ある意味世界驚愕
翌朝。
絢香は店をスタッフに任せるため、一度食堂へ向かった。
二、三日の留守なら問題ないという。従業員も増え、弟子も育っている。仕入れや仕込みについても指示を出してから来るらしい。
その間に、友丸とユリアは荷物を持って東京異界へ入った。
目指すのは深層の森。
以前、友丸と絢香がキャンプをした場所である。
昼前には目的地へ着いた。
巨大な木々に囲まれた森の中を、澄んだ川が流れている。人の姿はなく、聞こえるのは水音と木々のざわめき。時折、遠くから魔物の鳴き声が響いてくる程度だった。
「いいところね」
荷物を下ろしたユリアが、川辺まで歩いていく。
「ここなら二、三日のんびりできそう」
「そうか」
「友丸は感動とかないの?」
「この前来たからな」
「つまらない男ね」
好き勝手言いながら、今度は川を覗き込んでいる。
放っておいても問題ないだろう。
友丸はテントを張り、テーブルや椅子を出した。昨日のうちに預かっていた撮影機材も組み立てておく。
昼を過ぎた頃、絢香も合流した。
「お待たせ」
「店は?」
「大丈夫。みんなに任せてきた」
その後は三人で残りの準備を済ませた。
テント。
調理台。
ランタン。
配信用の機材。
夕方には、二泊三日の拠点が完成していた。
◇
夜。
深層の森に、ランタンの明かりが灯る。
調理台の前には絢香。
カメラの画角を確認すると、いつも通りの調子で配信を始めた。
『こんばんは。今日は東京異界からです』
時間は遅い。
それでも視聴者数は開始直後から猛烈な勢いで増えていった。
先日のコラボ配信以降、絢香のチャンネル登録者は七百万人を超えている。
数分もしないうちに、同時視聴者数は数百万人へ達した。
《こんばんは!》
《待ってた》
《深層キャンプ?》
《今日は料理配信か》
『今日はキャンプしながら、のんびり夕飯を作っていきます』
いつもと変わらない始まりだった。
ただし、今夜はそれだけではない。
『それと今日は、スペシャルゲストがいます』
途端にコメントの流れが変わる。
誰だ。
有名冒険者か。
いよいよ、西郷が出るのではないか。
様々な予想が飛び交う。
絢香は画面の外へ視線を向けた。
『入っていいよ』
一人の女性が画面へ入ってきた。
長い金髪。
整った顔立ち。
そして、世界中で知られている笑顔。
「こんばんは」
軽く手を振った瞬間。
コメント欄から文字が消えた。
ほんの一瞬。
画面の向こうにいる数百万人が、同時に見間違いを疑ったような空白だった。
次の瞬間。
爆発した。
《え》
《ユリア!?》
《YULIA!?》
《WHAT!?》
《本物!?》
《日本にいた!!》
《なんで!?》
《行方不明じゃなかったの!?》
《なんで絢香の配信に出てるんだよ!》
日本語だけではなかった。
英語、中国語、韓国語。次々と異なる言語が流れ込み、もはや一つ一つを追うことすらできない。
視聴者数も異常な速度で増え始めた。
数百万だった数字が、一千万を超える。
二千万。
五千万。
一億。
ユリアが日本へ入ったことは知られていた。
問題は、そのあとだった。
昨日、来日後完全に姿を消した。
日本のマスコミだけでなく海外メディアまで行方を追い、ファンの間でも様々な憶測が飛び交っていた。
その本人が今、異界の深層から生配信に出演している。
情報は瞬く間に世界へ広がった。
SNSに切り抜きが投稿され、海外のニュースサイトが速報を出す。通知を見た者がさらに配信へ押し寄せる。
視聴者数は一億を超えても止まらない。
やがて数億という、絢香自身も見たことのない数字へ届いた。
当のユリアはモニターを覗き込み、首を傾げる。
「速すぎて読めないわね」
『私も無理』
《無事だった!》
《どこにいたんだ!?》
《なぜ異界にいる?》
《絢香と知り合いなの?》
《二人どういう関係!?》
質問が洪水のように流れていく。
絢香はそのほとんどを諦め、カメラへ向き直った。
『とりあえず、見ての通り元気です』
「元気よ」
ユリアが笑顔で手を振る。
『しばらく日本で休暇を過ごすそうなので、心配しなくて大丈夫です』
「一週間くらい、のんびりするつもり」
説明は、それだけだった。
《終わり!?》
《そこじゃない》
《絢香との関係は!?》
《なんで二人で深層にいるんだよ》
《世界中が聞きたいこと残ってるぞ!》
二人は答えない。
絢香は何事もなかったように調理台へ向き直った。
『じゃあ、夕飯作ろうか』
「お腹空いた」
《待て》
《料理始めるな》
《世界が置いていかれた》
《こっちは何一つ理解してないぞ》
そんなコメントをよそに、配信は料理へ移った。
今日のメインは、昼間に川で捕まえた魚だった。
ただし、普通の魚ではない。
調理台の横に敷かれたシートの上に、巨大な魚が横たわっている。
全長、およそ七メートル。
『今日はこれを捌いていきます』
「美味しいの?」
『美味しいよ。脂も乗ってるし』
《でかい》
《七メートルくらいない?》
《今度は巨大魚かよ》
《ユリアについてもう少し説明して》
絢香は慣れた手つきで包丁を入れた。
硬い鱗を処理し、腹を開く。
巨大な魚にもかかわらず、刃に迷いはない。骨の位置を確かめながら、身を綺麗に切り離していく。
その横で、ユリアが興味深そうに見ていた。
やがて我慢できなくなったらしい。
「私もやりたい」
絢香の手が止まる。
『魚、捌いたことある?』
「ないわ」
『料理は?』
「ほとんどしない」
『包丁は?』
「持ったことくらいあるわよ」
『……じゃあ、ちょっとだけね』
「任せて」
なぜか自信満々だった。
絢香から包丁を受け取る。
教えられた場所へ刃を当てた。
「ここ?」
『もう少し浅く』
「これくらい?」
『そっちは骨』
「硬いわね」
『力で切らないで』
「大丈夫よ」
嫌な音がした。
絢香の表情が固まる。
ユリアも手元を見る。
先ほどまで綺麗だった身の一部が、見るも無残なことになっていた。
《wwww》
《下手だ》
《めちゃくちゃ下手》
《ユリアにも苦手なことあるんだ》
《魔物より魚に苦戦してる》
《剣持たせた方が上手そう》
ユリアがモニターを見る。
「初めてなんだから仕方ないでしょ」
『一回代わろうか』
「もう一回やればできるわ」
『食べるところなくなっちゃうから』
「そんなに酷くないわよ」
『酷いよ』
「失礼ね」
ユリアは納得していない。
もう一度魚を見る。
それから何か思いついたように、カメラの方へ顔を向けた。
「撮影者、代わって」
一瞬。
配信の空気が止まった。
《え?》
《今なんて?》
《撮影者さん?》
《撮影者さんって言った?》
《そこにいるの!?》
画面には絢香とユリアしかいない。
だが、直後。
カメラの後ろから男の声がした。
「俺に振るなよ」
コメント欄が爆発した。
《いたあああああ!!》
《撮影者さん!?》
《なんでいるんだよ!!》
《嘘だろ》
《ユリアと一緒にいる!?》
《絢香+ユリア+撮影者さん???》
《どういう組み合わせだよ!!》
絢香が笑いながらカメラへ歩み寄った。
『私が撮るから、お願い』
「お前がやればいいだろ」
『せっかくだから』
「何がせっかくなんだよ」
カメラが絢香の手へ渡る。
画角が変わった。
そして――。
それまで一度も画面に映っていなかった男が、初めて姿を現した。
スーツ姿。
顔には、ピンク色の髪に大きなリボンをつけた女の子向けアニメキャラクターのお面。
数億人が見ている配信へ、あまりにも場違いな姿で現れた。
《撮影者さんだあああ!!》
《本物!!》
《なんでそのお面なんだよw》
《前より酷くなってる》
《情報量が多すぎる》
《ユリアとどういう関係なんだ!?》
当人はコメントなど見ていなかった。
ユリアから包丁を受け取り、魚を見る。
「……ひでえな」
「初めてなんだから仕方ないでしょ」
「骨まで切ろうとしただろ」
「切れなかったのよ」
「切るなよ」
「じゃあ、やってみなさいよ」
「はいはい」
撮影者さんが魚の前へ立った。
崩れた切り口を確認し、包丁を入れる。
骨に沿って刃を滑らせる。
迷いはない。
巨大な身が綺麗に外れた。
そのまま向きを変え、次。
七メートルある魚が、見る間に切り分けられていく。
先ほど苦戦していたユリアが、隣から覗き込む。
「上手ね」
「何年一人暮らししてると思ってんだ」
カメラの向こうから絢香の声が飛んだ。
『一人暮らしで七メートルの魚は捌かないよ』
撮影者さんの手が止まる。
「……確かに」
ユリアが吹き出した。
コメント欄も一斉に笑いで埋まる。
《正論w》
《今気づいたのか》
《一般家庭に七メートルの魚はいません》
《一人暮らし関係ない》
《撮影者さん料理までできるのかよ》
《それよりユリアとの関係を説明しろ!!》
最後まで魚を捌き終える。
「ほら」
『ありがとう』
撮影者さんは包丁を絢香へ渡し、そのままカメラを受け取った。
画角が戻る。
次の瞬間には、もう姿はない。
画面に映っているのは、絢香とユリアだけだった。
《待て》
《消えた》
《戻ってこい!》
《魚捌いただけで消えるな》
《説明しろ!》
《なんでユリアと一緒にいるんだよ!》
《世界中がそこを聞きたいんだよ!》
そんな叫びを完全に無視して、絢香は切り分けられた魚を見る。
『じゃあ半分は焼こうか。残りは揚げ物にしよう』
「私、焼く」
『ユリアは野菜切って』
「また野菜?」
『魚はもう触らないで』
「ひどくない?」
カメラの後ろから声がする。
「妥当だろ」
「撮影者さんまで!」
《まだいるw》
《声だけ参加するな》
《誰かこの三人の関係を説明してくれ》
世界中から数億人が見ている。
日本や海外のマスコミも、今頃この配信に釘付けになっているだろう。
それでも三人にとっては、ただの夕食だった。
世界中が知りたいことには、ほとんど答えないまま。
深層の森での料理配信は、何事もなかったかのように続いていった。




