撮影者やっぱり…
『それでは――競技開始です!』
片耳のイヤホンから開始の合図が届くと同時に、ザックズが地面を蹴った。
巨体からは想像しにくい勢いで、深層へ続く通路へ飛び込んでいく。友丸もカメラを構えたまま、その背中を追った。
競争相手は別の入口から出発している。どの経路を進み、どのドラゴンを狙うかは参加者の自由。先に三体を討伐した者が勝者となる。
友丸のイヤホンには、運営からの連絡だけでなく、会場の実況音声も流れていた。撮影担当者が競技の進行を把握するためのものだ。参加者であるザックズには当然聞こえていない。
深層の境目を越えても、ザックズは速度を緩めなかった。
岩肌に囲まれた通路を駆け抜け、迷うことなく分岐を選んでいく。友丸は少し後ろから追いながら、ザックズの背中と前方の様子を同じ画面へ収めていた。
走る速度を考えれば大きく揺れてもおかしくないが、配信されている映像は安定している。
《速っ!》
《開始から飛ばすな》
《撮影者さんも同じ速度で走ってるんだよな?》
《カメラが全然揺れてない》
《今日はザックズを見ろw》
『ザックズ選手、かなりの速度で進んでいます!』
実況者の声に続き、解説を務める塁が口を開いた。
『まだ抑えている。ドラゴンを見つける前に体力を使う必要はないからな』
『これでも抑えているのですか?』
『ザックズにとってはな』
その言葉を証明するように、ザックズの走りには余裕があった。
前方の岩陰から獣型の魔物が飛び出してくる。
全部で六体。左右へ散らばり、正面から迫るザックズを包囲しようと動く。
それでも、ザックズは速度を落とさなかった。
背負っていた大剣を抜き、その勢いのまま横へ振り抜く。前方の三体がまとめて両断され、返す一撃で右から襲いかかった二体も岩壁へ叩きつけられた。
最後の一体がザックズの背後へ回り込む。
友丸が横へずれ、その進路から外れた。
直後、ザックズは振り向くことなく大剣を後ろへ突き出した。切っ先が魔物の胸を貫く。
そのまま大剣を引き抜くと、足を止めずに先へ進んだ。
《止まってないぞ》
《今の魔物、深層なら普通に強いよな?》
《六体を走りながら倒した》
《撮影者さん、最後の一体が来る前に退いてた?》
《ちゃんと全部映ってるのもすごい》
『撮影者さんも、ザックズ選手の動きを完全に読んでいるように見えます』
『ザックズの攻撃範囲から外れながら、魔物の進路にも入っていない。距離を取って撮影するのは難しくないが、あの位置で撮り続けるには次の動きを読む必要がある』
塁の解説を受け、撮影者について触れるコメントがさらに増えていく。
友丸は配信用のモニターを見なかった。
前を走るザックズと、周囲に潜む気配だけを捉えている。
いくつかの分岐を越えた先で、狭かった通路が大きく開けた。
岩壁に囲まれた広場の中央には、太い亀裂が走っている。
ザックズが足を止めた直後、亀裂の左右で地面が盛り上がった。
砂利と岩片を押し退け、二体のドラゴンが姿を現す。全身を覆う鱗は岩のように分厚く、四本の脚も短い代わりに太い。
「地竜か」
ザックズが大剣を構える。
「二体まとめて見つかるとは、運がいい」
一度に仕留めれば、残りは一体となる。
しかし、配信を見ている者たちの反応は、ザックズほど楽観的ではなかった。
《二体同時!》
《当たりだ!》
《いや、地竜二体は危ないだろ》
《挟まれたら終わるぞ》
《あの鱗、大剣で斬れるのか?》
先に動いたのはザックズだった。
右側の地竜へ駆け寄り、首を狙って大剣を振り下ろす。
耳を刺すような甲高い音が響いた。
大剣は鱗へ浅い傷を残しただけで、大きく弾き返される。
ザックズの眉がわずかに動いた。
その隙を狙い、もう一体の地竜が横から突進してくる。
ザックズは大剣を盾のように構え、巨体の軌道を逸らしながら後方へ跳んだ。二体の地竜がすれ違い、硬い鱗同士を激しくぶつけ合う。
『大剣が弾かれました!』
『地竜の鱗は斬撃に強い。ザックズの武器とは相性が悪いな』
《世界三十二位でも斬れないのか》
《硬すぎる》
《二体いるのがきつい》
友丸は二体の地竜が重ならない位置へ移動し、ザックズを正面から映していた。
カメラの中では、二体の地竜とザックズの攻防が途切れることなく続いていた。
最初の一撃で斬れないと判断したザックズも、同じ場所を狙おうとはしなかった。
正面から迫る地竜の突進をかわし、大剣の腹を前脚へ叩きつける。
鈍い音とともに、太い脚が折れた。
支えを失った地竜の巨体が前へ傾く。
ザックズは大剣を持ち直し、鱗に覆われていない顎の下へ刃を突き立てた。両腕へ力を込め、そのまま一気に首を斬り上げる。
一体目の地竜が、地響きを立てて倒れた。
『地竜一体を討伐! ザックズ選手、まずは一体目です!』
残った地竜が前脚で地面を掻き、その場へ潜った。
ザックズは大剣を引き抜くと、足元へ視線を落とす。
地中を移動する地竜に押し上げられ、岩場が大きく盛り上がっていく。
友丸もカメラを下へ向け、その動きを追った。
隆起した地面が、ザックズの真下へ到達する。
次の瞬間、地竜が岩盤を突き破った。
ザックズは寸前で横へ跳び、空中で大剣を両手に持ち替える。
地上へ飛び出した地竜は、柔らかな腹部をさらしていた。
ザックズは落下の勢いを乗せ、そこへ大剣を突き刺した。
地竜は激しく身体を震わせたあと、腹から地面へ落ち、そのまま動かなくなった。
『二体目も討伐! ザックズ選手、一気に二体のドラゴンを倒しました!』
《強えええ!》
《斬れないなら脚を砕くのか》
《地竜二体を同時に相手してたぞ》
《これが世界三十二位》
《撮影者さんの位置取りもおかしい》
ザックズは地竜の腹から大剣を引き抜き、刃についた血を振り払った。
短く息を吐くと、大剣を背負い直して次の経路へ向かう。
同じ頃、会場の大型モニターには、もう一人の参加者が二体目のドラゴンを倒す姿が映し出されていた。
『ここで討伐数が並びました! 両者とも残り一体です!』
《追いついた!》
《次で決まるぞ》
《どっちが先に見つける?》
《ザックズ急げ!》
イヤホンをつけていないザックズには、競争相手が追いついたことも、大勢の声援も届いていない。
それでも相手の実力から状況を予想しているのか、走る速度がわずかに上がった。
岩場を抜けた先には、広い砂地が続いていた。
その中央に、一体のドラゴンが立っている。
全長は三メートルほど。先ほどの地竜より小さいが、その姿を認めたザックズは足を止め、すぐに大剣を構えた。
ドラゴンが身を低くする。
次の瞬間、その姿が消えた。
金属同士を叩きつけたような音が響く。
ザックズは大剣で爪を受け止めていた。ドラゴンはすぐに離れ、数十メートル先で再び姿を現す。
《こいつ見たことあるぞ》
《木場が苦戦してたドラゴンだ!》
《前にユリアと戦った種類》
《追い込むほど速くなるやつだろ》
《大剣で対応できるのか?》
ドラゴンが再び消えた。
今度は背後から襲いかかる。
ザックズは振り向きながら大剣を振り回し、刃が届く直前にドラゴンは進路を変えた。
巻き上げられた砂煙だけが、大きく広がる。
ザックズが追おうとしたときには、すでに別の方向から次の攻撃が迫っていた。
大剣で受け、応戦する。
だが、刃が届く前にかわされる。
攻防を重ねるたび、ドラゴンの速度が上がっていった。
『速い! ザックズ選手、大剣で攻撃を防いでいます!』
『あの大剣は威力がある分、振り始めるまでに時間がかかる。小さくて速い相手は、ザックズにとっても相性が悪い』
『以前、同じ種類のドラゴンに日本のSランク木場さんが苦戦しています。やはり、世界ランキングの差なのでしょうか?』
『ランキングは実力差だけで決まるものではない。それに、冒険者と魔物には相性がある。能力や武器が違えば、同じ魔物でも戦いやすさは大きく変わる』
ドラゴンが正面から飛び込み、ザックズの間合いへ入る直前に右へ進路を変えた。
ザックズも同時に大剣の向きを変える。
刃は届かなかったが、ドラゴンの爪もザックズを捉えられない。
『ただし、ザックズも相性がいいわけではない。大剣を使いながら、あの速度についていけていること自体が、あいつの技量だ』
《大剣で防いでるだけでもすごいのか》
《見てからじゃ間に合わないよな》
《先に攻撃の方向を読んでる?》
《これが世界三十二位か》
友丸は、ドラゴンだけを追おうとはしなかった。
距離を取り、ザックズを中心に広く撮っている。ドラゴンが姿を消すと、砂の動きに合わせてカメラを向けた。
一瞬、誰もいない砂地が画面へ映る。
その直後、画面の中央へドラゴンが飛び込んできた。
《また先にカメラ向けてる》
《出てくる場所が分かってるのか?》
《前の配信より戦闘が見やすい》
《撮影者さんには動きが見えてるんだろうな》
ザックズも、少しずつ攻撃の間隔を掴み始めていた。
反撃を当てようとはせず、大剣の動きを小さくする。正面と左右だけを守り、ドラゴンが離れても追わない。
相手が速くなるほど、余計な動きを削っていく。
ドラゴンの速度が、さらに上がった。
砂を蹴った瞬間、今度こそ完全に姿が消える。
ザックズは動かなかった。
大剣を低く構え、正面を見たまま待つ。
左側で砂が舞い上がった。
それでも、そちらへ視線を向けない。
わずかに遅れて、ドラゴンがザックズの右側へ現れた。
ザックズは、その姿が見えるより先に踏み込んでいた。
何もない空間へ大剣を振り上げる。
次の瞬間、突進してきたドラゴンの首と刃が重なった。
分厚い刃が鱗を割り、そのまま首を斬り抜く。
勢いを失った身体が砂の上を滑り、ザックズの横を通り過ぎた。
ドラゴンは、二度と立ち上がらなかった。
『三体目の討伐を確認しました!』
一拍遅れて、会場全体へ勝敗を告げる音が鳴り響いた。
『勝者は、世界ランキング三十二位――《バロン》所属、ザックズ選手です!』
イヤホンが拾いきれないほどの大歓声が沸き起こった。
《ザックズ勝利!》
《ZACK! ZACK!》
《あのドラゴンを大剣で倒した!》
《最後は出てくる前に振ってたぞ》
《世界三十二位強ええ!》
《撮影者さんの映像も完璧だった》
会場に設置された別の大型モニターには、三体目を探して砂地を進んでいた、もう一人の参加者が映し出されていた。
その進行方向には、すでにドラゴンらしき姿が見えている。
あと少し発見が早ければ、勝敗は分からなかった。
運営から終了の連絡を受けた参加者は足を止め、悔しそうに顔を伏せた。それでも最後には、カメラへ向き直り、勝者へ短い拍手を送った。
ザックズは大剣を肩へ担ぎ、友丸のカメラへ顔を向けこちらに歩いてくる。
「三体、討伐しました」
「ああ」
「勝ったあとの言葉も考えていたんですよね?」
「もちろんだ」
ザックズが自信に満ちた表情で胸を張った。
「まずは――」
その途中で、友丸はカメラを右へ向けた。
「おい」
ザックズが画面の外へ消え、代わりに何もない砂地が映る。
奥で土煙が上がっていた。
細長く伸びた煙が、凄まじい速さでこちらへ近づいてくる。
《どうした?》
《撮影者さん、どこ映してるんだ》
《右から何か来てるぞ》
《速くない?》
次の瞬間、ドラゴンの顔が画面いっぱいに現れた。
先ほどザックズが倒したものと同じ種類だった。
《近い近い近い!》
《もう目の前じゃん!》
《撮影者さん、逃げろ!》
《競技終わったぞ!?》
友丸は逃げなかった。
左手に持ったカメラを向けたまま、腰を落とす。
右手を握り、迫ってきたドラゴンの顔面へ真っ直ぐ突き出した。
正拳が、鼻先へめり込む。
肉と骨をまとめて打ち抜くような音が響き、ドラゴンの突進がその場で止まった。
三メートルの巨体が一度だけ大きく揺れる。
そのまま力を失い、砂地へ横倒しになった。
配信されている映像は、ほとんど揺れていなかった。
コメントが止まった。
イヤホンから聞こえていた大歓声も消え、会場全体が静まり返る。
ザックズは、自分が倒したドラゴンへ目を向けた。
続いて、友丸の足元に倒れているドラゴンを見る。
「……俺より、やっぱり目立ってるよな?」
「向こうから来ただけです」
「俺の勝利が決まった直後に?」
「俺に言われても困ります」
二人が話している間も、会場からは何の反応も返ってこない。
その沈黙を最初に破ったのは、塁だった。
『踏み込みが甘いな』
『……今の一撃でドラゴンを倒していますが』
実況者が戸惑いを隠せない声で返す。
『倒したかどうかと、打ち方が正しいかは別の話だ。今のは腕の力に頼りすぎている』
「撮影しながらだったんだぞ」
友丸がイヤホンの向こうにいる塁へ言い返した。
その声はカメラのマイクを通じ、会場にも配信にも届いている。
『片手でも踏み込める。言い訳をするな』
《普通に返事したぞ》
《撮影者さん、塁の声を聞いてたのか》
《イヤホンつけてる?》
《というか、撮影者と塁って知り合いなのか?》
《今の会話、初対面の距離じゃないだろ》
《前から知り合いだった説》
《そこより正拳一発で倒したことに突っ込めw》
《あれで踏み込みが甘いのかよ》
《世界二位の採点が厳しすぎる》
《ZACK! ZACK!》
《ザックズさんの勝利も忘れるな!》
《今日の勝者はザックズ!》
《一番目立ってるのは撮影者さん》
止まっていたコメントが、先ほどまで以上の勢いで流れ始める。
会場にも遅れて歓声と笑いが戻ってきた。
ザックズはしばらく友丸を見ていたが、やがて諦めたように大剣を肩へ担いだ。
「勝ったのは俺なんだがな」
「それはちゃんと撮ってますよ」
「今から勝者の言葉を言ってもいいですか?」
友丸は改めてザックズへカメラを向けた。
「どうぞ」
ザックズは胸を張り、口を開きかけた。
そのまま数秒、黙り込む。
「……何を言うつもりだったか忘れた」




