26話
「私は⋯⋯アリサ。特級。アンタは?」
アリサの名乗りに、男はニヤリと笑う。
「面白い。俺はノクス。特級相当だ」
空気が変わる。さっきまでとは違う、重い圧が場を支配していた。息が詰まるような感覚に、思わず喉が鳴る。久しぶりに見た、アリサの本気。それに真っ向から立ち向かおうとする、ノクスと名乗った男。
アリサと、ノクス。あの二人だけで、まるで別の世界で戦っているみたいだった。
「⋯⋯来い」
ノクスが短く言う。その瞬間、アリサの姿が消えた。
——見えない。
ノクスがスキルらしきものを使った後と同じように、完全に視界から消えている。次の瞬間、爆音と共に地面が弾ける。ノクスの腕が動くが、ほんの僅かに遅れている。完全には捌けていない。10発に1発入っていた拳が、10発に3発は入るようになった。
「⋯⋯っ」
鈍い音が響き、ノクスの体が横に流れる。初めてだ。ノクスが、明確に押された。
⋯⋯しかし次の瞬間には、もう体勢を立て直している。本当に気持ち悪いくらい、無駄の無い——非常に洗練された戦い方だ。
それでも、ノクスは先ほどよりも多く、ダメージを受けている。これが、アリサの本気中の本気ということだ。
「アンタもエリクサー狙い?」
「そんなもの、どうでも、良いッ!——ただの、依頼だ」
激しい殴打の応酬を繰り広げながら、アリサはノクスに問いかける。⋯⋯なるほど、依頼か。てことはスーツさん達と同じ、雇われの強者ってことか。世界にはこんな強い人も居るんだ。ヤバいな。
アリサは急に攻撃を止め、ノクスの攻撃を全て捌く。疑問を覚えたノクスが距離を取ると、アリサは不敵な笑みを浮かべる。
「恐らく、アンタのスキルは5秒間の超スピード。その代わり、幾らかクールタイムがあるんでしょ?」
「⋯⋯その通りだ」
「なら待ってあげるわ。クールタイムは1分?5分?」
何を言ってるんだ⋯⋯ノクスがスキルを発動すれば、スピードはセリナ並になる。つまり、セリナ以外対処できないスピードになるということだ。そうなれば、パワーとタフネスで戦うアリサには不利なはず。
ノクスはアリサの言葉に面食らった顔をした後、ぐにゃりと顔を歪めた。
「⋯⋯ちょうど今、クールタイムが終わったところだ。その驕り、後悔させてやろう」
男が静かに呟く。
「——終点加速、起動」
また来た。
世界が引き延ばされるような感覚。音が消え、空気が止まる。
そして、ノクスの姿が消えた。
——後ろ!
そう思った時には、既にアリサの背後にノクスが居た。さっきより明らかに速い。反応できるわけが——
「——遅い」
アリサがそう言った。振り向きもしないまま、肘が振り抜かれる。
——当たった。
「⋯⋯!?俺の加速に——ッ!?」
ノクスの体が僅かに止まる。完全に捉えている。あのスピードの中で。⋯⋯凄い、あのスキル発動後はセリナに肉薄する速さだ。それをアリサは、反射神経や殺気などで先読みして攻撃しているんだ。
そのままアリサが踏み込む。一歩。それだけで距離が消える。
「はぁっ!!」
拳、膝、蹴りの連撃。先ほどまでよりも、一発一発が重く、そして速い。ノクスの防御が追いついていない。一撃、二撃、三撃。確実に当てている。
——そして、ふっと空気が戻った。
ノクスの動きが僅かに鈍った。⋯⋯終点加速が切れたんだ。
そう私が理解した瞬間、アリサが踏み込む。
「終わりよ」
——直撃。
拳が真正面からノクスの鳩尾を捉える。衝撃が爆ぜ、ノクスの体がくの字に曲がり、大きく吹き飛ぶ。地面を削りながら、何十メートルも転がる。アスファルトが抉れ、何枚も窓ガラスが割れている。これが人間の戦い?な訳ないだろう。まさに超人対超人だ。
転がり続けたノクスが止まると、静寂が訪れる。誰も動かない。
やがて、ゆっくりとボロボロのノクスが立ち上がった。口から血を吐き、手の甲で拭う。そしてやはり、ほんの少しだけ口元を歪めた。
「⋯⋯なるほど」
小さく呟く。その視線は、完全にアリサだけを見ていた。
「理解した」
一歩踏み出す。その動きに迷いは無い。
「お前に勝つのは——まだ無理そうだ」
そうノクスが呟いた瞬間、ノクスの足元が僅かに沈む。そして次の瞬間——消えた。
視線を上げると、ビルの屋上。そこにノクスの姿があった。
「また来る。⋯⋯報酬以上の価値はあった」
それだけ言って、ノクスは背を向ける。そのまま屋上から姿を消し、完全に気配が途切れた。勝てないと判断し、引いたんだろう。
「⋯⋯はぁ」
気付けば息を吐いていた。戦闘には参加してないはずなのに、ずっと緊張していたらしい。
視線を戻すと、アリサがゆっくり拳を下ろしていた。その横顔は、どこか楽しそうだ。
「次は、もっと完膚無きまでに叩き潰してやるわ」
どうやらアリサはまだ強くなる予定らしい。アリサはそう呟くと、私たちに綺麗な笑顔を見せた。




