◇
どれほど登っただろう。
途中から雲の中へ入り、視界が白く染まった。
さらに登る。
やがて雲を抜けた。
青空が広がった。
そして――。
「おお……」
友丸が思わず声を漏らした。
眼下に広がっていたのは、山だった。
山。
その向こうにも山。
さらに遥か彼方まで、大小無数の峰が連なっている。
先ほどまで自分たちが歩いていた荒野など、もう見えない。
雲が山々の間を海のように流れ、その中から無数の峰だけが突き出していた。
人工物は一つも見えなかった。
ここから見えるのは、異界そのものだけだった。
ユリアも何も言わず景色を眺めている。
二人とも、異界へ潜るようになって長い。
普通の人間なら一生見ることのない景色も、数え切れないほど見てきた。
それでも。
「これは結構すごいな」
「ええ」
ユリアが素直に頷いた。
「今まで見た異界の景色でも、かなり上ね」
「だな」
しばらく二人とも動かなかった。
風だけが吹き抜け、友丸の白いコートとユリアのマントを揺らしていく。
やがてユリアが、足元に置いていた配信機材へ目を向けた。
「ねえ」
「なに?」
「これ、私たちだけで見るのも勿体なくない?」
友丸もカメラを見る。
「撮る?」
「配信しましょう」
「誰が?」
「私が」
友丸が振り向いた。
ユリアはすでに携帯を取り出している。
「配信やってたの?」
「やってたわよ」
「知らなかった」
「二年くらいやってないもの」
「なんで?」
「面倒になったから」
あまりにも単純な理由だった。
ユリアは携帯を操作しながら、冴木から借りた機材を見る。
「これ、私の携帯とリンクできる?」
「たぶん。貸して」
友丸が受け取り、設定画面を開く。
規格は一般的なものだった。
「できるな」
「じゃあ繋いで」
「本当に配信するの?」
「せっかくだもの」
ユリアは眼下へ視線を戻した。
雲海の向こうまで続く、異界の山々。
「世界中の人にも見せてあげましょう」
「好きにすれば」
「あなたも映るのよ?」
友丸の手が止まった。
自分の格好を見る。
白いロングコート。
薄桃色の刀。
戦隊ヒーローのお面。
その隣にはフルプレートとマント。
確かに、正体が分かる格好ではない。
「まあ、いいか」
「決まりね」
二年もの間、動いていなかったユリアの配信アカウント。
その配信再開が、千葉異界の誰もいない山頂になるとは、本人も考えていなかっただろう。
友丸はカメラと携帯の接続を終えると、ユリアへ返した。
「繋がった」
「ありがとう」
ユリアは画面を確認する。
そして何の予告もなく――配信開始のボタンを押した。




