第73話 白鷺六花は誤魔化している。
放課後。
窓の外は少しだけ赤く染まり始めていた。
教室には帰り支度をする生徒たちの姿がある。
「橘くん風邪治った?」
小春が聞いた。
「たぶん」
尚哉が答える。
「たぶんって何」
「昨日よりマシ」
「それは治ってない人の言い方だよ〜」
小春は呆れたように言った。
灰原が笑う。
「まあでも顔色は戻ったな」
「だろ」
「まだ咳してたけどな」
「聞こえてたのか」
「聞こえるだろ」
そんなやり取りが続く。
六花は少しだけ安心した。
昨日より元気そうだった。
それだけで十分だった。
◇
「じゃあね〜!」
小春が手を振る。
「また明日!」
今日も元気だった。
灰原も別の用事があるらしく先に帰っていく。
教室には人が少なくなっていった。
◇
六花は鞄を持つ。
その時だった。
「白鷺さん」
担任が声を掛けた。
「悪いんだけど、この資料まとめて職員室に持ってきてもらえるかな」
「はい」
反射みたいに返事が出る。
「助かるよ」
担任は笑った。
六花も笑う。
「いえ」
それだけだった。
◇
資料を受け取る。
思ったより量があった。
重いわけではない。
大変でもない。
ただ。
「……」
小さく息を吐く。
誰にも聞こえないくらい小さく。
それから六花は歩き出した。
◇
「白鷺」
後ろから声がした。
振り返る。
尚哉だった。
「あれ」
六花は少し笑う。
「まだいたんだ」
「今帰るとこ」
尚哉は資料を見る。
「また頼まれたのか」
「うん」
「何回目だよ」
「覚えてない」
「だろうな」
尚哉は呆れたように言った。
六花は苦笑する。
◇
二人で廊下を歩く。
職員室は同じ方向だった。
「スピーチ終わったのに忙しそうだな」
尚哉が言う。
「まあね」
「また断れなかった?」
六花は少しだけ笑った。
「断れなかったというか」
「うん」
「気付いたら返事してる」
「重症だな」
「ひどい」
六花は笑う。
でも。
少しだけ考える。
◇
「たまにね」
六花が言った。
「ん?」
「断り方が分からなくなる時ある」
尚哉は少しだけ目を瞬く。
六花は前を向いたまま続けた。
「頼まれるとさ」
「うん」
「断ったら困るかなって思うし」
「うん」
「私がやれば済むかなって思うし」
そこまで言ってから、小さく笑う。
「で、後でちょっと困る」
「それ困ってるんじゃん」
被せ気味にツッコミがくる。
六花は思わず吹き出した。
「そうなのかな」
「そうだろ」
「うーん」
六花は首を傾げる。
自分ではよく分からない。
ずっとそうしてきたから。
それが普通だったから。
◇
職員室へ資料を届ける。
用事はすぐ終わった。
二人は再び昇降口へ向かう。
夕方の廊下は静かだった。
「なあ白鷺」
「なに?」
「全部一人でやろうとするなよ」
六花は少しだけ足を止める。
そんなことを言われるとは思わなかった。
「別に一人でやってないよ」
「やってるだろ」
「そうかな」
「そうだろ」
尚哉は真面目な顔だった。
冗談ではないらしい。
六花は少し困った。
でも。
嫌ではなかった。
◇
昇降口へ着く。
靴を履き替える。
外はもう夕暮れだった。
「じゃあな」
尚哉が言う。
「うん」
六花は頷く。
そして。
少しだけ迷った。
迷ってから口を開く。
「橘くん」
「ん?」
「もし今度」
言葉が止まる。
ちょっと恥ずかしさで躊躇する。
「……困ったら」
「うん」
「相談…してもいい?」
尚哉は一瞬だけ驚いた顔をした。
それから。
「別にいいけど」
と言った。
いつも通りの口調だった。
六花は少しだけ笑う。
「そっか」
「ああ」
それだけだった。
◇
帰り道。
六花は一人で歩いていた。
夕暮れの風が少しだけ涼しい。
相談。
そんなことを口にしたのは久しぶりだった気がする。
誰かに頼るつもりなんてなかった。
本当に。
そのはずだった。
けれど。
尚哉と話して少しだけ安心している自分がいた。
白鷺六花は誤魔化している。




