第90話 白鷺六花は思いを伝える。
帰りのホームルームが終わると、生徒たちが立ち上がり、教室の中が少しずつ騒がしくなっていく。
◇
六花は鞄を持つ。
「白鷺」
振り返ると、尚哉がいる。
「帰るか」
「……うん」
六花は頷いた。
◇
二人で教室を出る。
何度も歩いた帰り道。
文化祭の準備をしていた時も。
文化祭が終わった後も。
最近はずっと、こうして並んで歩いていた。
◇
「……」
「……」
会話が少ない。
気まずいわけではない。
けれど、いつものように他愛のない言葉がなかなか出てこなかった。
六花は隣を歩く尚哉を見る。
尚哉もどこか落ち着かないように前を見ていた。
◇
「ね、橘くん」
六花が言った。
「ん?」
「最近、変だよね」
尚哉が少しだけ眉を寄せる。
「お前もな」
「……そうだね」
六花は小さく笑った。
否定できない。
◇
少し沈黙が落ちる。
夕方の風が吹く。
駅へ向かう人たちが、二人の横を通り過ぎていく。
「…私ね」
六花は言った。
「理由、分かったんだ」
「何の?」
「自分が変だった理由」
尚哉は黙っている。
六花は歩く速度を少しだけ緩めた。
◇
「最初は分からなかった」
六花は前を向いたまま言う。
「告白されて、断って」
「……告白?」
「あ」
六花は少しだけ目を瞬いた。
言っていなかった。
「実はこの前ちょっと、他のクラスの人に」
「そうだったのか」
「うん」
「断ったのか」
「うん」
「……そっか」
尚哉はそれだけ言った。
◇
六花は続ける。
「付き合う未来が、全然想像できなかった」
そこで一度、息を吸う。
胸が少しだけ苦しい。
けれど、言葉は止まらなかった。
◇
「そのあとも、ずっと変だった」
「……」
「橘くんと話すと、落ち着かなくて」
「俺?」
「うん」
六花は小さく頷く。
「なのに、橘くんがいないと少し寂しくて」
尚哉は何も言わない。
ただ黙って聞いていた。
◇
「文化祭が終わっても、こうして一緒に帰れて安心した」
「……」
「玲奈ちゃんに本を取ってあげてるところを見た時、なんでか分からないけど気になったりしちゃって」
「……そんなことあったか?」
「橘くんは覚えてないと思う」
「たぶんな」
その答えがあまりにも尚哉らしくて。
六花は少しだけ笑った。
◇
でもすぐに表情を戻す。
ここで誤魔化したら、きっと言えなくなる。
「それで、やっと分かったの」
「何が」
「私」
六花は足を止めた。
尚哉も少し遅れて立ち止まる。
駅へ向かう道の途中。
夕暮れの空の下。
六花は尚哉の目を真っ直ぐ見る。
少し震える声で、ただ一言。
◇
「私、橘くんのことが好き」
◇
言った。
言ってしまった。
胸の奥が熱い。
手のひらに汗が滲む。
◇
尚哉は黙っていた。
驚いたような顔をしている。
困ったようにも見える。
何か言おうとして。
でも言葉にならないようだった。
◇
「ごめんね」
六花が先に言う。
「急にそんな事言われても困るよね」
「いや」
尚哉は短く答えた。
「困ってるわけじゃない」
「……そうなの?」
「たぶん」
「たぶん?」
「そこは突っ込むな」
いつものやり取り。
◇
尚哉は視線を外す。
言葉を探しているようだった。
六花は待った。
答えを急がせたくなかった。
◇
「…俺も」
やがて尚哉が言った。
「最近、変だった」
「うん」
「白鷺がいないと静かだなとか」
「うん」
「名前探してたりとか」
「名前?」
「何でもない」
尚哉は少しだけ顔を逸らした。
六花は聞き返さなかった。
◇
「昨日は」
尚哉が続ける。
「お前のことちょっと悪く言ってる奴らがいて」
「……え?」
「たまたま聞こえてきたって感じ」
「うん」
「正直、めちゃくちゃ腹立った」
「白鷺はそんな奴じゃないって思って」
「……」
「俺は知ってるって」
「なんか、聞いてられなかった」
六花は言葉を失った。
胸の奥がきゅっとなる。
◇
尚哉は少しだけ息を吐く。
「なんでそんなに腹立ったのか、分からなかった」
「うん」
「今日も、なんかずっと変で」
「気がついたら、白鷺の事ばっか考えてた」
「うん」
「でも今、分かった気がする」
尚哉は六花を真っ直ぐに見つめる。
◇
「たぶん、俺も同じ気持ちだ」
◇
六花は目を瞬く。
「同じ?」
「ああ」
「白鷺のことが、好きなんだと思う」
◇
その言い方は、不器用だった。
断言しきれないみたいで。
けれど。
嘘ではないと分かった。
◇
「……思う、なんだ」
「仕方ないだろ。こういうの、よく分からないんだから」
「そっか」
六花は笑った。
嬉しくて。
少しだけ涙が出そうになる。
でも泣くのは違う気がした。
◇
「じゃあ」
六花は小さく息を吸う。
「これからも、一緒に帰ってくれる?」
尚哉は少しだけ目を瞬いた。
「今までも帰ってただろ」
「そうなんだけど」
「……」
「今日はね、ちゃんと約束してほしい」
そう言うのは、少し恥ずかしかった。
けれど言いたかった。
◇
沈黙。
夕方の風。
遠くで電車の音がする。
尚哉は少しだけ視線を逸らしてから、言った。
「まあ、断る理由ないし」
六花はまた笑った。
「それ、橘くんらしいね」
「悪かったな」
「悪くないよ」
「……今のは訂正。約束する」
「そっか…嬉しい」
◇
二人はまた歩き出す。
駅へ向かう道。
いつもの帰り道。
けれど、さっきまでとは全く違った景色に見える。
◇
六花は少し迷う。
迷って。
それからそっと、尚哉の制服のシャツの裾を掴んだ。
◇
尚哉が足を止めそうになる。
「……?」
「少しだけ」
六花は顔を上げずに言った。
「少しだけ…このままがいい」
尚哉は何も言わなかった。
◇
二人はそのまま歩く。
六花の指先は、尚哉のシャツの裾を少しだけ掴んでいる。
◇
並んで歩く距離が、ほんの少し近くなる。
それだけで充分だった。
白鷺六花は思いを伝える。




