十七章 儀式の始まり
別館は儀式のためだけにあるのだと、幼い頃カミーユから教えてもらったことがあった。その言葉通り、別館には儀式で必要なものしか置かれていない。
軋む玄関扉を開けると一直線に長い廊下があり、その先にはダイニングルームだけがある。他には何もなかった。二階も、地下も、プライベートルームも、居間もない。屋敷にあるのはダイニングルームのみ、その中も大理石のテーブルと何脚かの椅子だけががらんとした空間に取り残されたように設置されている。
まさに儀式の為だけの館。たったこれだけのために、本館とは別の屋敷が建てられた。
「シオン」
儀式が始まる直前、ダイニングルームは呼吸すら憚られる静寂に満ちていた。いつも本館で感じるような暗い静けさではない。神聖な、清らかな静寂。細い糸が張り巡らされているようで、椅子に座り直すなんでもない動作にさえ気を遣わなくてはいけないような。
それでも不愉快な沈黙ではなかった。口を閉ざすべきだから、閉ざしているのだ。無理に話す必要も、気を遣う必要もない。私はただあるべき姿でいればいい。
カミーユが囁いたのは、全員が席に座って暫くしたときだった。この静寂の中で、彼女の声は普段以上に冷たく、透き通っているように思える。
「大丈夫?」
ありがたい、しかし意味のない質問に私は軽く頷いた。
今は特別な時間だ。個人的な理由で儀式の進行を妨げることは、許されない。そんなことはカミーユも十分承知だが、毎年必ず聞いてくれる。
今から火をつけるが、大丈夫かと。
火は昔から苦手だった。きっかけや理由は覚えていないが、火を見ると反射で体を強張らせてしまう。揺らめく火が、油を伝う火が、大きく赤々と燃え、しまいには私をも飲み込んでしまう。色んなものを巻き添えにして、全てを燃やし尽くしてしまう。そんな想像に頭が囚われる。
それを姉妹たちは知っているから、屋敷の至るところにある燭台に火が灯されたことは一度もない。
昼であっても屋敷が暗く澱んでいるのは、だから私のせいだ。
「ありがとう。点けるわね」
マッチ箱を擦る音。いつもならあまりにも小さすぎて聞こえても耳に残らないほどの音が、ここでは大きく深く響く。洞のような闇に小指ほどの火が灯った。部屋の空気の流れは最小限だから、火は揺らめくとこなく真っ直ぐに立つ。
大理石のテーブルに置かれた何本もの蝋燭に、カミーユは火を灯した。一本一本、火を与えられた蝋燭が増えるごとに、視界が淡く照らされていく。
ダイニングルームに蝋燭以外の照明はない。広々としたダイニングルームの全てを細い蝋燭が照らせるわけがなく、テーブルだけが闇の中に浮かび上がっていた。テーブルには私が昨日摘んだシャガの花が花瓶に活けられている。毒をもつ花は、優雅に闇の中で花弁を広げている。
美しい姉妹たちも闇に包まれていた。今は私含めて全員が黒いドレスを着ているから、白い顔だけがぼんやりと見えている。
カミーユの花々は、儀式が近づくにつれて濃くなっていった。今はワンピースと同じ漆黒だ。
全身に黒を纏った彼女は美しい悪魔だ。彼女になら、私は何の迷いも後悔もなく命を差し出すだろう。
カミーユの長い睫毛が小さな影を落とした。
「それでは始めましょうか」
私は、向かいに座る双子と顔を見合わせる。三人で声を揃えた。
「ええ、カミーユお姉さま」
年に一回だけの催し物。特別な日の午後二時。
儀式は粛々と始まった。




