二十一章 禁忌
揺れる視界の中で、誰かが叫んでいた。
獣のようなその叫びは、耐えきれないほどの絶望と悲しみで歪んでいて、私はそれを聞くだけで胸が締めつけられる。誰かが腕を振り上げる度に、真っ赤な液体がそこかしこに飛び散った。何かが火で照らされて、きらりと輝く。悲鳴のような叫びの間に、誰かの声が聞こえる。誰かを呼んでいる。鈴のような軽やかな声に、透き通った氷のような声が被さる。誰を呼んでいるのだろう。あんなに必死で呼んでもらえて。私は羨ましくなる。
私も「誰か」からあんな風に呼んでもらいたかった。
「シオン!」
はっとした。夢から覚めたように、急激に意識が現実に戻ってくる。視界が徐々に明瞭になっていく。呼吸が荒い。ひどく暑かった。
私は……私は、何をした?
「何を……」
目の前には、赤ん坊の死体が転がっていた。
息が止まる。反射的に後ずさりすると、かちゃりと手の中で何かが鳴った。見ると、真っ赤に汚れたナイフだった。ナイフだけではない、私のワンピースも、腕も、足も、毒々しい赤い液体に染まっていた。
これは……血?
「……オリヴィエ?」
末っ子の名前を呼ぶ。ぴくりともしない。当たり前だ。赤ん坊はずたずたに切り裂かれている。腕や足は胴体からちぎれ、丸い腹にも無数の大きな穴が空いている。そこからどくどくと血が流れている。小さな体が真紅に染まっている。生まれつき潰れている目はさらに潰されている。
これはもはや死体ですらない。ただの肉塊。かつては赤ん坊だった肉……。
……私が殺したの?
双子が、床に蹲る私を見下ろしていた。その顔には表情というものが存在しない。喜怒哀楽、何の感情も浮かんでいない美しい顔が二つ並んでいる。
その奥にカミーユがいた。カミーユは薄く微笑んでいる。紫の光を宿した瞳が笑っている。彼女も私を見ていた。末っ子を殺した私を。返り血に塗れた、醜い私を見ている。
私が何をしたのかを、彼女らの顔は、瞳は物語っている。
硬直していた体が、ナイフを持つ指先が、震えはじめる。歯の根が合わずに、かちかちと音が鳴る。息が荒くなる。自分の前に広がる光景が夢なのか現実なのか、それすらも曖昧になっていく。
再び赤ん坊を見る。今まであれだけ私を追い詰めてきた末っ子が、床に転がっている。ナイフで何回も刺されて、皮膚を破られて、血を抜かれて死んでいる。
私が殺した。私が。
何の音もせず静まり返るダイニングルームの空気を破ったのは、カミーユだった。彼女はさっきよりも微笑んでいる。口角を上げ、笑っている。
「シオン、気に病むことはないわ」
そのとき、重低音の鐘の音が空気を震わした。本館にあるはずの大時計の鐘が、別館にも鳴り響いている。石造りの建物の中で幾重にも反響する鐘の音は、ダイレクトに鼓膜を叩く。
カミーユがどこか遠くを見た。
「もう三時ね」




