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ザムザ  作者: 塩崎栞
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十三章 儀式の準備

 ある少女と少年は蛇にそそのかされて禁を破り、知恵の木の実を食べてしまった。楽園から追放されてでも食べずにはいられなかった果実は、きっとこんな風に瑞々しく魅力的だったのだろう。


 どこかで聞いた話を思い出すくらい、私の目の前にある林檎は毒々しいほどの色彩と芳香を放っていた。

 大量に生っている林檎を一つ一つもぎ取り、下に放り投げる。双子の軽やかな声が梯子を上ってきた。


「そろそろ籠が一杯になりますわ、シオンお姉さま。今年の林檎は本当に美しいですよ! ペルセポネが冥界で口にした林檎も、きっとこんな風だったのでしょうね」

「何を言っているの、リーン。ペルセポネが食べてしまったのは柘榴でしょう? ギリシャ神話に登場する中で重要な果実は、林檎じゃないわ」

「……あら、本当だわ。私ったら間違えてしまって」

「ふふ、リーンでもお馬鹿さんになるときはあるのね」


 ほぼ一週間後に迫ってきた儀式の準備は、今朝から始まった。準備といっても私と双子が中庭の林檎を収穫し、カミーユが料理を作ることは毎年決まっている。

 儀式には特別なデザートが必要だ。私たちは毎年何十個もの林檎をカミーユの元へ届ける。カミーユは籠一杯の林檎を一つ一つ皮むきし、切り分け、中身をくり抜き、たっぷりの砂糖と共にグツグツ煮込む。厨房は果実特有の甘い香り満たされ、それを風が屋敷中に運ぶ。

 儀式までの間、私たちは基本食事をとることができない。そう決まっているのだ。空っぽになった腹をさすりながら吸い込む林檎の香りは、ゆっくり効く毒のように体に染み込んでいく。


 梯子を降りると、双子は嬉しそうに籠一杯の林檎を私に見せた。

「今年は本当に豊作ですね、シオンお姉さま。見てください、この艶! ついつい撫でたくなってしまうわ。ねえ、リース」

「そうよね、リーン。これだけあったら、カミーユお姉さまも喜ぶわね。ああ、楽しみだわ。儀式の料理はいつもより一等美味しいもの!」

 年相応にはしゃぐ双子に笑みが零れた。

 彼女らの笑顔は、向日葵のように明るくて眩しい。

「ええ、そうね……とりあえず、これを厨房へ持っていきましょうか」

「ええ!」

「そうしましょう!」

 双子は繋がった体で器用にステップを踏みながら歩く。


 双子の動作を目で追いながら、私はついつい彼女らの足が気になってしまう。


 今朝起きると足の裏が血と泥に塗れ、服を着ていなかった。おまけに指先を動かしただけで、全身の関節が軋んだ。それだけでもひどく驚いたのだが、一番酷かったのは髪の毛だ。

 力任せに掻きむしったように、ぐちゃぐちゃに乱れていた。耳の上にかろうじて三つ編みのようなものが残っているのを見て、私はようやく昨晩カミーユに髪を整えてもらったことを思い出した。彼女の部屋に行って、彼女が三つ編みを編んでくれて……そこから先の記憶は曖昧だ。濃い靄のようなものが脳裏の深く暗いところまでかかっていて、どうやっても取り除くことができない。


 なぜ何本もの棘が足裏に刺さっているのか。どこで服を失くしたのか。昨晩私は一体何をしていたのか。全く分からなかった。


 夢遊病。

 何かの本で読んだことのある病が頭をよぎる。眠ったまま歩き回るが、本人にその意識はない。周りが気づいて早めに対処しない限り、自力で治すことができないあの病に私は浸食されているのではないか。  

 私は眠ったままどこかを歩き回ったのではないか。だから何も覚えていないのでは……。


 ……あの子たちは? 大丈夫だろうか。


 双子のことが急に思い出された。私が夜中歩き回っているかもしれないことや、ましてや夢遊病などと彼女らは関わりがないはずなのに、自分と同じく困っているのではないかと無性に心配になった。確証もないのに、ベッドの中で困惑している二人の妹の姿がありありと想像できた。

 居ても立ってもいられずに、私は向かいの双子の部屋へと走った。ノックしても返事がなかったから、やむを得ず勝手に入った。まだ夢の中にいた彼女らに大きな怪我や傷はなかったが、裸足の足裏だけがなぜか真っ黒に汚れていた。


 その理由をまだ双子に訊けていない。


「……シオンお姉さま? 顔色が悪いですが大丈夫ですか。しんどかったら、いつでもおっしゃってくださいね。ねえ、リース」

「ええ、リーン。儀式までには体調を元通りにしておかないと、カミーユお姉さまも怒ってしまうわ。私たちに遠慮しないで休んでくださいね、シオンお姉さま」

「ええ、ありがとう。でも本当に大丈夫よ。休むほどのことでもないわ」


 訊くタイミングを私はいつまでも逃し続けている。


「貴方たちも籠をずっと持っていては大変でしょう。今はとりあえずカミーユお姉さまのところへ行かないとね」


 地下にある厨房へは、裏玄関からしか行くことができない。裏玄関は中庭に出るテラスの東側、屋敷を上から見てちょうど三時の方向にあった。あの重々しい表玄関に比べて、裏玄関はかなり殺風景だ。本来は使用人が利用するものらしい。使用人やメイドを持っていない私たちは、自分の足で地下へ降りなければいけない。

 厨房などはいわゆる屋敷の裏側で、だからか同じ石造りの内装のはずなのに、表側のダイニングや玄関ホールより何倍も冷え切っている。薄いワンピースの生地から冷気が流れ込み、鳥肌が立った肌を撫でた。


 本当にここに人がいるのかと不安になりそうな長い道に、私は中世のお城を思い出す。利便性よりも外観の美しさを重視したお城の中で、囚人のような貴族たちが住んでいる。コルセットでぎゅうぎゅうに締め上げられた細い腰が舞い踊る様子が、直接見ているように鮮やかに脳裏に浮かんだ。

 凍えながら進むと、ワインセラーと食品貯蔵庫を通り過ぎる。この中にも儀式で必要な食材がたっぷり入っていた。特に飲み物は、じっくりと熟成された赤ワインを選んで開封するのが儀式の決まりだ。

 指先の感覚がなくなってきたところで、ようやく厨房に辿りついた。屋敷中の人々の食事を一手に引き受けるために騒がしい場所である厨房は、表側から最も隠されている。


「林檎を持ってきました、カミーユお姉さま」

「シオンお姉さま、すみませんが扉を開けてください」

「勿論」


 籠を抱えている双子に代わって扉を開ける。途端にむわりとした熱気が漏れ出た。

 数えきれないほどの大鍋に湯が沸いていた。料理の下準備をしているのだろう。十分な換気機能のない厨房内で、カミーユは一滴たりとも汗を垂らさず、中庭を散歩しているかのような表情で作業していた。 

 料理器具に一切ぶつかることなく狭い通路を歩く彼女の足取りは一定で、まるで機械人形のようだ。


 こういう人間味の無さによって、彼女はますます神聖な存在となっていく。


 双子がカミーユに駆け寄った。私も調理器具を倒さないように注意しながら、双子の後を追う。

「カミーユお姉さま、林檎です」

「今年は豊作ですよ、カミーユお姉さま」

「……ああ、リーンにリース。それにシオンも。ありがとう」

 厨房に入っただけで頬を赤く染めている双子や私たちとは違い、カミーユの肌はいつもより色素が薄い。それを濃い紫の花々が縁どっていた。

 林檎の籠を細い腕で受け取った彼女は、「あら、本当に。立派な果実ね」と呟いた。そのまま視線を私の顔にずらす。


 紫の光が細くなった気がした。


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