また無料券につられる
絢香の店へ着いた頃には、すでに営業を終えていた。
表の看板は片づけられ、暖簾も下ろされている。ただ、店内にはまだ明かりが残り、数人の従業員がテーブルを拭いたり、厨房の片づけをしたりと忙しなく動いていた。
友丸が扉を開けると、その音に気づいた絢香が厨房から顔を出す。
「友丸? 珍しいね、こんな時間に」
「ああ。ちょっとな」
「ご飯なら今日はもう――」
言いかけて、絢香の視線が隣へ移った。
長い金髪。
百八十センチ近い長身。
そして顔には、女の子向けアニメキャラクターのお面。
どう考えても怪しい。
それでも絢香は驚くより先に、じっと相手を見つめた。
「…………」
やがて何かに気づいたように目を細める。
「ちょっと待ってて」
それだけ言うと、従業員たちへ振り返った。
「みんな、今日はもう上がっていいよ。残りは私がやっておくから」
「え? でも、まだ厨房が少し」
「そこだけ私がやるよ。明日の準備は終わってるでしょ?」
「はい」
「じゃあ大丈夫。お疲れさま」
普段より少し早い解散に首を傾げる者もいたが、店主がそう言うならと帰り支度を始める。
友丸とユリアは邪魔にならないよう店の隅で待った。
やがて最後の従業員が出ていく。
絢香は入口の鍵を閉め、カーテンを下ろした。
そのまま振り返る。
「……もういいよ」
待ってましたとばかりにユリアがお面を外した。
長い金髪がさらりと肩へ落ちる。
「久しぶり、絢香」
一瞬の静寂。
次の瞬間、絢香の顔が一気に綻んだ。
「やっぱりユリア!」
「久しぶり!」
二人は笑いながら歩み寄り、そのまま抱き合った。
「本当に久しぶり! いつ以来?」
「ちゃんと会ったのは五年くらい前じゃない?」
「そんなに経った?」
「経ったわよ。絢香が忙しいから」
「ユリアにだけは言われたくないなあ」
「それもそうね」
顔を見合わせ、また笑う。
数年ぶりとは思えない。
少なくとも友丸には、数日前にも会っていたようにしか見えなかった。
なら、もう自分がここにいる必要もない。
「じゃ、俺は帰るわ」
踵を返す。
「待って」
「待ちなさい」
ほぼ同時だった。
友丸は扉へ伸ばしかけた手を止める。
「何だよ」
「どこ行くの?」
「帰るんだよ」
「一緒に来るでしょ?」
絢香が当然のように言う。
「どこに」
「うち」
「行かねえよ」
「なんで?」
「なんで俺まで行くんだよ。久しぶりに会ったんだから、二人で話せばいいだろ」
すると今度はユリアが呆れた顔をする。
「友丸だって久しぶりでしょ?」
「お前とは朝から一緒だ」
「そういう意味じゃないわよ。三人で会うのが久しぶりなの」
「だから?」
「だから行くの」
「なんでお前が決めるんだよ」
「いいから行きましょ」
話を聞く気がない。
絢香まで笑顔で頷いている。
二対一。
どうやら拒否権はないらしい。
◇
一時間後。
友丸は絢香の家で夕飯を食べていた。
帰ると言ったはずなのに、なぜこうなったのか。
考えるだけ無駄なので、目の前の焼き魚へ箸を伸ばす。
「美味しい!」
向かいでは、ユリアが先ほどから上機嫌だった。
テーブルには焼き魚に煮物、唐揚げ、野菜の和え物と、三人で食べるには十分すぎる量の料理が並んでいる。
「やっぱり絢香の料理、好き」
「ありがとう。いっぱいあるから食べて」
「食べる」
「お前、さっきからずっと食ってるだろ」
「いいじゃない。休暇中なんだから」
「休暇って便利な言葉だな」
「友丸も食べてるじゃない」
「夕飯だからな」
「その唐揚げ食べる?」
「食う」
「まだいっぱいあるよ?」
「じゃあそっち取れよ」
「友丸のが美味しそう」
「同じ皿から取ったやつだぞ」
絢香が吹き出した。
「二人とも昔から変わらないね」
「こいつと一緒にするな」
「こっちの台詞よ」
数年ぶりに三人が揃ったというのに、昔話らしい昔話はほとんど出てこない。
それでも会話は途切れなかった。
そんな夕食の途中だった。
テーブルの端に置かれていた絢香のスマートフォンが震える。
「あれ?」
画面を確認した絢香が呟く。
「櫻子さんだ」
友丸の箸が止まった。
「出ない方がいいぞ」
「なんで?」
「嫌な予感がする」
「何それ」
笑いながら、絢香は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『もしもし、絢香ちゃん元気?最近特に忙しそうね。ユリア、そこにいるでしょ
絢香がユリアを見る。
ユリアも唐揚げを持ったまま動きを止める。
「……いますけど」
『やっぱり』
電話の向こうから、深いため息が聞こえた。
ユリアが椅子から少し身を乗り出す。
「どうしたの?」
『どうしたの、じゃないわよ』
「あら、聞こえた?」
『聞こえるように言ったでしょ』
絢香が苦笑しながらスマートフォンをテーブル中央へ置き、スピーカーへ切り替えた。
『先に言っておくけど、あなたの国とは話がついてるからね』
「何の話?」
『あなたの話よ。日本で一週間ほど休暇を取ることも、こちらに滞在していることも向こうは承知してる。だから政府同士では何も問題ない』
「なら、いいじゃない」
『それがよくないのよ』
櫻子の声には、明らかな疲れが滲んでいた。
『今日一日、電話とメールがひっきりなしなの』
「誰から?」
『日本のテレビ局、新聞社、週刊誌。海外のテレビ局や新聞社も。それに一般からの問い合わせまで』
「日本政府に?」
絢香が驚いたように聞く。
『そう。ユリアが日本にいるんじゃないかって』
ユリア本人は、いまいち事態を理解していない顔をしている。
櫻子はそんな姿が見えているかのよう続ける
『日本に入ったところまでは確認されてるのよ。問題はそのあと。空港を出てから、あなたがどこに行ったのか誰も分からない』
「友丸のところに行ったわよ」
『世間は知らないの』
ぴしゃりと返された。
『来日したユリアが、そのまま姿を消した――今はそういう扱いになってるの。日本のマスコミだけじゃない。海外まで騒ぎ始めてるわよ』
「大げさねえ」
『あなたが世界中でどれだけ顔を知られてると思ってるの』
『日本で何をしているのか。政府から何か依頼を受けたのか。東京異界へ極秘で入るんじゃないか。怪我をしているんじゃないか。引退するんじゃないか。もう朝から好き勝手に問い合わせが来てる』
「引退しないわよ?」
『知ってるわよ』
「なら大丈夫じゃない?」
『だから世間は知らないって言ってるでしょ!』
友丸は黙って味噌汁を飲んだ。
関わらない。
今日の経験上、櫻子からの電話に余計な口を挟むと、ろくなことにならない。
『こっちから正式に発表するほどの話でもないし、かといって放っておくと騒ぎが大きくなるし……』
「大変ね」
『他人事みたいに言わないで』
「だって休暇だもの」
『本当に自由ね、あなた』
櫻子がもう一度ため息をつく。
それから声の調子を変えた。
『それで、絢香ちゃんにお願いがあるんだけど』
「私ですか?」
『ユリアと一回、配信してくれない?』
「配信?」
『うん。元気に日本で休暇を楽しんでますって分かれば、それでいいの。あなたの配信なら普段から見てる人も多いし、海外にも切り抜きはすぐ広がるでしょ』
「ああ、なるほど」
絢香は納得したように頷き、ユリアを見る。
「どうする?」
「いいわよ」
返事は早かった。
むしろユリアは楽しそうだ。
「せっかくなら何かしたいわね」
「何かって?」
「普通にご飯食べてるだけじゃつまらないでしょ?」
「生存確認なんだから、それでも十分だと思うけど……」
絢香が少し考える。
やがて、ふと何かを思いついたように顔を上げた。
「じゃあ、キャンプする?」
「キャンプ?」
「東京異界で」
ユリアの目が輝いた。
「いいわね!」
食いつくのが早い。
「前に友丸と行った深層の森があるの。川もあるし、景色も綺麗だよ」
「あそこか」
友丸にも覚えがある。
以前、絢香と一緒に泊まった森だ。
比較的安全に野営できる場所も分かっている。
「そこ行きたい!」
「じゃあ二泊くらいする?」
「二泊三日ね。いいじゃない!」
話が恐ろしい速さで決まっていく。
友丸は箸を置いた。
嫌な予感しかしない。
「じゃあ、二人で楽しんでこい」
「何言ってるの?」
絢香がこちらを向いた。
ユリアも同じ顔をする。
「何が」
「友丸も行くよ」
「行かねえよ」
即答した。
「なんで?」
「なんで俺が行くんだよ。配信するのはお前らだろ」
「三人で行った方が楽しいじゃない」
ユリアまで加わる。
「俺はこの前行ったばっかりだ」
「いいじゃない。もう一回行けば」
「嫌だ」
「頑固ね」
「お前らが勝手に決めてるだけだろ」
しばらく押し問答が続く。
だが友丸に行く気はない。
それを見ていた絢香が、ふと何かを思いついた。
「じゃあ、友丸」
「何だ」
「今月、うちの店で食べるの無料」
友丸が止まった。
「……今月?」
「うん」
「何回行っても?」
「常識の範囲なら」
「大盛りは?」
「いいよ」
「追加の小鉢は?」
「それもいい」
「夜も?」
「営業時間なら」
友丸は黙った。
ユリアが信じられないものを見るような目を向けてくる。
「……まさか迷ってる?」
「食費一か月分だぞ」
「そんなに大事?」
「大事に決まってるだろ」
先日、財布の中身を見て金がないと呟いたばかりである。
食費が一か月浮く。
しかも絢香の店なら味も量も申し分ない。
深層の森へ行って、二泊して、帰ってくる。
「…………」
悪くない。
「二泊三日までな」
「決まり!」
絢香が即座に笑った。
ユリアは呆然としている。
「本当に食事で釣れた……」
「うるせえ」
電話の向こうからも笑い声が聞こえた。
『友丸、あなた本当に分かりやすいわね』
「黙れ」
『でも助かった。絢香ちゃん、お店は大丈夫?』
「二、三日なら問題ないですよ」
絢香は気軽に答えた。
「最近は弟子も育ってきましたし、スタッフも増やしてますから。私がいなくても店は回せます」
『ならお願い』
「はい」
これで決まりだった。
櫻子との電話が終わる頃には、ユリアと絢香はすでにキャンプの相談を始めていた。
「テントは?」
「あるよ。配信用の機材も準備しないと」
「食材はいっぱい持っていきましょ」
「店から持っていけるよ。向こうで料理配信するのもいいかも」
「お肉多めね」
「野菜も食べなよ」
「食べるわよ」
楽しそうで何よりである。
友丸は残っていた味噌汁を飲み干した。
ユリアは日本へ来た時、一週間くらいのんびりしたいと言っていた。
東京異界の深層で二泊三日のキャンプ。
果たしてそれを『のんびり』と呼んでいいのかは分からない。
もっとも、本人が楽しそうなので問題ないのだろう。
「じゃあ明日の朝から行く?」
絢香が何気なく言った。
「いいわね!」
「待て」
友丸が顔を上げる。
「明日?」
「うん」
「急すぎるだろ」
「準備なんてすぐ終わるよ」
「私も荷物ほとんど持ってきてないから大丈夫」
「それは大丈夫なのか?」
むしろ逆だろう。
だが、二人はすでに明日の話で盛り上がっている。
どうやら友丸の意見が採用される余地はなさそうだった。
多分明日から二泊三日。
行き先は東京異界深層。
報酬は、絢香の店で一か月食事無料。
友丸は空になった茶碗を見下ろした。
「……朝飯も無料だからな」
「分かったって」
絢香が笑う。
こうしてユリアの日本での休暇、その最初の予定が決まった。




