岩陰の向こうへ
翌朝。
友丸とこはくが千葉異界の管理施設へ到着すると、関係者用の入口で北田が待っていた。
異界用の装備に身を包み、腰には片刃の剣を提げている。胸元には小型カメラが取りつけられ、背負った鞄には複数の測定機器が収められていた。
「お待ちしていました、友丸さん」
「俺たちが最後か?」
「調査に入るのは、私たちだけです」
今回、異界へ入るのは友丸と北田、それにこはくだけだった。現地での指揮は、班長を務める北田が執る。
人数を増やせば、それだけ友丸の正体を知られる可能性も高くなる。念のため友丸は、猫の仮面と黒いスーツの遺物を身につけていた。
「映像は届いていますか?」
北田が胸元のカメラへ触れながら尋ねる。
少し間を置いて、耳に装着した通信機から宮本の声が聞こえた。
『届いています。音声も問題ありません』
『友丸、私の声も聞こえる?』
続いて聞こえてきたのは、櫻子の声だった。
「聞こえてる。二人とも昨日の研究室か?」
『ええ。宮本が立体地図との照合を担当して、私が調査全体を監督するわ』
櫻子と宮本は、未分類物体が保管されている研究室に残っている。
北田のカメラから送られる映像と、携帯する測定機器の数値は、研究室のモニターへ同時に表示される。外部へ公開する配信ではなく、政府の専用回線を使った調査記録だった。
『現場での判断は北田に任せます。友丸も勝手に動かないで』
「こはくにも言ってくれ」
『こはくもよ』
「みゃ」
「返事だけはいいんだ」
『あなたより素直そうね』
「どこがだ」
友丸が肩を見ると、こはくはすでに異界の入口へ顔を向けていた。
「出発しましょう」
北田を先頭に、一行は千葉異界へ入った。
目的地は中層にある。
浅層から続く経路には、調査隊が設置した目印が残っている。今回は政府の特別調査として許可が出され、目的地に近い一帯には、一般の冒険者が入らないよう規制が敷かれていた。
一行は途中で何度か休憩を挟みながら、中層へ向かった。
北田が先頭を歩き、友丸はその少し後ろをついていく。こはくは友丸の頭に乗っていることもあれば、少し先まで飛んでいくこともあった。
『次の分岐を右です』
通信機から宮本の指示が届く。
北田は手元の端末で経路を確認し、右側の洞窟へ進んだ。
「宮本。その地図だけで場所が分かるのか?」
『政府の測量記録と重なる範囲なら分かります。そこから先は、北田さんの映像と測定値を見ながら確認することになります』
「岩壁の奥にも道があるんだよな?」
『立体地図が正しければ』
「正しくなかったら?」
『岩壁を見て帰ってきてもらいます』
「それだけか」
『何もないと確認するのも調査ですから』
「研究者らしい答えだな」
宮本と話している間も、北田は足を止めなかった。
目的の空洞へ到着したのは、中層へ入ってから一時間ほど経った頃だった。
細い洞窟を抜けた先に、半円状の空洞が広がっている。正面は高い岩壁に塞がれ、それ以上進めそうな場所は見当たらない。
「正面の岩壁で合っていますか?」
北田が胸元のカメラを岩壁へ向ける。
『少し右へ移動してください』
宮本の指示に従い、北田が数歩移動する。
『そこで止まってください。立体地図では、その正面から先へ洞窟が続いています』
友丸は岩壁へ近づき、手で表面に触れた。
目立った亀裂はない。軽く叩いてみても、奥に空洞があるような音は返ってこなかった。
北田が鞄から測定器を取り出し、岩壁へ押し当てる。
測定結果は、すぐに研究室へ送られた。
『測定できる範囲に空洞はありません。奥まで岩が詰まっています』
宮本が数値を確認しながら続ける。
『隙間も、空気の流れもないようです。普通に調べれば、ここで行き止まりと判断します』
「地図が間違ってるんじゃないか?」
『座標は合っています。周辺の地形も、政府の測量記録と一致しています』
宮本が答えている間に、こはくが友丸の肩から浮かんだ。
岩壁の前をゆっくりと左右へ移動し、何度か鼻先を近づける。やがて北田が測定した場所から少し離れたところで止まり、前脚を伸ばした。
「何か見つけたのか?」
「みゃ」
こはくの前脚が岩肌へ触れる。
その瞬間、細い黄金の光が岩壁を走った。
『昨日と同じ光です』
宮本の声がわずかに大きくなる。
光は枝分かれしながら岩壁を広がり、人が通れるほどの大きな輪を作った。
『友丸、こはくを下がらせて』
櫻子に言われ、友丸が手を伸ばす。
「こはく、こっちへ来い」
「みゃ」
こはくが肩へ戻った直後、輪の内側にある岩壁が音もなく床へ沈み始めた。
岩が動いているにもかかわらず、土埃一つ落ちてこない。やがて人が通れる高さまで下がったところで止まり、その奥に暗い洞窟が現れた。
北田が照明を向ける。
入口から先は、緩やかな下り坂になっていた。壁や天井には不規則な起伏があり、人の手で掘られた形跡は見当たらない。
「本当にあったな」
『昨日記録した立体地図を疑っていたんですか?』
「半分くらいは」
『正直ですね』
北田が入口付近に測定器を置く。
空気に毒性はなく、温度や気圧にも大きな違いはない。魔素濃度も、友丸と北田なら問題なく行動できる範囲だった。
『内部へ入っても問題ありません』
宮本の報告に続き、櫻子が指示を出す。
『光点の位置を確認したら、周囲を記録して戻ってきて。必要以上に長居しないこと』
「分かりました」
北田が答え、胸元のカメラを確認した。
「先頭は友丸さんにお願いします」
友丸が先頭に立ち、こはくがその横を飛ぶ。北田は少し距離を空け、その後ろに続いた。
外から差し込む光は、数十メートルも進まないうちに届かなくなった。
友丸の照明が前方の岩肌を照らす。地面には細い亀裂が走り、ところどころに浅い水溜まりができていた。
人間の足跡はない。
魔物が通った痕跡も見当たらなかった。
『その先で左右に分かれています』
宮本の声は変わらず届いている。
『光点へ続いているのは右側です』
分岐へ着く前に、こはくが右へ曲がった。
「案内はいらなかったんじゃないか?」
『こはくが立体地図と同じ道を選んだことにも意味があります。照合は続けます』
「確かにな」
右側の洞窟は、それまでよりも少し狭かった。
北田のカメラから送られる映像に遅れはなく、通信機からは研究室で機器を操作する音まで聞こえてくる。
『あと百メートルほどです』
宮本の指示に従い、さらに洞窟の奥へ進んだ。
やがて道幅が広くなり、その先に四角い入口が見えてきた。
洞窟の奥にあったのは、広大な施設でも、長い通路でもない。
十畳ほどの小さな部屋だった。
床と壁は灰色の石で造られ、天井も低い。置かれている物は、中央にある腰ほどの高さの台だけだった。
「部屋だな」
『もう少し全体を映してください』
北田が入口からカメラを動かし、壁や天井を順番に映していく。
出入口は、一行が通ってきた場所しかない。壁には未分類物体(卵)と同じ細い模様が刻まれているが、それ以外に目立ったものはなかった。
『未分類物体と関係する場所と見てよさそうですね』
「何のための部屋だ?」
『それを今から調べます』
友丸と北田も部屋へ入った。
通信は途切れず、映像もそのまま研究室へ送られている。
こはくは部屋の中を一周すると、中央の台へ降りた。
台の上には、何かを置くためと思われる窪みがある。形は楕円に近く、昨日調べた未分類物体の底部とよく似ていた。
「宮本。これが光点か?」
『位置は一致しています。北田さん、窪みの長さと幅を測ってください』
北田が鞄から計測器を取り出し、台の上へ向ける。
計測された数値が研究室へ送られた。
しばらく返事がなかった。
「どうした?」
『確認しています』
宮本が短く答える。
研究室では、未分類物体の寸法と北田から送られた数値を比較しているらしい。
やがて、宮本の声が聞こえた。
『一致しました』
「何が?」
『窪みの形と寸法が、研究室にある未分類物体の底部と一致しています。誤差はほとんどありません』
友丸は台の上を見た。
こはくが窪みの中へ入り、縁に沿って前脚を動かしている。
「つまり、あれはここに置かれていたのか?」
『可能性は高いと思います』
「ですが、発見されたのは別の空洞です」
北田が端末に表示された立体地図を確認する。
未分類物体が見つかった空洞と、この部屋は細い洞窟でつながっている。しかし、二つの地点はかなり離れていた。
「誰かが、ここから運び出したということか?」
友丸の問いに、研究室から返事はなかった。
こはくが窪みの中で顔を上げる。
その前脚の下で、台に刻まれた細い線が黄金色に光り始めていた。




