十九章 芋虫
「次は特別なデザートを」
ぱっと一人一人の前に白い皿が現れた。食前酒の後のデザート。儀式でしか食べることのできない、特別なものを。
私たちの膝の上には、皺一つないナプキンがかけられている。皿の上にも、繊細な結晶模様をあしらったレースペーパーが置かれていた。さらにその上には、大きな林檎が丸々一つ乗っている。
林檎にはたっぷりの蜂蜜がかけられていた。胸焼けしそうなほどの甘い香りが辺りに漂う。
私はほうと息を吐いた。
私たちが収穫し、カミーユが調理した林檎は、今すぐ持ち上げてキスしたくなるほど艶めいている。色も濃い赤に染まっていて、唇で触れたらリップのように色が移ってしまうのではなんて、半ば本気で思う。
「最後の仕上げをしましょうか」
カミーユの声と同時に、林檎の上に小さな雲ができた。そこから雪のような砂糖がふわふわと舞い落ちる。林檎の頭頂部だけが真っ白に染まった。
これで完成だ。自然界に存在するありとあらゆる美しさを凝縮した一個の果実は、完璧な状態で私たちに食べられるのを待っていた。
手を伸ばす。掌は、輝く銀食器をいつの間にか握っている。フォークをつぷりと突き刺すと、どろりと蜂蜜が垂れていった。ナイフを入れる。しゃくしゃくと軽やかな手ごたえ。ナイフが皿に当たって音を立てるような間抜けなことにならないように、注意しながら一切れ分を切り取る。
薄い皮の奥には、どろどろに煮詰められた果実がぎっしりと詰まっていた。黄金色の液体に包まれ、果実自身も黄金に染まっている。フォークで突き刺して持ち上げると、先ほどよりももっと強い、蠱惑的で魅力的な香りが鼻腔を刺激した。みるみるうちに口内に唾液が溜まっていく。
カミーユ特製の焼き林檎。いつものアフターヌーン・ティーのお菓子とはレベルが違う。この林檎には彼女の悩ましい吐息が、透き通った汗が、落ち着いた瞳が、彼女自身が、詰まっているのだ。
「……いただきます」
そっと火を吹き消すようにデザートを口に含む。歯を突き立てると、溢れんばかりの果汁が飛び出した。果実の甘みが凝縮されたそれをこくりと飲み込む。どろりとした液体が食道から胃へ、ゆっくりと流れ込んでいく。じわじわと臓器に、血管に、皮膚に染み込んでいく。じわじわじわじわと染み込んで、やがてそれは私の体の一部になる。
私の中に異物が入り込む。
「……っ! ぐっ……!」
猛烈な吐き気が襲った。ぶわりと汗が滲み出る。慌てて掌で口を押えるが、もう遅かった。
抑えきれなかった胃液が、指の間からびちゃびちゃと零れていく。林檎の果肉が混じった吐瀉物が、テーブルクロスに溜まっていく。ぶるりと体が震えた。涙が滲む。胃液が舌に絡みついている。
「ごほっ……! げほっ……!」
何かひどく大きな塊が、気道を塞いだ。息が一瞬出来なくなり、パニックになる。背中を丸めて大きく咳き込んだ。
「シオン」
「シオンお姉さま……!」
カミーユと双子の焦った声。音として聞こえてはいるが、それに返答する余裕など今の私にはない。
一際大きく咳き込む。何かが指をすり抜けて、べちゃりとテーブルに落ちた。吐瀉物の中でそれが蠢いているのを、私はぼやける視界で捉える。どう見ても林檎の果肉ではない。異様に長く、黒く、何本もの足が生えていた。何かから逃れるように、するするとテーブルの中央へ這っていく。これを、この虫を、私は見たことがあった。これは……。
……ムカデ?
「……うそ」
頭が真っ白になった。カミーユや双子が何かを言っているのは分かるが、その声を言語として認識することができない。
今、私はムカデを吐き出した……? 自分の言葉を必死で否定する。そんな、そんなわけはない。だって、今食べたのはカミーユが作った焼き林檎で。私が最初吐き出したのだって林檎の果肉で。ムカデを吐き出すなんて、そんなこと……。
これは夢だろうか。一瞬思うが、それがただの現実逃避であることは私自身が一番よく分かっている。
これは現実だ。私が毎晩見る悪夢とは違う。儀式は実際に行われていて、カミーユと双子も確かにここに存在していて、私がムカデを吐き出したのも確かに起こったことだ……。
一切れ分の空白が空いた焼き林檎を見る。蜂蜜で覆われた皮はつやつやと輝き、砂糖と一緒に煮詰められた果肉は媚薬のような香りを放っている……。いや、違う。何かが、何か黒いものが内側で蠢いている。ぱんぱんに詰まっているそれらに薄い皮が耐え切れなくなり、ぴしりと切れ込みが……。
切れ込みから皿に流れたのは、虫だった。ムカデ、芋虫、毛虫……様々な虫の幼虫が重なり合って、体を伸ばして、あちらこちらへ這っていく。
こぷり、と再び口から胃液が零れた。食道を逆流してきたものが膝の上に落ちていく。芋虫だった。私の胃液に塗れたそれは、私の膝の上で這いずり回る。薄い生地越しに、芋虫の感触が確かにした。
もう限界だった。




