二十六章 別れ
「……カミーユお姉さま」
「なに? シオン……あらあら、酷い火傷をしているじゃない。手当しないといけないわね。かくれんぼの途中だけど、私の部屋にいらっしゃい。応急手当くらいはできるから」
「カミーユお姉さま」
彼女の声を遮る。後ろを振り向くことが、なぜかためらわれた。粉々に崩れたドールハウス(私の部屋……)を見つめながら、心に詰まっていた疑問を全て吐き出す。
止まることなく発せられる私の声は、涙で濡れていた。
「これは一体どういうことなの。私の部屋がドールハウスになっている。過去の私が悪夢に出てきていた。さっきの映像だって……私は火に燃やされていた。自分が愛した物と共に。この火傷だってそう。急に現れて、顔が崩れて……ねえ、カミーユお姉さま。教えて。一体何が起こっているの。私は何者なの。過去に何があったの。この屋敷にはどんな秘密が隠されているの。だってカミーユお姉さまにも」
秘密が隠されていた。
私は全てを見てきた、と月明かりが美しい夜に彼女は言った。全てを記憶している、だからこの世界についてもよく知っている、と。
なら彼女は私の質問に答えられるはずだ。私を安心させてくれるはずだ。いつものように……。
「シオン。以前ならまだしも、今この状況で決定権の全てを人に任せてしまうのは、感心しないわね。今貴方が私に訊ねた質問だってそう。全て、貴方の存在の根幹に関わることよ。私が答えることなんてできない」
彼女の腕が首に回った。そのまま羽のように軽い体重をかけられる。あの夜のように。
彼女の声が耳朶を震わせた。
「……ヒントは与えているはずなのだけど」
はっとする。彼女の腕を振り払い、後ろを振り返る。
そこには底なしの闇しかなかった。美しい姉の痕跡も存在も、どこにも見出すことができない。伸ばした手は何も掴むことができなかった。
「カミーユお姉さま……?」
名前を呼んでも、返ってくるのは闇が放つ無言のみ。じわじわと魂まで浸食されそうな闇に、全身の震えはどんどん大きくなる。あまりにも恐ろしい考えに頭が支配され、必死に否定するも、心のどこかでは確信していた。
彼女は完全に消えてしまったのだ。私を置いて。
「いやだ……」
頬の肉と絡みついている瞳から、涙が溢れた。小部屋の寒さに固まった足と腕を動かして、目の前の闇に飛び込もうとする。
今まで彼女は闇から生まれ、闇へ消えていった。中庭でも彼女の部屋でも、彼女がいた場所には必ず闇があった。
私の体が触れた瞬間、闇は晴れてしまった。消えてしまった。彼女と共に。
「っ……! いやだ、いやだ、いやだ、いやだ……!」
息をするのが苦しい。涙で前が見えない。髪をかきむしっても、床に爪を立てても、制止してくれる声は、そっと被さる冷たい手はもう存在しない。
私は慟哭する。獣のような醜い声で。
「分かっていた……! 分かっていたのに……!」
ああ、分かっていたさ。心のどこかで分かっていた。私はそれから目を背けていただけだ。
私が自分の秘密を知るためには、この屋敷の秘密を探るためには、この世界を理解するためには、私は彼女から離れなければいけない。彼女にいつまでも縋り続けるわけにはいかない。私は彼女を見つけてはいけない。
そのためのかくれんぼだ。
分かっていた。分かっていたが、私は自分の体の半分が引き裂かれたような痛みを感じる。顔一面の火傷が、再びじくじくと熱を持ち始める。私は彼女を攫った闇を、この世界を憎む。
何でもするのに。彼女を取り戻すためなら、たとえ命だって喜んで差し出そう。
私が前に進むために彼女は消えた。だけど私は彼女がいないと、呼吸することすらままならない。
彼女がいない世界に、生きる価値など。
――貴方の存在の根幹に関わることよ。
ふと、彼女の声が思い出された。私の支離滅裂な質問に対して、彼女の透き通った美しい声で紡がれた答え。私のための、彼女の遺言。
――ヒントは与えているはずなのだけれど。
「……ヒント」
私は呟く。緩慢な動きで、美術館の扉を見た。
彼女が私に残したというヒント。心当りがあった。




