撮影上手なスーツ男
第一安全区の防壁を抜け、森へ入ってしばらくしたところで、絢香が足を止めた。
「そうだ。これ持って」
背負っていたバッグから取り出したのは、手持ち式の小型カメラだった。
友丸はそれと絢香の胸元を交互に見る。
「カメラ、付いてるよね?」
「こっちは私の視点。そっちは外から撮る用」
「誰が撮るの?」
「あなた」
「俺?」
「他に誰がいるのよ」
差し出されたカメラを渋々受け取る。
「何撮ればいいの?」
「基本は私。できれば全身が入るようにお願い。戦闘中もね」
「戦いながら?」
「あなたならできるでしょう」
ずいぶん簡単に言ってくれる。
友丸は軽くカメラを動かし、画角を確かめた。
「こんな感じ?」
「そうそう」
絢香が自分の端末で映像を確認する。
これまで胸元のカメラから送られていた一人称視点とは違い、森の中を歩く絢香の姿が全身まで綺麗に収まっている。
しかも歩きながら撮影しているのに、ほとんど画面が揺れていない。
「……上手いわね」
「何が?」
「撮るの。初めてでしょう?」
「うん」
「昔からそうなのよね。こういうの、すぐコツ掴むんだから」
「普通に持ってるだけだけど」
「それでできるから言ってるのよ」
配信画面にも新しい映像が流れ始めた。
すぐにコメントが加速する。
《おお、外カメラ!》
《めっちゃ見やすい》
《全身映るの新鮮》
《戦闘これで見られるのか》
《撮影者さん有能》
《全然揺れないな》
絢香がコメントを確認して笑う。
「評判いいわよ、撮影者さん」
「撮影者さん?」
「名前出したくないんでしょう?」
「ああ。それでいいよ」
友丸自身も配信映像には入ることがある。
ただし顔には自動でぼかしが入る。
服装も一区を出る前に着替えていた。
黒を基調とした、一見するとスーツにも見える奇妙な衣服。
深層の遺跡で友丸自身が見つけたもので、普段のジャケットとはまるで違う。
視聴者にも当然気づかれている。
《撮影者さんの服やっぱ気になる》
《スーツに見える》
《どこのメーカー?》
《深層行く装備には見えないんだよな》
《でも絢香さん何も言わないってことは大丈夫なんだろ》
絢香はそのあたりのコメントを綺麗に無視した。
「あと、さっきから誰なのかって聞かれてるけど」
「言わなくていいよ」
「分かってる。昔から仲のいい友人です。それだけ」
《昔から!?》
《初めて出てきたよな》
《男友達いたんだ》
《撮影スタッフじゃないのか》
《絢香さんが普通に頼ってるの珍しい》
「今日はたまたま付き合ってもらってます」
「半分強制だけどね」
友丸の声が入る。
絢香が振り返った。
「朝ご飯出したでしょう」
「朝飯一回で深層まで連れていかれると思わなかった」
コメントが一瞬で増えた。
《深層!?》
《今深層って言った?》
《今日そこまで行くの?》
《料理配信じゃないの!?》
《急にガチ探索始まって草》
絢香は歩きながら答える。
「今日は料理目的じゃありません。政府からの依頼で、ちょっと深層まで行ってきます」
《政府案件!?》
《配信していいやつ?》
《普通に断ればいいのに》
《店あるんだから断っていいだろ》
《絢香さん政府専属じゃないよね?》
《なんで受けたんだ》
絢香が流れていくコメントを眺める。
「私も最初は断ろうと思ったんだけどね」
「断ればよかったのに」
後ろから友丸まで参加した。
「あなたまで言わないでよ」
「今日休むつもりだったし」
「私だって店にいるつもりだったわよ」
《じゃあなんで受けたw》
《断ろう》
《政府に押し切られた?》
《Aランクでも断れない案件とか?》
絢香がため息をつく。
「兄貴から直接頼まれたのよ」
数秒。
コメント欄の空気が変わった。
《あ~~》
《なるほど》
《兄貴か》
《それは無理だわ》
《断れないやつw》
《政府じゃなくて兄貴案件じゃねえか》
《納得した》
古くから絢香の配信を見ている者ほど反応が早かった。
友丸もカメラを構えたまま苦笑する。
「みんな知ってるんだ」
「私のリスナーで兄貴知らない人いないでしょ」
「有名なんだね、兄貴」
「私の配信で変なところだけ有名になってる気がするけど」
《妹に仕事回す兄》
《また兄貴案件》
《絢香さんの弱点:兄》
「弱点じゃないから!」
絢香が思わずカメラへ言い返す。
友丸が笑った。
「楽しそうだね」
「誰のせいよ」
二人はそんなやり取りを続けながら森を進んでいった。
浅層では魔物と遭遇しても、戦闘になることはほとんどない。
人間の活動圏に近いため定期的に討伐されており、残っている魔物も人間を警戒している。
だが、一区から離れるにつれて状況は変わっていく。
舗装された道が消える。
人とすれ違うこともなくなった。
木々は次第に太くなり、頭上を覆う枝葉の密度も増していく。
中層へ入った頃、最初の魔物が現れた。
茂みが大きく揺れる。
二メートルを超える四足獣が飛び出した。
《来た!》
《でか》
《中層入ったか》
《外カメラ頼む!》
友丸は言われるまでもなく動いていた。
絢香から距離を取る。
進行方向。
魔物。
絢香。
三つが画面へ収まる位置へ回り込む。
絢香は腰の大型ナイフを抜いた。
魔物が地面を蹴る。
正面から突っ込んでくる巨体に対し、絢香はぎりぎりまで動かなかった。
牙が届く直前。
半歩ずれる。
同時に腕が動いた。
銀色の軌跡が魔物の首元を走る。
巨体が絢香の横を通り過ぎ――そのまま地面へ倒れた。
戦闘開始から、数秒。
《うっま》
《一撃》
《さすがAランク》
《外から見ると動きめっちゃ分かる》
《いつもの胸カメラだと一瞬で終わるからな》
《撮影者さん完璧に追えてる》
絢香も映像を確認した。
「これ、いいわね」
「何が?」
「戦闘。自分がどう動いてるか初めてちゃんと見られる」
「じゃあ次から撮影する人雇えば?」
「あなたでいいじゃない」
「嫌だよ」
「即答しないで」
さらに進む。
中層へ入ってから、戦闘は明らかに増えた。
三体。
五体。
群れ。
木の上から。
茂みから。
時には地中から。
それでも二人の進行速度はほとんど変わらない。
絢香が大型ナイフを振るえば、一体。
返す刃でもう一体。
魔物が倒れる。
食材として使える個体なら、倒した後に少しだけ足を止める。
「これ、脂乗ってそう」
「政府の仕事中だよ」
「帰りに回収する場所覚えといて」
「俺が?」
「撮影者でしょう」
「仕事増えてるんだけど」
《ブレないなw》
《政府依頼<食材》
《料理人だから仕方ない》
《撮影者さん完全に助手》
ところが、さらに奥へ進んだところで七体の魔物に囲まれた。
正面に三体。
左右に二体。
友丸の背後にも二体。
《囲まれた》
《後ろ!》
《撮影者さん後ろいるぞ!》
《逃げて!》
絢香は正面から目を離さない。
「そっちお願い」
「カメラは?」
「そのまま」
「無茶言うなあ」
そう言いながら、友丸はカメラを下ろさなかった。
空いている右手を腰へ伸ばす。
抜いたのは小型ナイフ。
いつもの小太刀ではない。
刃渡りの短い、ごく簡素な武器だった。
背後から魔物が飛びかかる。
友丸は振り返らない。
僅かに身体をずらした。
魔物が横を通過する。
その一瞬だけ、ナイフが動く。
一体が落ちた。
《え?》
もう一体。
友丸へ迫る。
今度は半歩前へ出る。
すれ違う。
魔物が倒れた。
カメラは――絢香を映したままだった。
《ちょっと待って》
《今撮影者さん何した?》
《二匹倒れたぞ》
《映像全然ブレてないんだけど》
画面の中央では絢香が三体目を斬り伏せる。
横から迫った一体へナイフを突き込み、最後の一体の爪をかわしながら首元を払った。
静かになった。
七体すべてが倒れている。
「ちゃんと撮れた?」
絢香が聞く。
「多分」
「さすが」
《さすがじゃねえよw》
《撮影者さん誰だよ》
《普通に強い》
《片手カメラだぞ》
《小さいナイフだけで二匹瞬殺した?》
《絢香さんが背中任せてる時点でおかしい》
友丸はコメントを見ていない。
「行こう」
「ええ」
二人は何事もなかったように歩き出す。
さらに奥へ。
遭遇する魔物は強くなる。
だが結果は変わらない。
絢香が一撃。
友丸も一撃。
友丸は必要がなければ前へ出ない。
撮影を優先し、絢香が処理できる魔物には手を出さない。
それでも自分へ向かってきたものだけは、小型ナイフ一本で片づけていく。
やがてコメント欄では、絢香とは別の話題が増え始めた。
《撮影者さん何ランク?》
《絶対高ランクだろ》
《Aじゃない?》
《いやAでも撮影しながらこれは難しくね》
《あの黒い服も謎》
《昔からの友達って何者だよ》
絢香はコメントを確認する。
少しだけ口元が緩んだ。
「撮影者さん」
「何?」
「人気出てるわよ」
「嫌なんだけど」
「顔は映ってないから大丈夫」
「それならいいけど」
「いいんだ……」
数時間後。
森の密度が少しずつ変わり始めた。
空気も重い。
魔素濃度が一段階上がっている。
そして二人の前に、複数の言語で書かれた巨大な警告標識が現れた。
――この先、深層区域。
――高魔素濃度。
――許可なき進入を禁止する。
絢香が立ち止まる。
「さて」
胸元のカメラへ向けて告げた。
「ここから深層です」
コメントが一気に加速した。
《きたあああ》
《深層!》
《マジで行くのか》
《政府案件の本番か》
《撮影者さんも普通についていくんだな》
《ここから魔物のレベル一気に変わるぞ》
友丸は手持ちカメラを構え直した。
「で、どこまで行くの?」
絢香が前方を見る。
「結構奥」
「昨日も深層まで来たんだけど」
「今日は昨日より先よ」
「……帰ろうかな」
「駄目」
《昨日?》
《撮影者さん昨日も来たの?》
《何しに深層来てたんだよ》
《この人ほんと何者?》
友丸は余計なことを言った自覚もなく、警告標識の先を見る。
絢香は小さく笑い、その横を通り過ぎた。
「行くわよ、撮影者さん」
「はいはい」
二人は深層へ足を踏み入れる。
Aランク冒険者の人気配信者と、素性の分からない撮影者。
数十万人が見守る中、二人の姿はさらに深い異界へと消えていった。




