24話
「多分、今のリンネより強い。1対1は危な——」
——その言葉を聞いた瞬間。
空気が、変わった。
さっきまで確かに聞こえていたはずの、遠くの車の走行音すら、どこか遠のいたように感じる。
静かすぎる。——いや、違う。本能的に、全ての生物が『息を潜めた』のだ。
私は反射的に周囲を見渡す。
——いない。
気配も、音も、何も無い。
なのに。背筋を、冷たいものが這い上がる。
「リンネ、後ろ!」
セリナの声と、ほぼ同時だった。——気付いた時には、もう遅い。
いつの間にか、そこにいた。黒いコート、闇のように黒い髪。何の気配もなく、私たちのすぐ後ろに、男が立っていた。
視線が合うが、その男から見える感情は、何も無い。敵意も、殺気も、何も無い。
ただ——見られている。それだけで、本能が理解した。『ヤバい』と。そして次の瞬間、男の姿が消えた。
「——サーシャ!!」
思考より先に、体が動いていた。
私の視界の端で、サーシャの目前に“その男”が現れる。
速いなんてレベルじゃない。——見えなかった。完全に、消えていた。
私は地面を蹴り、サーシャと男の間に割り込む。間に合わない!いや——間に合わせる!!
咄嗟の魔法行使で自身の肉体を吹っ飛ばし、無理やり男とサーシャの間に割り込む。よし、間に合った!次は防御——
その瞬間、男の拳が振り抜かれた。
「——っ!?」
衝撃が、全身を貫いた。辛うじて腕を組み、最低限の防御体制は取れていたが、それでも私の体は後ろへ強く弾き飛ばされる。どうにかこうにか、サーシャは巻き込まずに済んだようだ。
地面を滑り、数メートル先でようやく止まった。
——重い。
ただの一撃なのに、内側まで叩き込まれた感覚だ。アークデーモンなんか比じゃない。これほどの身体能力⋯⋯魔王軍でもそう居ない。間違いなく、『幹部クラス』⋯⋯!
骨が軋み、息が一瞬で持っていかれた。
「リンネさん!!」
サーシャの声が遠く聞こえる。
——ああクソ、調子乗ってたな⋯⋯。今のただのパンチだよね?それだけで、このダメージ?本当に人間?
しかも、見えなかった。セリナの声が無かったら多分、反応すらできていなかった。
ゆっくりと顔を上げると、男は同じ場所に立っていた。呼吸一つ乱さずにただ、こちらを見ている。
「⋯⋯そうか」
初めて、男が口を開いた。感情の無い、平坦な声。
「今のは、耐えるか」
嬉しそうな、興味無さそうな、平坦な声だ。あんなパンチ、勇者の私じゃなかったら粉微塵になっているぞ。全く。
「——ふざけんじゃないわよ」
——低い声。
そんなと、聞いたことが無いくらい、温度の低い声が聞こえる。
——アリサだった。
さっきまでの空気とは、明らかに違う。⋯⋯殺気が、露骨に漏れていた。
アリサは、私を庇うように立ち塞がった。
「痛みを感じる間もなく、殺してあげる」
男は、アリサを値踏みするように、わずかに視線を動かした。
「⋯⋯そうか。お前が、一番強いか」
「世界を救った勇者パーティーの前衛の力、見せてあげるわ」
次の瞬間——アリサの姿が消えた。
「!?」
——爆音。その音を辿ると、地面のアスファルトが砕けている。視線をその先に移すと、アリサの拳が、男の顔面を捉えていた。
いや、違う。両手で、受け止められている。
「⋯⋯なるほど」
男が、ほんの僅かに体勢を変えると、それだけで、アリサの一撃の勢いが殺された。
アリサは一撃で仕留めるつもりは無かったのか、冷静な表情で二手、三手目を仕掛けに行くが、男もその攻撃を防御や回避を行い、なんとか捌いていた。
どうやら、今から地球史上最大級の頂上決戦が始まろうとしていた。




