第86話 白鷺六花は認める。
放課後。
帰りのホームルームが終わり、
生徒たちはそれぞれの帰り支度を始めていた。
◇
「ごめん六花ちゃん」
小春が言う。
「今日ちょっと委員会あるんだった」
「あ、うん」
「先に帰ってて!」
小春は慌ただしく教室を出ていった。
◇
「俺も部活」
灰原が言う。
「じゃあな」
「頑張って」
六花が手を振る。
灰原も手を上げて去っていった。
◇
教室には少しずつ人が少なくなる。
六花も鞄を持った。
その時だった。
◇
「帰るか」
聞き慣れた声。
振り返る。
尚哉だった。
◇
「あ、うん」
六花は頷く。
二人で教室を出た。
廊下を歩く。
階段を下りる。
校門を抜ける。
最近では当たり前になった帰り道だった。
◇
「今日の数学やばくなかったか」
尚哉が言う。
「難しかったね」
「途中から完全に諦めた」
「諦めないで」
「時には諦めが肝心だ」
六花は思わず笑った。
◇
会話はいつも通りだった。
特別なことは何もない。
文化祭の準備をしていた頃と同じ。
昨日とも同じ。
先週とも同じ。
◇
それなのに。
六花の胸だけが落ち着かなかった。
◇
駅へ向かう途中。
横断歩道へ差しかかる。
信号は青だった。
人も多い。
皆それぞれの方向へ歩いている。
◇
その時。
一台の自転車が脇をすり抜けようとした。
「あ」
六花が気付くより先だった。
◇
「危ない」
咄嗟に尚哉の手が伸びる。
六花の肩に手を回して引き寄せる。
六花は一歩だけ尚哉のほうへ。
それだけだった。
◇
自転車は通り過ぎていく。
何事もなかったように。
数秒後。
尚哉は手を離した。
◇
「大丈夫か」
「え?」
「ああいうの結構危ないよな」
尚哉はそれだけ言う。
本当にそれだけだった。
もう気にしていないらしい。
◇
「……うん」
六花は頷く。
心臓がやたらうるさかった。
たぶん自転車のせいじゃない。
◇
歩き出す。
尚哉はいつも通りだった。
何も変わらない。
変わったのは自分だけだった。
◇
どうしてこんなに気になるのだろう。
どうして目で追ってしまうのだろう。
どうして他の人を助ける姿が気になるのだろう。
どうして一緒に帰るのが当たり前になっていたのだろう。
◇
考える。
そして。
思い出す。
◇
告白された日のこと。
迷わず断った。
付き合う未来が想像できなかった。
◇
文化祭が終わった日のこと。
放課後の仕事がなくなった時。
少しだけ寂しいと思った。
◇
図書室のこと。
玲奈へ本を渡す姿が気になった。
◇
全部。
全部同じ場所へ繋がっていた。
◇
駅が見えてくる。
別れ道も近付く。
いつもの場所。
いつもの時間。
◇
「じゃあまた明日ね」
六花が言う。
「ああ」
尚哉は頷く。
「また明日な」
そう言って駅の方へ歩いていく。
◇
六花はその背中を見ていた。
いつも見ていたはずなのに。
今日は少しだけ違って見えた。
◇
もし。
明日会えなかったら。
◇
もし。
一緒に帰れなくなったら。
◇
もし。
この時間がなくなったら。
◇
嫌だな。
◇
その瞬間。
胸の奥で何かが静かに繋がった。
◇
「ああ……」
小さく声が漏れる。
ようやく分かった。
ずっと分からなかったこと。
ずっと誤魔化していたこと。
◇
告白を断った理由も。
最近の自分が変だった理由も。
全部。
◇
六花は小さく笑った。
少し困ったように。
少しだけ嬉しそうに。
◇
私は。
白鷺六花は。
橘尚哉くんのことが好きなんだ。
◇
白鷺六花は認める。




