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その日暮らしのおじさんの冒険  作者: よろず


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斬の影響


翌朝。


朝の情報番組では、甲冑姿の男が次元を切っていた。


『斬』


紫色の刀が鞘から走る。


次の瞬間、サバンナに点在していた木々の上半分が、地平線の彼方までまとめて消失した。


映像が終わる。


そして、すぐにもう一度流れる。


『斬』


「……朝から何回やるんだよ」


その本人――坂田友丸は、テレビの前で昨日スーパーで買ったパンを齧っていた。


画面下には、


『世界が熱狂! “撮影者さん”の正体は?』


という大きな文字。


昨日、近藤の配信へ出演した友丸は、最終的に一億人を超える人間からリアルタイムで見られていた。


それだけでも十分おかしい。


だが、配信終了後はさらに酷かった。


甲冑から煙を噴き出す場面。


紫色の大刀を構える場面。


地平線まで次元を切った場面。


そして、嫌々ながら口にした『斬』。


切り抜き動画は瞬く間に世界中の動画サイトやSNSへ拡散され、ニュース番組でも繰り返し取り上げられた。


転載や再生まで含めれば、すでに数十億人が何らかの形で映像を目にしたとも言われている。


もっとも、友丸にそんな実感はなかった。


パンを食べ終え、枕元に置いていた携帯を手に取る。


「……多いな」


通知が山ほど溜まっていた。


知らない相手からのものは無視して、知っている名前だけ拾っていく。


最初は絢香。


『かっこよかった』


「……そう?」


テレビへ目を向ける。


ちょうど甲冑姿の自分が、白い煙の中で紫刀へ手を掛けているところだった。


確かに映像だけなら、それなりに格好いい。


その下に、もう一通。


『同棲しよう』


「なんでそうなるんだよ」


間が一段くらい飛んでいる。


返信はしなかった。


次は冴木。


『あの武具、絶対うちに持ってくるな』


こちらは分かりやすい。


以前、氷竜を倒した千円のナイフを研ぎに出しただけでも散々呆れられた。


ましてや今度は、血を吸って次元を切る刀である。


『分かった』


それだけ返しておく。


続いて近藤。


『またコラボしましょう!』


「もういいだろ……」


昨日だけで一生分くらい配信された気分だった。


携帯を置こうとしたところで、着信が入る。


表示された名前を見て、友丸は眉を寄せた。


櫻子。


昨日の今日だ。


用件には心当たりしかない。


少し迷ってから通話ボタンを押す。


「もしもし」


『あっははははははは!』


いきなり大笑いされた。


友丸は無言で携帯を耳から離した。


まだ笑っている。


その間にも、テレビでは三度目の『斬』が流れていた。


朝から何なんだ。


「切るぞ」


『待て待て! 悪かった!』


「朝からなんなんだよ」


『いや、最高だったぞ』


「何が」


『全部だ』


即答だった。


『もっとまともな武具を使えと言われて、出してきたのが甲冑と二メートル近い紫色の刀だぞ?』


「防御力はある」


『そこではない』


「じゃあ何だよ」


『三割で次元を切るな』


「効果を見せないと分からないだろ」


『地平線まで見せる必要がどこにある!』


再び笑い声。


少なくとも、怒って電話してきたわけではないらしい。


『しかも最後が――斬!』


「切るぞ」


『待て! まだ本題に入っていない!』


「俺を馬鹿にするために電話してきたんじゃないの?」


『半分はそれだ』


「切る」


『もう半分は仕事だ』


仕方なく携帯を耳へ戻した。


櫻子もようやく笑いを収める。


『世界中から日本政府へ問い合わせが来ている』


「やっぱ怒られた?」


『いや。ほとんどが同じ質問だ』


そこで、櫻子の声から笑いが消えた。


『――あの冒険者は何者だ?』


「…………」


『どこかのクランに所属しているのか。日本政府直属なのか。軍関係者なのか。いつから日本はあんな冒険者を抱えていた。昨日からそればかりだ』


「なんて答えてんの?」


『知らない』


「政府なのに?」


『政府だからといって、国内の冒険者全員を把握しているわけじゃない』


それもそうか。


世界中で『撮影者さん』と呼ばれている男。


その正体が坂田友丸であることを、日本政府が組織として把握しているわけではない。


友丸自身、名乗り出たこともない。


「櫻子は知ってるだろ」


『私はな』


そこで、櫻子の声が少しだけ真面目になる。


『だが、お前が望まない限り、私から正体を漏らすつもりはない。そこは安心しろ』


「ならいい」


友丸にとって重要なのは、それだけだった。


有名になりたいわけでも、注目されたいわけでもない。


昨日だって頼まれたから仕方なく配信へ出ただけである。


「そういや、海外の政府は?」


『ん?』


「最初に注意しろって言ってきた連中。昨日の配信見て、なんか言ってないの?」


多少怒られる覚悟はしていた。


小型ナイフを真似する冒険者が増えて危険だから注意してほしい。


どうせ流行るなら、もう少しまともな武具を使ってほしい。


そんな話から始まったはずなのに、最終的には次元を切ってしまった。


ところが。


『それがな』


櫻子の声に、また笑いが混じった。


『なぜか絶賛されている』


「……なんで?」


『私が聞きたい』


どうやら櫻子にも予想外だったらしい。


『ただ、各国の言い分にも一応筋は通っている。小型ナイフ一本で大型魔物へ挑む危険性を、お前は実演までして説明した』


「ああ」


『刀についても、慣れていない人間が使えば刃こぼれする、折れる。メイン武器には推奨しない。使うなら訓練しろと注意した』


「言ったな」


『甲冑の煙もだ。真似して防具の中で火を焚くな、下手をすれば死ぬ。各国の政府やマスコミにも注意喚起しろ、と』


「あれは本当に危ないからな」


『そこが評価されている』


櫻子は一拍置いた。


『一億人以上がリアルタイムで見ていた。切り抜きまで含めれば、今や数十億人規模だ。その本人が直接「真似するな」と言ったんだ。各国政府からすれば、これ以上ない注意喚起だったらしい』


「そんなもんか」


『そんなものだ。アメリカじゃ朝からお前の抜刀を専門家が分析しているし、ヨーロッパじゃ甲冑の構造が話題になっている。アジア圏じゃ、お前の刀が何なのかで専門家が討論している』


「暇なの?」


『お前が言うな』


友丸としては、そんな大事になるようなことをしたつもりはない。


頼まれた。


危ないから注意した。


ついでに別の武具を使った。


それだけである。


『もっとも、別の問題も出てきたがな』


「まだあるの?」


『海外から東京異界へ来る冒険者が、少し増えるかもしれない』


「なんで?」


『お前に会うためだ』


「…………俺に?」


『正確には、“撮影者さん”にな』


意味が分からない。


『昨日の配信だけで一億人。切り抜きは世界中へ拡散。その中には当然、海外の冒険者も大勢いる』


「だからって日本まで来る?」


『全員が来るわけじゃない』


櫻子が呆れたように言う。


『ほんの一部だ。だが、熱狂的なファンというのはいる。本人に会ってみたい。何者なのか確かめたい。あの強さを直接見てみたい。金と時間のある冒険者なら、実際に動く奴も出てくる』


「わざわざ?」


『昨日、お前が東京異界にいることまで世界中に教えたからな』


「あ」


そこまでは考えていなかった。


『すでに海外の冒険者コミュニティでは、東京異界へ行けば撮影者さんに会えるんじゃないかと盛り上がっているらしい』


「来ても俺がいるとは限らないだろ」


『それで諦めるような奴なら、最初から海を越えて来ない』


「暇なの?」


『だから、お前のファンに聞け』


「俺に聞かれても知らん」


自分にファンがいるという感覚そのものがなかった。


昨日までと何も変わっていない。


『まあ、気をつけろ』


「何を?」


『正体が割れたら面倒だぞ。海外から来たファンに囲まれるかもしれん』


「それは嫌だな」


『心配するな』


急に櫻子の声が優しくなった。


嫌な予感しかしない。


『私と結婚するなら守ってやる』


「いらん」


『即答か』


「むしろ面倒事が増えるだろ」


『世界中から来るお前のファンから守ってやると言っているんだぞ?』


「まず櫻子から身を守りたい」


『失礼な男だな』


「前にも言っただろ」


『考え直してもいいんだぞ』


「考える必要がない」


『一度くらい真剣に――』


友丸は通話を切った。


ようやく部屋が静かになる。


携帯をテーブルへ放り、テレビへ目を向けた。


ちょうど四度目の『斬』が流れていた。


「…………」


テレビも消した。


これでようやく静かになった。


友丸は残っていたパンへ手を伸ばす。


その頃。


成田空港の到着ロビーでは、海外便から降りてきた旅行客たちが次々と行き交っていた。


その中に、大きな荷物を背負った数人の外国人がいた。


年齢も国籍も違う。


ただし全員、冒険者カードを持っている。


一人の青年がスマートフォンを取り出した。


画面に映っているのは、白煙を纏った甲冑姿の男。


再生ボタンを押す。


『斬』


青年の顔が輝いた。


仲間たちも画面を覗き込み、興奮した様子で言葉を交わす。


そして最後に、全員が同じ単語を口にした。


「Tokyo Gate」


目的は一つ。


世界中で話題になっている『撮影者さん』。


その正体を、この目で確かめるために。


もちろん彼らは知らない。


当の本人がその頃、都内の古びたアパートで半額のパンを食べながら、


「今日、何しようかな」


などと呟いていたことを。

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