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ザムザ  作者: 塩崎栞
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二十八章 失われた記憶

 最初の映像。


 一人の幼女が映し出されていた。

 大きな窓から日光が差し込む部屋の中で、床に座り込む幼女は膝の上の本を熱心に眺めている。

 ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、レンブラント……数々の巨匠の作品を収めた画集から、幼女は目を離さない。

 初めての世界に足を踏み入れた彼女の瞳は、きらきらと輝いている。惹きつけられている。

 先人たちが残した傑作、自分が思う「本当に美しいもの」を見つけた彼女は、頬を紅潮させている。


(……あれは幼いときの私だ。私はあのとき、心を突き動かされるような感動を初めて覚えた。キャンパスの隅々にまで満ちた情熱が、先人の苦悩が、私の心を掴んで離さなかった。この世界には美しいものが溢れていることを知った。このときから私は、あらゆる「本当に美しいもの」に夢中になっていった……)


 映像は飛んで、どこかの教室が映し出される。


 中学校の休み時間だ。

 短いスカートを翻して、おしゃべりに興じる女子たちを横目に、少女は一人自分の席にいる。彼女は小説を読んでいる。細い指では支えるのが大変なほど分厚い本を、彼女はひどく楽しそうに読んでいる。


 作家が編み出した文章の一つ一つ、言葉の一つ一つを味わい、感嘆し、愛おしんでいる。時にはぱたりと本を閉じて、美しい装飾が施された表紙の表面をそっと撫でる。

 知的好奇心に満ちた彼女の世界を崩したのは、クラスの女子たちの声だった。いつも一人で読書をしている彼女の悪口を、クラス中に聞こえるほどの大声で話し、甲高い笑い声を上げる。その声は純粋な悪意と、楽しさで満ちている。


 本を持つ彼女の指が震えた。彼女の顔色が悪くなっていくのに合わせ、笑い声もますます大きくなる。


 スケープゴート。クラスの結束のために生贄となった少女の瞳には、薄い水の膜が張っている。


(……ああ、そうだ。絵画、小説、音楽、映画……自分が美しいと思ったものを一途に追い求めていた私にとって、同年代の女の子と交流することは何よりも難しかった。学校で一日中誰とも話さずに、一日を終える日も珍しくなかった。私は嫌われているのだと、私が他の女子とは違うから気持ち悪いのだと、ずっと勘違いし続けていた。女子が怖くなり、一人で居るのにすっかり慣れて、それでも耐え切れない寂しさを抱えていた私は、本当に弱かったのだ……)


 映像は次々と切り替わる。


 次に映ったのは、見覚えのある部屋だった。悪夢に出てきた部屋。ドールハウスのモデルとなった、私の部屋。


 少女は部屋の中央で、音楽に耳を傾けている。ごついヘッドフォンを着けて、幸せそうに体を揺らしていた。しかし濃く刻まれた隈が、埃を被った制服が、カーテンの隙間から漏れる明るい日光が、彼女が今置かれている状況を説明している。


 彼女が高校に行っていないことは、明らかだった。


 ノックもなしにドアが開かれる。


 悪夢にも何回も登場していた「誰か」だった。この映像でも、「誰か」の顔ははっきりとは見えない。


 「誰か」は怒号を上げる。びりびりと空気が震えた。少女は心底嫌そうに顔を歪めて。ヘッドフォンを強く耳に押し付ける。その態度にますます「誰か」が纏う空気は剣呑なものとなる。

 学校に行かないこと。毎朝、体調を崩すくせに、晩になったら途端に元気になること。部屋に籠っていつまでも遊んでいること。

 「誰か」が繰り出す質問に少女は答えようとしない。体を丸め、音楽以外の音をシャットダウンし、外の世界から、現実から目を逸らし続ける。


「誰か」が少女の部屋に侵入すればするほど、少女は自分の世界に閉じこもっていく。


(……私の人生の中で一番苦しい時期だった。中学の奴らが来ないような遠くの高校に必死に受かったが、一度挫折していた学校という制度に、あまりにも馴染むことができなかった。学校があると思うと、頭痛と吐き気と眩暈で倒れた。日曜日の晩になると、涙が止まらなくなった。平日の日中に外に出ると向けられる疑念の視線が苦しくて、家から一歩も出られなくなった。毎日響く「誰か」の怒鳴り声から、身を隠すのに精いっぱいだった。小さいころからこつこつ集めている「美しいもの」だけが私の味方だった……)


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