二十四章 「夜警」
小部屋に入ると、独特とした臭いがつんと鼻をつく。美術品から漏れ出る独特な臭気は、時間と共に床に沈殿していく。
中に入って扉を閉めると、濃い闇を小さなランプがほんのりと照らしていた。
以前双子とかくれんぼをしたとき、私はこの部屋のソファーの裏に隠れた。ひどく遠い昔のことのように思えるが、あれから一週間しか経っていないのだった。
私だけの小さな美術館には、誰もいなかった。
私は念のために、奥の壁に掌を押し付ける。ランプでは拭いきれない闇が自分を取り囲むのを感じ、そこから姉の華奢な腕が伸びてくることを期待する。
私にとって、姉は神と等しい存在だ。私は美しい女王の前に跪き、頭を垂れ、恭しく命令を聞きさえすればいい。私は彼女に忠誠を誓った騎士の一人だ。
――シオン、気に病むことはないわ。
オリヴィエを殺した私に、彼女はこう言った。返り血に塗れた醜い私に注がれる視線は、優しく微笑んでいた。
「……カミーユお姉さま」
返事は返ってこない。やはり、ここにはいないのだろう。この遊びには制限時間がある。一つの部屋に長く居座る必要はない。
扉に向かう途中で、ふと横を向いてみた。
壁にはレンブラントの傑作「夜警」がかかっている。
全体的に仄暗い画面の中で、中央の男二人がスポットライトを浴びているかのように浮かび上がっている。男たちの後ろには群衆が描かれている。群衆の中にも、スポットライトを浴びている人物がいる。明るく発光している少女の顔はこちらを向いている……。
「夜警」に描かれている少女と目が合った。
一瞬、時が止まる。心臓が飛び出しそうなほどに暴れていた。
――噂を聞いたことがあった。出所すら分からない、眉唾もの。
「夜警」の少女と目が合ったら呪われるのではなかったか。
どくりと心臓が大きく動いた。それが合図だったかのように、顔に熱湯を浴びせられたような凄まじい熱さを覚えた。
「ああっ!」
熱い……! 痛い……! 熱い……! 痛い……!
熱い……!
耐え切れずに顔を覆うが、皮膚の表面も、熱した鍋に直接触れたかのような熱さで、行き場を失くした手がぶら下がる。ぼこぼこと頬の内側で何かが沸騰していた。
頭が焼ききれそうなほどの熱さに、足が縺れて倒れこむ。何かを倒したが、それどころではなかった。
「あああああっ……!」
熱で溶かされた皮膚が剥がれていく。湯気を立てた肉がぼとりぼとりと落ちていく。顔がじゅわじゅわと音を立てて焼けていく。
気絶してしまいそうな痛みが駆けまわる。瞼が、鼻が、唇が、見えない火によって焼かれ、爛れていく。
なぜかその感覚に覚えがあった。
私は過去にもこんな苦しみを、熱さを経験している。あのときは実際に火があった。私が用意した火だ。私は油の臭いを体に纏い、燃え盛る自分の部屋をぼんやりと眺めていた。
自分の部屋……? どういうことだ。私の部屋はこの屋敷の二階で、燃えてなんかいない。自分で火を用意したことだって、一度も。
一際大きな肉が崩れ落ち、悶絶する。床の上で全身を震わせる私の視線の先には、何かが転がっていた。
家の形をしている。ミニチュアサイズの机やら本棚やらレコードやらが周りに散乱していた。
職人が手作りしたという「リコレクションのドールハウス」。
人形を置いたらそのまま生活を始めそうなほど精巧に作られたそれは、テーブルから落ちた衝撃で見るも無残な形になっていた。
床に倒れたときに何かに手が当たったのだが、このドールハウスだったのか。
痛みや熱さは収まりはじめていた。その代わり、顔の肉がぐちゃぐちゃに絡み合っているのが鏡を見なくても容易に想像できる。
特に頬は、指でそっと撫でると大小さまざまな突起物ができているのが分かった。皮膚は焼け爛れ、だらりと垂れ下がっている部分もある。
普通なら泣き叫ぶだろう。元に戻してくれと、前の顔を返せと、自分以外の何かを恨まずにはいられないだろう。特に女の子にとって、顔がぐちゃぐちゃになるなど致命傷だ。
しかし私は違った。どこか安堵しているのだ。この顔が私なのだという思いが胸に広がった。
私は元々このように醜かったのだ。醜い焼け爛れた姿になって、分かった。今までのやけに綺麗な顔は、作り物としての仮面だったのだ……。




