第87話 白鷺六花は意味を知る。
翌朝。
六花はいつもより少しだけ早く目が覚めた。
カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
ぼんやりと天井を見る。
そして。
「……」
昨日のことを思い出した。
◇
私は。
橘尚哉くんのことが好きなんだ。
◇
昨夜、自分で認めた言葉だった。
なのに。
朝になった今でも少し信じられない。
夢だったような気もする。
けれど。
何度考えても答えは変わらなかった。
◇
学校へ向かう。
教室へ入る。
窓際の席。
そこにはいつもの姿があった。
◇
尚哉は頬杖をつきながら窓の外を見ている。
いつも通り。
本当にいつも通りだった。
◇
「…おはよう」
六花は声を掛ける。
「ああ」
尚哉が振り返る。
「おはよう」
◇
それだけだった。
何も特別じゃない。
昨日までと同じ。
なのに。
◇
「……」
六花は自分の席へ座る。
少しだけ顔が熱かった。
たぶん気のせいじゃない。
◇
授業が始まる。
ノートを取る。
先生の声が響く。
教室の景色は何も変わらない。
世界は昨日と同じだった。
◇
変わったのは。
自分だけだった。
◇
昼休み。
いつもの四人で集まる。
小春が話す。
灰原が笑う。
尚哉が購買のパンを食べている。
いつも通りの日常だった。
◇
「そういえばさー」
小春が言う。
「来月の校外学習どうする?」
「知らん」
尚哉が無愛想に返す。
「興味持ってよ〜」
「ある程度は持ってる」
「その言い方で信用できたことなーい」
灰原が笑う。
◇
六花もつられて笑った。
尚哉も少しだけ笑う。
ただそれだけ。
それだけなのに。
◇
…嬉しい。
◇
六花はふと気付いた。
昨日までは分からなかった。
でも今は少しだけ分かる気がする。
◇
好きだから。
笑った顔を見ると嬉しい。
◇
好きだから。
隣にいると安心する。
◇
好きだから。
目で追ってしまう。
◇
全部。
特別なことじゃなかった。
◇
放課後。
帰りのホームルームが終わる。
いつものように尚哉が言う。
◇
「帰るか」
◇
たった一言。
最近では当たり前になった言葉。
◇
「うん」
六花も頷く。
二人で教室を出る。
廊下を歩く。
階段を下りる。
校門を抜ける。
◇
会話は他愛もないものだった。
授業の話。
灰原の話。
小春の話。
昨日と変わらない。
◇
駅が近付く。
別れ道も近付く。
◇
「じゃあまた明日」
六花が言う。
「ああ」
尚哉は頷く。
「また明日な」
◇
尚哉はいつも通り、駅の方へ歩いていく。
六花はいつも、その背中を見送っている。
◇
そして。
ふと思った。
◇
…明日も会える。
◇
その当たり前が。
どうしてこんなにも嬉しいのだろう。
◇
文化祭の準備をしていた日。
一緒に帰った日。
図書室の日。
昨日の帰り道。
◇
思い返すと。
全部同じだった。
◇
私はきっと。
特別な出来事を好きになったんじゃない。
◇
何でもない時間を。
橘尚哉と過ごす時間を。
好きになったんだ。
◇
「あはは……」
小さく笑う。
少しだけ照れくさかった。
◇
好きになるということは。
世界が変わることじゃない。
◇
今まで当たり前だったものが。
ほんの少しだけ、特別になることなんだ。
◇
白鷺六花は意味を知る。




