実家はお城でした
櫻子から連絡が来たのは、翌日の昼だった。
『調査渡航の許可が下りたわ』
「もうか?」
友丸は携帯電話を耳に当てたまま、座卓の向こうへ目を向けた。
こはくは昨日送られてきた壁画の画像を、まだ飽きずに眺めている。
「正式な許可には、数日かかるって話だっただろ」
『塁が先に、発見国の調査責任者と、現地で調査へ加わるクランに話を通していたのよ。あなたとこはくを受け入れることについては、昨日の時点で大筋の了承を得ていたそうよ』
「それでも早すぎないか?」
『現地側が、手続きを優先して進めてくれたの。こはくと壁画の関係を調べることが一番の目的だけれど、撮影者としてのあなたにも来てほしいそうよ』
「俺にも?」
『瀬戸内海異界の案内動画が、あなたの思っている以上に各国へ影響を与えているの』
「あの動画が?」
『ええ。配信を見た冒険者が、自分の向かう異界についても事前に調べるようになったの。各国政府が公開している案内動画の再生数も伸びて、入域前に管理施設へ最新情報を確認する人が増えているそうよ』
瀬戸内海異界で撮影したのは、立入禁止区域までの経路と、知らずに踏み込めば命を落としかねない危険な場所だった。
配信の最後には、ほかの異界へ入るときも、その国が公開している案内や資料を確認するよう呼びかけた。
友丸にとっては、それだけのことだった。
『案内動画は、どの国も以前から作っているわ。でも、異界に慣れた冒険者ほど見てくれない。それが悩みだったのよ』
「俺が言ったら見るのか?」
『実際に見たから、複数の国から日本政府へ礼が届いているの』
「瀬戸内海異界を撮っただけなんだが」
『異界ごとに、環境も危険も規則も違う。別の異界へ入る前には、そこの情報を改めて確認しなければならない。それが伝わったのよ』
櫻子は少し間を置いてから続けた。
『あなたの映像には、政府の説明だけでは届かなかった人たちを動かす力がある』
大げさに聞こえたが、冗談で言っているわけではないらしい。
『日本の異界を目的に来日する冒険者や配信者も増えているわ。一般開放された区画や、異界周辺の施設を訪れる旅行客もね』
「観光まで俺のせいなのか?」
『少なくとも、きっかけの一つにはなっているわ。すでに何か国かから、自国の異界でも撮影してもらえないかと打診が来ているもの』
「何を撮らせるつもりだ」
『安全のための案内が第一よ。ただ、自国の異界にしかない景色や魅力を世界へ伝えて、冒険者や旅行客を呼び込みたいという思惑もあるでしょうね』
友丸が知らないところで、撮影者の映像は話題を集めるだけでなく、人の流れまで変えるものになっていた。
『今回の発見国も同じよ。調査記録を残してもらえるうえ、将来公開できる映像が撮れれば、自国の異界にも注目が集まる。だから、あなたを調査隊へ加える話が早く進んだの』
「俺より、こはくが目的じゃないのか?」
『もちろん、それが一番よ。壁画の生き物との関係を調べるために呼ぶのだから。ただ、許可を出す側にも、あなたを招きたい理由があるということね』
理由が分かれば、急に話が進んだことにも納得できた。
「それで、撮影もしていいのか?」
『記録目的の撮影は認められたわ。ただし、遺跡内からの生配信は禁止。撮影した映像を外部へ公開する場合も、事前に発見国の確認を受ける。それが条件よ』
「それなら構わない」
友丸が残したいのは、壁画と機械遺跡の記録だ。
調査も終わっていない遺跡を、勝手に世界へ配信するつもりなどない。
「銀色の首輪は?」
『日本政府の担当者が運ぶわ。あなたには預けられないけれど、調査日までには現地へ届ける。移送中もケースは開けないから安心して』
「分かった」
『三日後、ユリアの家の飛行機が羽田へ着くわ。絢香ちゃんと一緒に乗ってちょうだい。調査隊との合流日は、スイスへ到着してから連絡する』
「その前に、スイス異界でキャンプをするらしいな」
『それは絢香ちゃんとユリアに聞きなさい。私の管轄ではないわ』
そこで櫻子は、何かを思い出したように続けた。
『そうだ。向こうへ着いたら、おばさまからユリアとの結婚話が出るわよ』
「いつものやつだな」
『なら、その前に私と結婚しましょう』
「なんでだよ」
電話の向こうで、櫻子が楽しそうに笑う。
『それじゃあ、気をつけて行ってらっしゃい』
笑い声を残したまま、通話が切れた。
友丸が携帯電話を置くと、こはくが壁画から顔を上げる。
「許可が出た。三日後にスイスへ行くぞ」
「みゃ」
こはくは部屋の隅に置かれた旅行鞄へ飛んでいった。
「その前に、スイス異界でキャンプをするらしい」
「みゃ!」
今度は返事まで大きくなった。
北海道異界でのキャンプが、よほど楽しかったらしい。旅行鞄の周りを一周し、早くも荷造りを始めろとでも言いたげに友丸を見る。
「まだ三日あるぞ」
「みゃ」
こはくの中では、もう出発の準備が始まってい
◇
三日後。
友丸たちが案内されたのは、羽田空港の一般客が立ち入らない区画だった。
窓の向こうには、白い機体が一機停まっている。
個人所有の飛行機と聞いて想像していたものより、二回りは大きかった。
「これがユリアの家の飛行機なのか?」
「ご両親が仕事でも使っているそうよ」
隣に立つ絢香も、少し驚いた顔で機体を見上げていた。
「日本にいた頃に使っていた機体より、大きくなってないか?」
「仕事で行く国が増えて、買い替えたそうよ。私も今の機体に乗るのは初めてだけど」
搭乗口では、ユリアの家から来た乗務員と、日本政府の職員が待っていた。
銀色の首輪は、厳重に封じられたケースに収められている。政府職員は友丸へ会釈しただけで、ケースを開くことなく機内の保管庫へ運び込んだ。
こはくはその様子を眺めていたが、追いかけようとはしない。
「近くにあっても、気にならないのか?」
「みゃ」
やはり分からなかった。
研究室で容器が開いたときには反応したものの、それ以降、こはくが首輪へ興味を示したことはない。
機内には寝室まで用意されていた。
こはくは窓際の席に陣取り、離陸してからしばらくは流れていく雲を眺めていたが、やがて飽きたのか友丸の膝へ移ってくる。
向かいの席では、絢香がスイス異界の案内図を広げていた。
「キャンプ場は、ユリアが決めてくれたそうよ。中層にある湖の近くですって」
「調査の前に、本当に行くんだな」
「そのために、スイス異界へ来てって誘われたんだもの。政府が野営地として整備している区画だから、危険も少ないそうよ」
絢香は再び案内図の上でキャンプ場の位置を確かめ始めた。
◇
スイスへ到着したのは、現地時間の午後だった。
専用ターミナルを出ると、ユリアが待っていた。
友丸たちを見つけた途端、表情を明るくして駆け寄ってくる。
「絢香!」
「久しぶり、ユリア」
二人は笑顔で抱き合った。
ユリアが日本を離れてから、まだ半年ほどしか経ってない。それでも、ユリアがこの再会を待ち望んでいたことは十分に伝わってきた。
「本当に来てくれたのね」
「約束したでしょう?」
「ええ。友丸も、ありがとう」
「俺は調査のついでだ」
「それでも嬉しいわ」
ユリアの視線が、友丸の肩へ移る。
こはくも彼女を見ていた。
「この子が、こはくちゃん?」
「ああ」
世界ランキング十位の冒険者が、魔物と向き合うときよりも慎重に片手を差し出す。
「初めまして。ユリアよ」
「みゃ」
こはくは一度だけユリアの周りを飛ぶと、差し出された手のひらへ降りた。
それだけで、ユリアの顔が一気に緩む。
「触ってもいい?」
「本人に聞いてくれ」
「こはくちゃん、撫でてもいいかしら?」
「みゃ」
「どっち?」
「嫌なら逃げる」
ユリアが指先で頭を撫でても、こはくは動かなかった。気持ちよさそうに目まで細めている。
「かわいい……。写真で見るより、ずっとかわいいわ」
「でしょう?」
なぜか絢香が得意そうに胸を張る。
「このまま連れて帰りたいくらい」
「今からお前の家に行くんだろ」
「そうだったわね」
ユリアは名残惜しそうにこはくを友丸へ返した。
ターミナルの外には、黒い車が数台並んでいた。
先頭の車へ四人で乗り込み、空港を離れる。街を抜けると建物は少なくなり、窓の外には緑の斜面と遠くの山々が広がった。
一時間ほど走ったところで、車は高い石壁に囲まれた門をくぐった。
その先に、淡い灰色の建物が見えてくる。
中央に大きな時計塔があり、左右には長い建物が延びていた。尖った屋根の塔がいくつも並び、手前には噴水と、丁寧に手入れされた庭園が広がっている。
家と呼ぶには、あまりにも大きい。
「あれは?」
「私の家よ」
「城に見えるが」
「間違ってはいないわ。祖母が受け継いだ城を、今は住居として使っているの」
向かいに座る絢香も、窓の外を見たまま固まっていた。
「絢香も知らなかったのか?」
「大きな家だとは聞いていたけど……ここまでとは思わなかったわ」
車は噴水の前を回り、正面玄関へ停まった。
扉が開くと、玄関まで続く階段の両側に、大勢のメイドと使用人が並んでいた。揃いの服を着たメイドだけでも、十人を軽く超えている。
ユリアが車を降りると、全員が一斉に頭を下げた。
「お帰りなさいませ、ユリア様」
続いて友丸が降りる。
使用人たちの視線が、素顔の友丸と、その肩から浮かび上がったこはくへ集まった。
誰もが驚いている。それでも声を上げる者はおらず、携帯電話を取り出す者もいない。
「顔を隠さなくて大丈夫なのか?」
「ええ。あなたとこはくちゃんのことは、この家へ出入りする者だけに伝えてあるわ」
ユリアは友丸へ答えたあと、並んでいる使用人たちへ視線を向けた。
「滞在中に見聞きしたことは、すべて外部へ持ち出さない。撮影や記録も禁止。彼らについて誰かに尋ねられても、何も答えないようにね」
「承知しております」
列の先頭にいた年配の女性が、一歩前へ出た。
「こちらへ出入りする者は全員、個人の通信端末も預けております。どうぞご安心ください」
年配の女性に続き、使用人たちも迷いなく一礼した。
ユリアと祖母から、今回の客人については、すでに十分な説明を受けているのだろう
「よろしくお願いします」
「みゃ」
こはくも友丸に続き、頭を下げるように身体を傾けた。
並んでいたメイドたちの頬が、わずかに緩む。
「こはくちゃん、その挨拶はどこで覚えたの?」
「みゃ」
「たぶん、今だ」
◇
広い玄関広間へ入ると、正面で三人が待っていた。
中央に立つ老婦人は小柄だが、背筋がまっすぐに伸びている。友丸と絢香の顔を見ると、懐かしそうに目を細めた。
「友丸、絢香。よく来たわね」
「お久しぶりですマルリアさん」
絢香が笑顔で応え、友丸も軽く頭を下げる。
「お久しぶりです」
ユリアの家族は、父親の仕事の都合で長く日本に暮らしていた。祖母も一緒で、黒田家との行き来も多かったため、友丸と絢香のことは幼い頃から知っている。
「二人とも、昔と比べてずいぶん立派になって」
「会うたびに言ってませんか?」
「何歳になっても、私から見れば子供ですよ」
祖母の視線が、友丸の肩へ移った。
「その子が、こはくね」
「みゃ」
こはくは宙に浮いたまま、前脚を上げる。
「燿から、この子がどれほど愛らしいかを二時間も聞かされました。はなからは、その話は半分に聞いておけと念を押されましたけれど」
「二時間も聞いたのですか」
「昔、一緒に異界へ潜っていた頃から、燿は夢中になると話が長かったの」
「変わってないんですね」
マルリアは楽しそうに笑い、こはくへ片手を差し出した。
こはくはその手の周りを一度飛んでから、掌へ降りる。祖母は慣れた手つきで、その小さな頭を撫でた。
「本当にかわいい子ね。今回は、よく連れてきてくれました」
「本人も来る気だったからですね」
祖母の左右に立っていたユリアの両親も、二人を笑顔で迎えた。
「友丸君も絢香ちゃんも、久しぶりだね」
「二人がそろうと、日本にいた頃を思い出すわ」
二人にとっても、ユリアと同じく幼い頃から何度も顔を合わせてきた相手だ。こうして城の玄関広間で迎えられていることの方が、不思議に思えた。
「あの飛行機、大きくなってましたね」
絢香が告げると、ユリアの父親が苦笑する。
「貿易の仕事で回る国が増えてね。今は母と娘に取られてしまったが」
「必要なことに使っただけ」
祖母が当然のように言い切った。
「助かりました」
「そんなに他人行儀にしなくてもいいのよ。昔のように、自分の家だと思って過ごしてちょうだい」
ユリアの母親はそう言ってから、友丸とユリアを交互に見た。
「それで、友丸君。結婚式は、日本とスイスのどちらで開くつもりなの?」
「私はスイスがいいわ」
間を置かずに答えたのは、ユリアだった。
「この城なら礼拝堂も使えるもの。でも、燿さんやはなさんたちに来てもらうなら、日本でも開いた方がいいかしら」
「二度開けばいいのよ。こちらと日本で一度ずつ」
「それがいいわね。絢香には、どちらにも出てもらって――」
「俺の意見はどこに行った?」
友丸が尋ねても、二人はすでに式の話を始めている。
絢香だけは驚いた様子もなく、祖母の掌にいるこはくを眺めていた。
「また始まったわね」
「いつものことだろ」
「日本にいた頃から、何度も見てるでしょう?」
ユリアの母親が友丸を婿にすると言い出し、幼いユリアが頷くところまでが、昔からのお決まりだった。
「ユリアも、まだ乗るのか」
「昔とは違うわ。今は本気よ」
胸を張って答えられ、友丸は返す言葉を失った。
「二人とも、友丸の返事を聞く前に話を進めるのはやめなさい」
祖母のひと言で、母親とユリアが同時に口を閉じる。
「でも、おばあ様」
「でも、ではありません。二人とも長旅のあとでしょう。結婚式の相談より先に、部屋へ案内して休んでもらいなさい」
「相談すること自体は止めないのか?」
「友丸がその気になってからなら、いくらでも」
祖母は穏やかな笑顔で答えた。
どうやら、味方というわけでもないらしい。
「諦めた方がいいわよ」
絢香が慣れた様子で告げる。
こはくだけは何が起きているのか分からないまま、マルリアの掌から大きなシャンデリアを見上げていた。
異界の調査が始まるまで、スイスで少しゆっくりできると聞いていた。
だが少なくとも、この城で静かに過ごすのは難しそうだった。




