世界10位はやっぱりヤバい。
「……そろそろきついか」
友丸はカメラを下ろした。
木場はまだ立っている。
だが、先ほどまでとは明らかに動きが鈍い。
三メートルほどのドラゴンは、その周囲を縫うように駆け回っていた。ただでさえ速かった動きが、戦闘が続くにつれてさらに鋭さを増している。
「絢香」
カメラを渡そうとした、その時だった。
「待って」
横からユリアが手を伸ばした。
「私が行くわ」
「お前が?」
「その子、昔ヨーロッパで戦ったことがあるの」
ユリアはドラゴンを眺めながら、軽く肩を回す。
「あれ、追い込まれるともっと速くなるわよ」
「まだ速くなるのか?」
「なるわね。今はまだ大人しい方」
友丸はもう一度ドラゴンを見る。
今の時点で、木場ほどの冒険者が苦戦する速さである。
それを大人しいと言われても困る。
ユリアはそんな友丸をよそに、腕を伸ばして身体をほぐし始めた。
「ずっと移動ばかりだったし、ちょうどいいわ。少し肩慣らししてくる」
「武器は?」
「いらない」
そのまま砂漠へ歩き出す。
友丸は止めなかった。
代わりに、カメラをその背中へ向ける。
《え?》
《ユリアが行くの?》
《ちょっと待て》
《世界10位だぞ!?》
《戦うところ見られるの!?》
《武器持ってないぞ》
《YULIA!?》
数億人が見守る中、世界ランキング十位の冒険者が、素手のまま戦場へ入っていった。
◇
木場は荒い呼吸を整えながら、ドラゴンを睨んでいた。
速い。
最初から厄介な相手だったが、戦うほどに速度が増している。
それでも退くわけにはいかなかった。
負傷者たちは十分に距離を取った。
救援が来るまで、あと少し――。
「交代」
不意に横から声をかけられた。
「……は?」
木場が振り向く。
金色の長い髪。
整った顔立ち。
見間違えるはずがない。
世界中の冒険者なら誰でも知っている顔だった。
「ユリア……?」
「お疲れさま。あとは私がやるわ」
「いや、なんで――」
「後ろの怪我人、見てあげて」
木場は言葉を失った。
なぜ日本にいる。
なぜ東京異界にいる。
なぜ目の前にいる。
そもそも、なぜ素手なのか。
疑問はいくらでも浮かんだ。
しかし、それを口にする時間はなかった。
「来るわよ」
ユリアの視線が前へ向く。
木場も反射的に構えた。
ドラゴンが地面を蹴る。
消えた。
直後。
ユリアも消えた。
「――っ!?」
木場の視線が動く。
追えない。
少し離れた場所では、友丸がカメラを振っていた。
「……どこだ?」
右へ向ける。
何もいない。
轟音が左から響く。
慌てて戻す。
砂煙しか映らない。
《見えない!》
《カメラ追いついてないぞ!》
《右! 右!》
《もう左だ!》
《速すぎる》
《ZAN頑張れ!》
「無茶言うな。映らねえんだよ」
友丸も途中から諦めた。
カメラを少し引き、二人が動いている範囲全体を映す。
それでも、捉えられるのは一瞬だった。
ドラゴンが踏み込む。
ユリアが紙一重で身体をずらす。
すれ違いざま、脇腹へ拳を叩き込んだ。
衝撃音。
ドラゴンの身体が流れる。
「今、右から来たのをかわして脇腹に一発」
《見えなかった》
《実況助かる》
《撮影者さんには見えてるのか》
《もっと実況して!》
ドラゴンが反転する。
さらに速い。
今度は背後からユリアへ迫った。
ユリアは振り返らない。
半歩ずれ、そのまま後ろへ蹴りを放つ。
ドラゴンが砂の上を滑った。
「今度は後ろから。蹴ったな」
《だから見えねえって!》
《世界10位やばすぎる》
《木場が苦戦してた相手だぞ》
《素手だよな?》
「素手だな」
友丸も改めて気づいた。
武器どころか防具らしい防具すらない。
それでもユリアには余裕があった。
ドラゴンの突進をかわす。
殴る。
離れる。
追ってきたところを、またかわす。
致命傷を狙っている様子もない。
むしろ――。
「こいつ、本当に肩慣らししてやがる。軽い組手してるぞ」
友丸が呆れた。
木場を追い込んでいたドラゴンを相手に、ユリアは身体の調子を確かめるように動いている。
軽い組手。
本人にとっては、その程度なのだろう。
やがてドラゴンの動きが変わった。
さらに速くなる。
砂を蹴った瞬間、完全に姿が消える。
轟音だけが遅れて響いた。
ユリアも速度を上げた。
もはやカメラには、まともに映らない。
《消えた》
《何も見えない》
《音しか聞こえん》
《これ生配信だよな?》
《映像壊れてない?》
「壊れてねえよ」
友丸には見えていた。
だからこそ、思わず口から漏れた。
「……あいつ、マジか」
ドラゴンが襲いかかる。
ユリアが潜る。
拳。
ドラゴンが反転。
ユリアが横へ抜ける。
蹴り。
速い。
単純な身体能力だけではない。
相手の動きを見切る速度も、身体の使い方も、戦闘の組み立ても桁が違う。
「ヤバい。強すぎだろ」
何気なく漏れた一言だった。
その直後。
ユリアがドラゴンの攻撃をかわした。
そのまま背後へ回る。
何かした。
友丸にはそう見えた。
次の瞬間――。
「ん?」
カメラいっぱいに、ドラゴンの顔が現れた。
近い。
あまりにも近い。
先ほどまで数百メートル先にいたはずのドラゴンが、真正面からこちらへ突っ込んできている。
《え》
《は》
《wwwww》
《逃!!》
《ZAN!!》
友丸はカメラを持ったまま、その場から動かなかった。
空いている手を上げる。
「せい」
手刀を一突き。
それだけだった。
鈍い音が響く。
ドラゴンの動きが止まった。
「…………」
数秒遅れて、その身体が傾く。
轟音とともに砂の上へ倒れた。
カメラはほとんど揺れていない。
そして倒れたドラゴンには、友丸の手刀が正面から深々と突き抜けた跡が残っていた。
コメント欄が止まった。
一秒。
二秒。
数億人が見ているはずの配信から、文字が消える。
まるで画面の向こうにいる全員が、今起きたことを理解できていないようだった。
友丸も倒れたドラゴンを見下ろす。
「……おい」
顔を上げた。
少し離れた場所から、ユリアが歩いてくる。
妙に楽しそうな顔をしていた。
友丸はその顔を見て確信する。
「お前、わざとこっち向けただろ」
「何のこと?」
「とぼけんな」
「偶然よ」
「最後、こっち見てただろ」
ユリアは数秒だけ真顔を保った。
やがて片目を閉じ、ぺろりと舌を出す。
「てへっ」
「…………」
その瞬間。
止まっていたコメント欄が――爆発した。




