第69話 白鷺六花は雨を見ている。
帰りのホームルームが終わった頃には、空は曇っていた。
朝の天気予報では晴れだった気がする。
けれど春の空は気まぐれだ。
教室の窓の外には、いつの間にか灰色の雲が広がっていた。
「降ってくるの確定っぽいな」
灰原が窓を見ながら言う。
「傘持ってきてない」
小春が即答した。
「自慢することじゃないだろ」
尚哉が言う。
「大丈夫大丈夫〜」
「何がだよ」
「気合いで雨雲吹き飛ばす!」
「そりゃありがたいわ」
灰原が笑う。
小春はなぜか得意げだった。
◇
結局。
雨は降った。
しかも思ったより強かった。
「うわぁ〜……」
昇降口で小春が声を上げる。
「本当に降った」
「だから言っただろ」
尚哉が言う。
「橘くん天気予報士?」
「違う」
「じゃあ超能力者?」
「違う」
「残念」
何が残念なのか分からない。
灰原は笑っている。
「じゃ、俺先行くわ」
鞄から折り畳み傘を取り出す。
「持ってたのか」
「俺を誰だと思ってる」
「灰原」
「その通り」
灰原は笑った。
「じゃあな」
「また明日〜」
小春が手を振る。
灰原は傘を差して去っていった。
◇
「私はお母さん迎えだから〜」
小春がスマホを見せる。
「勝ち組だな」
尚哉が言う。
「でしょ〜?」
「威張るな」
六花が笑う。
小春は満足そうだった。
「じゃあね!」
そう言って、小春も別方向へ走っていく。
残ったのは二人だった。
◇
雨はまだ降っている。
昇降口の屋根を叩く音が響いていた。
「……」
「……」
二人とも傘を持っていなかった。
しばらく空を見る。
「止まないな」
尚哉が言った。
「止まないね」
六花も頷く。
だから二人は駅へ向かう途中にある小さな屋根付きの休憩スペースまで走った。
◇
屋根を叩く雨音。
少し湿った風。
近くの植え込みから土の匂いがする。
春の雨だった。
ベンチは空いている。
二人は少し距離を空けて腰を下ろした。
会話はない。
気まずいわけではなかった。
ただ。
雨の音が思ったより大きかった。
◇
「橘くん」
六花が言う。
「ん?」
「雨って嫌い?」
尚哉は少し考える。
「別に」
予想通りの答えだった。
六花は少し笑う。
「好きでもない?」
「好きでもない」
「どっちなの」
「普通」
尚哉はそう言った。
「白鷺は?」
「私は……」
六花は空を見る。
雨粒が屋根の端から流れ落ちていた。
「昔は嫌いだったかな」
「昔?」
「雷が苦手だから」
尚哉が少し驚いた顔をした。
「そうなのか」
「意外?」
「ちょっと」
「ひどいなぁ」
六花は笑った。
自分でもそう思う。
今の自分を見れば、あまり怖がりには見えないだろうから。
◇
「橘くんは?」
「何が」
「苦手なもの」
尚哉は考える。
すぐには答えなかった。
「……ないかも」
「本当に?」
「…たぶん」
「すごいね」
「そうか?」
「うん」
六花は少し羨ましかった。
怖いものがない。
気にするものがない。
そういう人に見えた。
自由そうだと思った。
◇
雨音が続く。
しばらく沈黙が落ちた。
けれど不思議と嫌ではなかった。
何か話さなければいけない気もしない。
ただ雨を見ている。
それだけだった。
◇
「白鷺」
珍しく尚哉から声を掛けた。
「ん?」
「お前さ」
「うん」
「なんか、ずっと頑張ってるよな」
六花は目を瞬く。
思わず尚哉を見る。
「急にどうしたの?」
「いや」
尚哉は視線を前へ向けたまま言う。
「なんとなく」
それだけだった。
六花は返事ができない。
そんなことを言われたことがなかった。
頑張っている。
そうなのだろうか。
自分の事なのに、ピンとこない。
分からないまま、
胸の奥がほんの少しざわついた。
◇
やがて雨脚が弱くなり始める。
「…止みそうだね」
六花が言う。
「だな」
尚哉も立ち上がった。
二人は再び歩き始める。
雨上がりの匂いがしていた。
◇
駅が近付く。
別れ道も近付く。
「じゃあ」
尚哉が言う。
「また明日」
「うん」
六花は頷く。
そして少しだけ空を見上げた。
雲の隙間から、薄く夕日が差している。
「今日の雨」
六花が呟く。
「ん?」
「嫌じゃなかったかも」
尚哉は少しだけ首を傾げた。
「そうか?」
「うん」
六花は笑う。
理由はよく分からない。
でも。
素直にそう思った。
白鷺六花は雨を見ている。




