第74話 橘尚哉は覚えている。
放課後。
教室には夕日が差し込んでいた。
帰り支度をする生徒たち。
部活動へ向かう生徒たち。
皆、それぞれ支度を始める。
尚哉も帰宅しようと、鞄を肩に掛けた。
その時だった。
「白鷺さん」
担任が教室へ顔を出す。
「悪いんだけど、生徒会へこの資料届けてもらえるかな」
紙の束が差し出される。
六花は反射的に返事をしそうになった。
「はい――」
そこまで言って。
一瞬だけ止まる。
「……」
珍しかった。
本当に珍しかった。
六花自身も少し驚いているようだった。
「白鷺?」
担任が首を傾げる。
「あ、すみません」
六花は慌てて笑う。
「大丈夫です」
結局引き受けた。
担任も安心したように頷く。
「助かるよ」
「いえ」
いつものやり取りだった。
けれど。
尚哉は少しだけ眉を上げた。
◇
生徒たちが帰っていく。
教室には残る人も少なくなった。
六花は資料をまとめていた。
「白鷺」
声がする。
「ん?」
振り返る。
尚哉だった。
「どうしたの?」
「いや」
尚哉は資料を見る。
「珍しいなと思って」
「何が?」
「さっき」
六花は少し考える。
それから気付いた。
「ああ」
思わず笑う。
「止まったやつ?」
「そう」
「自分でもびっくりした」
六花は苦笑した。
「いつもなら考える前に返事してたかも」
「だろうな」
即答だった。
「ひどい」
「事実だろ」
二人は少し笑った。
◇
廊下を歩く。
生徒会室は校舎の反対側だった。
資料を抱えた六花の隣を尚哉が歩く。
「相談してもいいって言ったし」
六花が言った。
「ん?」
「昨日」
尚哉は少しだけ考える。
そして頷いた。
「ああ」
覚えていたらしい。
六花は少しだけ安心する。
「だから」
言葉を探す。
「ちょっとだけ考えてみた」
「何を」
「本当に私がやる必要あるのかなって」
尚哉は黙って聞いていた。
「結局引き受けたけど」
「うん」
「でも前よりは考えた」
尚哉は少しだけ笑う。
「進歩じゃん」
「そうかな」
「そうだろ」
六花も少しだけ笑った。
◇
生徒会室へ資料を届ける。
用事はすぐ終わった。
そのまま二人で昇降口へ向かう。
窓の外は夕焼けだった。
「なあ」
尚哉が言う。
「ん?」
「全部引き受けるか断るかじゃなくてさ」
「うん」
「誰かに手伝わせるって選択肢もあるだろ」
六花は少しだけ目を瞬く。
考えたことがなかった。
「なるほど」
「今初めて思い付いた顔してるな」
「今初めて思い付いた」
「だろうな」
尚哉は呆れたように笑う。
六花も笑った。
◇
昇降口へ着く。
靴を履き替える。
外は少し涼しかった。
「今日は助かった」
六花が言う。
「何もしてないだろ」
「話聞いてもらった」
「それだけか」
「それだけだよ」
六花は笑う。
「でも一人だったら、たぶん気付かなかった」
尚哉は少しだけ黙った。
それから肩をすくめる。
「じゃあ相談して正解だったな」
六花は少しだけ目を見開く。
そして。
「うん」
と頷いた。
◇
「じゃあまた明日」
「また明日」
尚哉は駅の方へ歩いていく。
六花はその背中を見送った。
少し前まで。
こんな話をする相手ではなかった。
ただのクラスメイトだった。
それだけだった。
なのに。
いつの間にか。
相談してもいいと思う相手になっていた。
六花は小さく笑う。
夕暮れの風が吹いていた。
橘尚哉は覚えている。




