卵の示す先
翌朝、十時。
友丸がアパートを出ると、道路脇に黒い乗用車が停まっていた。
運転席から降りてきた男性には見覚えがある。世界ランキング戦の際にも送迎を担当していた政府職員だ。
「先日はありがとうございました。今日もよろしくお願いします」
「この前は大変だったな。まあ乗れ」
男が後部座席の扉を開ける。
友丸は軽く頭を下げ、こはくと一緒に車へ乗り込んだ。
到着したのは、高い塀に囲まれた政府の研究施設だった。
通用門を抜けた車は正面玄関へ向かわず、建物の脇から地下通路へ入っていく。二か所の検問を通過し、地下の搬入口で停車した。
車を降りると、白衣を着た男が一人で待っていた。
「お久しぶりです、友丸さん」
三十歳前後だろう。短く整えた黒髪に、銀縁の眼鏡。
友丸はその顔をしばらく眺めた。
「……宮本だったな」
「その間で、忘れていたのが丸分かりですよ」
「顔は覚えてた」
「名前も覚えていてほしかったですね」
宮本は、黒田家が支援する養護施設の出身だ。ただし、友丸とは育った施設が違う。黒田家の集まりで何度か言葉を交わした程度で、親しい間柄というわけではなかった。
運転手が窓を下ろす。
「夕方、またこちらへ迎えに来る」
「分かりました。お願いします」
車が走り去り、地下の搬入口には友丸とこはく、それに宮本だけが残った。
「観察区画には、僕以外の職員を入れないようにしてあります。今日の入館記録を確認できるのも、櫻子さんと僕だけです」
「ずいぶん厳重だな」
「こはくと一緒にいるところを見られれば、友丸さんが『撮影者さん』だと気づく職員もいるでしょうから」
宮本の視線が、友丸の頭にいるこはくへ向く。
「それは面倒だな」
「そのための措置です。こちらへどうぞ」
搬入口の奥にある扉を抜け、観察区画へ入る。
途中の保管室で携帯電話を鍵付きのロッカーへ預け、さらに二重の扉を通った。その先に、広い観察室が設けられていた。
白い床の中央に黒い台が置かれ、その上に昨日の写真で見た物体が載せられている。周囲には複数の測定機器が並び、天井から伸びた照明が物体を明るく照らしていた。
友丸は台へ近づき、正面に立つ。
両腕で抱えられそうな大きさだった。
琥珀に近い色をした表面は滑らかで、細い線を幾重にも組み合わせた模様が刻まれている。写真越しでは分かりにくかったが、間近で見ると記憶にある卵によく似ていた。
「どうですか?」
「似てる」
「同じ物でしょうか?」
「分からない。大きさは違うが、それ以外は俺にも同じに見える」
「分かりました。一致ではなく、類似として記録します」
宮本は手元の端末へ入力した。
余計な推測は口にせず、友丸が答えた内容だけを記録していく。
「昨日も聞いたが、本当に中は見えないのか?」
「こちらを見てください」
宮本が示した先に、透明な袋へ収められた切断機の刃があった。いくつもの歯が潰れ、一部は根元から欠けている。
「この刃を使っても、表面には傷一つ残りませんでした。異界産の短剣も試しましたが、結果は同じです」
「ずいぶん頑丈だな」
「少なくとも、外側は」
宮本は物体へ視線を戻した。
「X線と超音波は内部へ通りません。魔力を利用した探査も、すべて表面で遮断されました」
「生命反応は?」
「ないとは断定できません。あるかどうかを調べる手段がないんです」
「壊せない。中も見えない。それでも卵だと思ってるのか?」
「研究所では未分類物体と呼んでいます。卵かもしれませんし、何かを保管する容器かもしれない。現状では、どちらとも決められません」
宮本は端末を脇へ置き、こはくと目線を合わせるように少し身体を屈めた。
「こはく。あれに近づいてもらってもいいかな?」
「みゃ」
返事はしたものの、こはくは友丸の頭から動かなかった。
宮本が困ったように顔を上げる。
「今のは、近づいてもいいという意味でしょうか?」
「さあな。まだ決めてないんじゃないか?」
「分かりました。待ちます」
宮本はそれ以上促さず、一歩下がった。
こはくは物体を見つめたまま、耳を何度か動かしている。警戒しているようには見えないが、すぐに近づくつもりもないらしい。
「嫌なら、無理に調べなくていいぞ」
「みゃ」
こはくは友丸の肩を蹴り、宙へ浮かんだ。
物体の周囲をゆっくり一周したあと、表面へ鼻先を近づける。何度か匂いを嗅ぎ、今度は前脚で軽く触れた。
「何か反応は?」
「ありません。測定値は先ほどと同じです」
宮本が端末へ目を落として答える。
こはくは物体の上へ降りると、表面に片耳を押し当てた。
「何か聞こえるのか?」
「みゃ」
顔を上げないまま返事をし、反対側へ移ってもう一方の耳を当てる。
「聞こえてるのか?」
今度は返事がなかった。
何度か場所を変えて確かめたあと、こはくはようやく顔を上げた。
表面に刻まれた模様の一つへ前脚を置き、細い線をたどっていく。途中で別の線へ移り、同じ動きを何度か繰り返した。
やがて前脚が、模様の中央にある小さな窪みで止まる。
こはくがそこを押した。
物体の表面を、黄金の光が走った。
直後、観察室に警報音が鳴り響く。
天井から隔壁が下り始め、物体のある区画と友丸たちの間を遮ろうとする。
友丸がこはくを連れ戻そうと踏み出すより先に、宮本が壁際の緊急停止ボタンを押した。
隔壁が途中で止まり、警報音も消える
「閉じ込められるとは聞いてないぞ」
「すみません。未登録の魔力を検知したため、自動隔離が作動しました」
宮本は端末へ視線を走らせ、次々と表示を切り替える。
「温度と気圧に変化はありません。発生した魔力も、観察台の外には広がっていません」
「こはくは?」
「異常ありません。物体の出力も安定しています。危険値には達していません」
物体の上では、こはくが何事もなかったように座っていた。
宮本が隔壁を元の位置へ戻す。
その間にも、物体の表面を走る光は増え続けていた。
やがて光が空中へ伸び、何本もの細い筋に分かれていく。枝分かれした光は複雑に絡み合い、大小の空洞や、そこから延びる洞窟らしき立体像を形作った。
「地図か?」
「そう見えます。少し待ってください」
宮本は端末に、千葉異界の測量記録を呼び出した。
画面に表示された立体地図の角度を変え、目の前に浮かぶ光の形と見比べていく。
最初に重なったのは、中層で発見されている大空洞だった。複雑に入り組んだ岩壁の形や、周囲へ延びる洞窟の分岐、高低差まで測量記録と一致している。
「千葉異界で間違いありません」
宮本が端末を操作しながら、立体地図の端にある光点を示した。
「ここが、あの物体を発見した小さな空洞です」
そこから離れた場所にも、もう一つの光点が点滅していた。
二つの光点の間には細い洞窟が続いている。しかし、途中から先は政府の測量記録に存在しない。
「この洞窟は?」
「未調査です。入口にあたる場所は確認できますが、現在の記録では岩壁になっています」
「卵を見つけた時と同じか」
「可能性はあります。また岩壁の奥に、何かが隠されているのかもしれません」
こはくが物体から浮かび、立体地図の中へ入った。
点滅する光の前で止まり、そこへ前脚を重ねる。
「その場所へ行きたいのか?」
「みゃ」
今度は、すぐに返事があった。
宮本が友丸を見る。
「調査班が必要になりそうですね」
「俺はまだ行くと言ってないぞ」
「ですが、こはくは行くつもりに見えます」
地図の中から戻ってきたこはくが、友丸の頭へ降りた。
「みゃ」
「二人で勝手に決めるな」
こはくは再び頭から浮かび、点滅する光を前脚で叩いた。
立体地図が端から薄れ始める。洞窟や空洞が順に消えていき、最後に岩壁の向こう側にある光点だけが残った。
「宮本。今の場所は分かるな?」
「記録しています。ですが、まだ行くとは言っていなかったのでは?」
「場所を確認しただけだ」
「みゃ」
「…分かった行くぞ」




