間話 踊りキレッキレ
新曲PVの生配信を行うスタジオは、妙に静かだった。
出演者、振付師、撮影班、事務所の責任者だけだ。いつもなら廊下まで見学者が出入りしているのに、今日に限って扉は閉め切られている。
全員に守秘義務が伝えられていた。
白いステージの端には、一人分だけ空いた立ち位置がある。
そこだけ、まだスポットライトが落とされていなかった。
「本当に来るのかな」
隣のメンバーが小さく尋ねる。
「来る予定、とは聞いてるけどね」
グループの中心に立つ人気アイドルは、入口から目を離さなかった。
数日前、事務所の後輩から連絡が入った。
撮影者さんが、PVへの出演を引き受けたと。
顔は仮面とフードで隠す。歌唱には加わらない。踊るのは、あくまでダンサーとして。そして、こはくも一緒に来ると。
しかし、実際に姿を見せるまでは信じ切れない。
異界の映像を配信するたび、世界中を騒がせてきた、あの撮影者さん。その人物が、今度は自分たちの新曲PVで踊るのだ。
控室には、ゲスト用の衣装まで用意されている。
用意した側でさえ、半分は使われないと思っていた衣装だ。
やがて、入口の扉が開いた。
黒いスーツの男が入ってくる。
その肩には、琥珀色の小さな猫みたいなのが乗っていた。
「みゃ」
こはくの声で、スタジオの空気が一瞬で張り詰めた。
猫の仮面を着けた男がこちらを向き、いかにも普段どおりの声で尋ねてきた。
「待たせたか?」
人気アイドル達は、練習していた挨拶を忘れた。
「……本当に来た」
◇
数日前。
友丸は、アパートの居間で送られてきた企画書を読んでいた。
衣装案。立ち位置。振付動画。生配信のカメラ割り。
追加のダンサーが入っても曲の見せ場が崩れないよう、振付は丁寧に組み直されていた。友丸は歌わない。顔も出さない。こはくが参加する。
無茶な内容ではない。
携帯電話が鳴る。
表示を見て、友丸は通話を取った。
「俺だ」
『先輩。前に話していたPVの件ですが』
「今、企画書を見てる」
『どうでしょうか』
「いいぞ」
電話の向こうが静かになった。
『……本当ですか?』
「企画に問題はない。事務所には、撮影者が出ると話しておけよ」
『はい。ただ、信じてもらえるか…』
「そりゃそうだろうな」
友丸は画面を最後まで確認する。
守秘の範囲も、当日の流れも書かれていた。危険な演出はない。撮影者としての活動を無理に利用しようとする内容でもなかった。
依頼が理不尽なら断る。
けれど、これは少し面倒なだけだ。
相手は、黒田家で小さなころから知っている後輩だった。アイドルになってからも、彼女は派手な話ばかりを追うことはなかった。忙しいなかでも練習を重ね、準備を終えてから本番にのぞむ。
今回も、そうだった。
以前、黒田家で顔を合わせたとき、彼女は少し言いにくそうに尋ねてきた。
――今度、私たちの新曲のPVに出てもらえませんか。
友丸は、内容を見てから決めると答えた。
軽い返事だった。
それでも彼女は、その言葉を信じて全部を整えてきた。
なら、断る理由はない。
『ありがとうございます。衣装は用意しておきます』
「こはくも行くぞ」
『えっ、本当ですか?』
テーブルの上で丸くなっていたこはくが、顔を上げた。
「みゃ」
『こはくちゃんも、よろしくお願いします』
「聞いたか。仕事だぞ」
「みゃ」
◇
スタジオへ戻る。
友丸は集まった視線のなかを歩いた。
この場で坂田友丸を知っているのは、後輩だけだ。ほかのメンバーも、事務所の責任者も、目の前の男が何者なのかは知らない。
彼らに見えているのは、仮面の向こう側を明かさない『撮影者さん』だけだった。
「本日は、よろしくお願いします!」
責任者が深く頭を下げた。
「ああ。踊るだけでいいんだよな?」
「はい。事前にお渡しした動画どおりで問題ありません。こはくちゃんは、曲の後半からお願いします」
肩の上で、こはくが小さく跳ねた。
「みゃ」
「こはくちゃんを、撮影者さんの頭の上に乗せてもいいですか?」
後輩が、期待を隠さずに聞く。
「頭に乗せるのか?」
「絶対に可愛いです」
「それは否定しないが」
周囲から小さな笑いがこぼれた。
張り詰めていた空気が、そこで少しだけほどける。
◇
着替えを終えた友丸は、白いステージの中央に立った。
メンバーたちと同じ色合いのフード付き衣装。顔は猫の仮面で隠している。
鏡に映っているのは、本人でも撮影者でもない。ただの追加ダンサーだった。
振付師が音源を流す。
最初の八拍は、全員で横へ流れるだけの動きだ。
友丸は一度だけ前列を確認し、次の八拍で何事もなかったように列へ加わる。
足運び。腕を上げる角度。視線を切るタイミング。
動画で見た動きを、音に合わせて一つずつ拾っていく。
間奏に入った。
友丸は半歩前へ出て、身体を低く沈める。
踏み込む。
ひねる。
腕を振り抜く。
音が消える最後の一拍で、ぴたりと静止した。
「……」
曲が止まってから、振付師が遅れて息を吸った。
「完璧です」
「次は右から入るんだったか?」
「はい。そこも、そのままでお願いします」
そのとき、こはくが友丸の頭上へふわりと降りた。
仮面の上で姿勢を整え、二本の後ろ足で立ち上がる。
それから、前足をばたばたと左右へ振った。
盆踊りのような、やたらと堂々とした動きだった。
「みゃ。みゃ」
「それ、入れましょう!」
後輩の声が弾む。
◇
生配信の開始を告げる赤いランプが灯った。
最初に画面へ映ったのは、アイドル一人。
「今日は新曲のPVを、生配信でお届けします。いつもより少しだけ賑やかなので、最後まで見てくださいね」
彼女が一歩下がる。
光の線が走る白いステージへ、メンバーたちが並んだ。
イントロが鳴る。
コメント欄が流れ始めた。
《衣装かわいい》
《新曲きた!》
《後ろにフードの人いる?》
最初のカットは、センターの人気アイドルを捉えた。
その背後を、仮面の友丸が一瞬だけ横切る。フードの影と、長い腕の軌跡だけが画面に残った。
《追加ダンサー?》
《一瞬しか映らなかった》
数秒後、カメラは二つ目のカットへ切り替わる。
メンバーの肩越しに、猫の仮面が映った。
ほんの半拍遅れて、それでも全員と寸分違わない動きを揃えている。
《仮面の人、動きがえぐい》
《誰!?》
《あの仮面、猫?》
曲が後半へ入る。
音の切れ目で、友丸は中央へ出た。
三つ目のカット。
カメラが正面から彼を捉える。
鋭く踏み込み、身体をひねる。低い姿勢から跳ね上がり、仮面を伏せるようにして、次の拍で正面を向く。
その頭の上には、琥珀色の小さな猫みたいな生き物がいた。
こはくは二本足で立ち、前足をばたばたと振り始める。
「みゃ。みゃ」
コメント欄が、一瞬だけ止まった。
次の瞬間、画面いっぱいに文字が流れ出す。
《え?》
《こはく!?》
《頭の上にいるの、撮影者さん?》
《待って、踊れてるの?》
《AI画像? 生配信だよね?》
《ダンスキレすぎる》
《こはくまで踊ってるんだけど!》
友丸には、画面の向こうの騒ぎは聞こえない。
見えるのはカメラの赤いランプと、次の立ち位置だけだ。
だから、いつもどおりに一拍を数えた。
仮面の上のこはくに合わせ、頭を振る角度だけ少し抑える。
そのまま全員の列へ戻り、最後のサビを揃えて踊り切った。
曲が終わる。
カメラは、決めポーズを取る全員を引きで映した。
それからゆっくり、仮面の友丸と、その頭上のこはくへ寄っていく。
「今回の特別ゲストは――撮影者さんと、こはくちゃんでしたー!」
こはくが前足を振った。
「みゃ」
人気アイドルが、コメント欄へ向けて笑う。
「本物だぞ!」




