第59話 白鷺六花は戸惑っている。
「それって本当のお前なの?」
あの日から。
尚哉の言葉が頭から離れなかった。
考えないようにしても。
ふとした瞬間に思い出す。
それはまるで。
心の奥に小さな棘が刺さったみたいだった。
◇
昼休み。
六花は玲奈と一緒に中庭のベンチへ座っていた。
春の風は穏やかで。
日差しも暖かい。
玲奈は文庫本を閉じる。
「面白かった?」
六花が聞く。
「はい」
玲奈は小さく頷いた。
「でも少し切なかったです」
「どんな話?」
「好きな人のために頑張る女の子の話です」
六花は少しだけ笑う。
「玲奈ちゃんそういうお話好きそう」
「はい、好きです」
二人で笑う。
穏やかな昼休みだった。
◇
「そういえば」
玲奈がふと思い出したように言った。
「橘くんって優しいですよね」
六花は一瞬だけ瞬きをした。
「え?」
「この前も図書室で助けてもらったんです」
「助けてもらった?」
「はい」
玲奈は少し照れたように笑う。
「わたし背が低いから、高い棚の本が取れなくて」
六花は思わず吹き出した。
「なにそれ」
「本当です」
「それで?」
「取ってくれました」
「うん」
「あと脚立使った方がいいぞって言われました」
「ふふっ」
容易に想像できる。
六花は少しだけ笑った。
◇
「でも」
玲奈は続ける。
「橘くんって、そういうところありますよね」
「そういうところ?」
「困っている人を見つけるのが上手というか」
六花は黙った。
玲奈は気付いていない。
ただ思ったことを話しているだけだ。
「本当に優しい人ですよね」
玲奈は本当に自然に言った。
悪意も意図もない。
ただの感想。
ただの本音。
「……うん」
六花は頷く。
「優しいよね」
それも本音だった。
誰よりも知っている。
尚哉がどれだけ優しい人なのか。
どれだけ自分を後回しにしてしまう人なのか。
どれだけ困っている人を放っておけない人なのか。
知っている。
知っているのに。
「……」
胸の奥が少しだけざわついた。
◇
玲奈は悪くない。
何も悪くない。
それどころか。
そう思うのは当然だった。
尚哉に助けられたことがあるなら。
尚哉を優しいと思うのは自然なことだ。
だから。
何もおかしくない。
おかしくないのに。
なぜか少しだけ心がザワつく。
「六花さん?」
玲奈が首を傾げる。
「どうしました?」
「え?」
「何か考え事ですか?」
六花は慌てて首を振った。
「ううん」
「そうですか?」
「うん」
笑顔を作る。
玲奈も安心したように笑った。
◇
その日の帰り道。
六花は一人で歩いていた。
夕暮れの空。
吹き抜ける風。
頭の中では玲奈の言葉が何度も繰り返される。
橘くんって優しいですよね。
「……」
小さく息を吐く。
そして。
ようやく気付いた。
「あ」
思わず声が漏れる。
胸の奥にあった小さな違和感。
その正体に。
ほんの少しだけ。
気付いてしまった。
「玲奈ちゃんは何も悪くないのに」
ぽつりと呟く。
自分でも少しだけ情けなくなる。
でも。
少しだけ安心もした。
そんな感情を持てることに。
そんな自分がまだ残っていたことに。
白鷺六花は戸惑っている。




