二十七章 蝶
壁を埋める蝶の標本は、改めて見ると圧巻だった。
自分で収集したものだが、美しい虫の死体が放つ引力のようなものに惹きつけられていく。翅から今にも鱗粉が舞い落ちてきそうなほど、鮮やかな色と模様に満ちていた。
私は蝶と対面する形で立っていた。
カミーユの、ヒントはすでに与えているという言葉。
彼女から貰った様々なもの、形あるもの、言葉、抱擁の中で、一際強く鮮明に記憶に残っているのは、あのガラス細工の髪飾りだ。
ガラスの蝶が私に触れたあの瞬間、衝撃と共に前夜の記憶が蘇った。空白の中に消滅していたはずのものを、完全に引っ張り出してきた。あれから蝶に触れても衝撃が全身に奔ることはなかったが、だからといってカミーユの言葉に何の意味がないわけがない。
私はこの部屋に来るまでに、ある予想を立てていた。
蝶は記憶を司っているのではないか。カミーユの手に操られていたガラス細工の蝶も、咲き誇る花々に魅入られていた蝶も、その小さい体に秘密を詰め込んでいるのではないか。
何百羽ものその蝶たちは、捕らわれ、殺され、全てを曝け出した状態で固定されている。
蝶が入ったガラスには、私が映っている。火に炙られた顔。醜く歪んだ顔のパーツは、もはやかつての原形を留めていない。焦げて黒くなった髪も、四方に広がっていた。
一週間前、私を部屋に呼んだカミーユは三つ編みを編んでくれた。もう、あの幸福な時間は戻ってこない。
カミーユは死んだ。
「っ……」
体の内側からせり出すものをぐっと堪えて、私は蝶に向かって一歩踏み出す。腕を伸ばして、まずは一番端にある標本を持ち上げようとした。
カタリと。
全ての標本の蝶が翅を震わせた。
恐ろしいほど透き通った音で、一斉にガラスが割れる。
後ずさりした私を嘲笑うかのように、大小さまざまなガラスの破片が降り注いでくる。
反射的に腕を顔の前に出す。
ああ間違った、今の私の顔は何かから守らなくてはいけないような美しさを有していないのに。
淡く後悔した瞬間、皮膚にガラスが刺さる。ずぶりと空いた穴から血が噴き出る。
真っ赤に染まった視界で蝶が飛んでいた。
何十羽、何百羽、死んでいたはずの蝶が翅を広げている。空間そのものを埋め尽くすようにして大群となった蝶は、ベッドを、テーブルを、ドレッサーを、私の部屋を覆い隠していく。鱗粉をまき散らしながら飛ぶ蝶たちは、私の顔や腹や腕や足や髪に止まり、当たり、絡みつく。
世界が回るような感覚に、くらりとよろめく。
フラッシュバック。
カメラのシャッターを押すように、光が、闇が、交互に頭の中を染めていく。
途切れ途切れの映像が脳裏に浮かんではすぐに消え、新しい映像が古い映像の残りかすを上書きしていく。




