第79話 白鷺六花は見つけている。
ステージ発表のトラブルが事なきを得て、
文化祭は予定通り進行していた。
廊下には来校者の声。
教室からは呼び込みの声。
どこかからデザートの甘い匂いも流れてくる。
賑わいながらも少し落ち着いて、午前中のとんでもない慌ただしさが嘘みたいだった。
◇
「白鷺さん、少し休んでいいよ」
実行委員の先輩が言った。
「でも」
「午前中ずっと動いてたでしょ。次の確認まで時間あるし」
「……はい」
六花は少しだけ迷ってから頷いた。
休んでいい。
そう言われても、何をすればいいのか少し分からない。
文化祭なのに。
自分はまだ、ほとんど何も見ていなかった。
◇
「六花ちゃーん!」
明るい声が聞こえた。
小春だった。
隣には灰原もいる。
「今休憩?」
「うん。少しだけ」
「じゃあ回ろう!」
「え、でも」
「でもじゃない!」
小春は六花の背中を押す。
「文化祭なのに何も見てないとかもったいないよ〜」
「それはそうかもだけど」
「橘くん!」
小春が急に振り返る。
少し離れたところに尚哉がいた。
「ん?」
「六花ちゃん連れて回ってきて!」
「なんで俺…」
「近くにいるから!」
「理由が雑すぎる」
尚哉は呆れた顔をした。
灰原が笑う。
「まあ行ってこいよ。白鷺、午前中ほぼ働きっぱなしだったし」
「灰原くんまで」
「事実だろ」
六花は少し困った。
けれど。
尚哉はなんとも言えない表情のまま言う。
「まあ、行くか」
◇
二人で廊下を歩く。
仕事ではない。
資料も持っていない。
確認する予定もない。
ただ文化祭を見て回るだけ。
それが少し不思議だった。
「どこ行く?」
尚哉が聞いた。
「何も決めてないよ」
「そうだな…」
「橘くんは?」
「決めてない」
「じゃあ一緒だね」
「だな」
それだけで、少し笑ってしまった。
◇
最初に入ったのは、美術部の展示だった。
教室の壁には絵が並んでいる。
風景画。
人物画。
抽象画。
どれも時間をかけて描かれているのが分かった。
「すごいね」
六花が言う。
「すごいな」
尚哉も頷く。
「こういうの描ける人、尊敬する」
「分かる」
「橘くん絵は?」
「絵心ゼロ」
「即答」
「棒人間くらいなら」
「それはそれで見たいかも」
「見なくていい」
六花は笑った。
静かな展示室なのに、少しだけ楽しかった。
◇
次に向かったのは、射的の出し物だった。
小さな景品が並んでいる。
ぬいぐるみ。
お菓子。
キーホルダー。
「やっていきませんかー!」
呼び込みの生徒が元気よく声を掛ける。
六花は少し迷った。
「こういうの、得意?」
「まあ普通」
「また普通」
「便利だからな」
尚哉は真顔で言う。
六花は笑った。
「じゃあ、一回だけ」
◇
六花はコルク銃を構える。
狙う。
撃つ。
外れる。
「あ〜」
「惜しい」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんは禁止」
「なかなか厳しいな」
尚哉が笑う。
次に尚哉が構えた。
特に真剣な顔でもない。
適当に狙って。
撃つ。
小さな猫のキーホルダーが倒れた。
「え」
六花が目を見開く。
「取れた」
尚哉も少し驚いていた。
「すごい」
「いや偶然」
「さっきも聞いた気がする」
「何が」
「大したことないって言うやつ」
「事実だから仕方ない」
尚哉はそう言って、景品を受け取った。
猫のキーホルダー。
小さくて、少し間抜けな顔をしている。
「白鷺、いる?」
「え?」
「別に俺、使わないし」
六花はキーホルダーを見る。
それから尚哉を見る。
「……いいの?」
「いいけど」
「じゃあ、もらう」
六花は両手で受け取った。
小さな猫は、手のひらの中で軽かった。
◇
廊下へ出る。
人の流れは相変わらず多い。
六花は猫のキーホルダーを見つめていた。
「そんな見るものか?」
尚哉が聞く。
「かわいいよ」
「そうか?」
「うん。ちょっと変な顔してるところが」
「褒めてるのかそれ」
「褒めてる」
六花は笑った。
尚哉も少しだけ口元を緩める。
◇
少し歩くと、模擬店の甘い匂いが強くなった。
クレープ。
焼き菓子。
ジュース。
生徒たちの声が飛び交っている。
「何か食べる?」
尚哉が聞いた。
「いいの?」
「休憩だろ」
「うん」
六花は少し考える。
「じゃあ、クレープ」
「甘いやつ?」
「甘いやつ」
「了解」
◇
二人でクレープを買った。
六花は苺とクリーム。
尚哉はチョコバナナ。
校舎の端にある空いたスペースで食べる。
「おいしい」
六花が言う。
「普通にうまいな」
「出た、普通」
「これは褒めてるぞ」
「分かりにくいよ」
二人は少し笑う。
◇
ただ歩いて。
展示を見て。
射的をして。
クレープを食べる。
それだけだった。
特別なことは何もない。
でも。
六花は気付いていた。
今日、自分は何度も笑っている。
仕事中とは違う笑い方で。
誰かを安心させるためではなく。
頼まれたことに応えるためでもなく。
ただ楽しくて、笑っている。
◇
「そろそろ戻るか」
尚哉が言った。
「うん」
休憩時間はもうすぐ終わる。
戻らなければいけない。
それは分かっていた。
分かっているのに。
少しだけ、名残惜しいと思った。
◇
実行委員室へ戻る途中。
六花はもう一度、手の中の猫のキーホルダーを見る。
さっきまで何も持っていなかったのに。
今は小さなものが一つ増えている。
文化祭の景色。
甘いクレープの味。
尚哉の「普通」。
変な顔の猫。
その全部が、少しずつ胸の中に残っていた。
◇
「白鷺」
「ん?」
「楽しかったか?」
尚哉が聞いた。
何気ない声だった。
六花は少しだけ驚く。
それから頷いた。
「うん」
素直にそう言えた。
「楽しかった」
「ならよかった」
尚哉はそれだけ言って、前を向く。
六花はその横顔を見る。
文化祭は楽しい。
それは前から知っていた。
でも。
今日見つけた楽しさは、少しだけ違っていた。
白鷺六花は見つけている。




